――――これは、夢だ。
父さんがバケモノに殴り掛かっていく。
――――もう、過ぎた事だ。
母さんが俺とマユを逃そうとする。
――――変えられない、過去だ。
マユが俺に連れられて走る。
――――幾ら後悔しても、遅いのだ。
バケモノが皆を嘲笑う。
――――あの時に、力があれば。
父さんが頭から喰われた。
――――錬金術が、核鉄が。
母さんが足から掏り潰された。
――――力が、欲しい。
マユが右腕だけを残して何処かへ消えた。
――――ちからが。
目が覚めると、そこは寮内の自室であった。
起き抜けで胡乱な頭を揺すり、シンは身を持ち上げる。
ゴギ、回した首が唸った。
途轍も無く胸糞悪い夢を見たような気がしたが、何故か内容は思い出せない。
いや、悪い夢だからこそ封じ込めているのだとも言えよう。まぁここで追求するべき必要も特にないと判断し、記憶の片隅に放る。
ベッドから降り、自分の姿を確かめてみた。
上半身は制服の下に着ていたシャツ1枚、下半身も制服のまま。両方ともボロボロになっているのは、あの小蝿による襲撃が強烈であった証拠だ。
布団に乗せられていた上着も、広げてみればズタズタ。
このままでは明日学校に行くのに困る、代えの制服がまだ1着ある筈だが…………そこまで思い、シンは気付いた。
一昨日、ステラを庇いマーズの尾に体をブチ抜かれた時の服装。それは、何だったか?
タンスを勢い良く開くと、
「…………うわー」
そこには、背中にぽっかり大口の開いた上着が。
今日着ていた物は上下共にボロ切れ同然、ズボンが無事で済んでいる分こちらの方がまだマシと言えなくもない。
ないが、どちらにしろ学校には着て行けなさそうだ。
部屋の時計は、夜が大分更けている事実を示していた。
「シン、起きてる?」
と、不意に扉が開き、二人の少女が顔を出す。
「ステラ、ルナ」
「あ、もう体起こせるんだ。回復早いのね」
「核鉄のお陰だけどな、多分」
ルナマリアの言葉に苦笑を返し、シンはタンスを閉めた。余計なものをわざわざ見せる事もない。
「シンが気を失ってる間に話したの。ステラ、ルナのお部屋に泊めてもらう」
「信じられる? この子、こっち着いてからずっと野宿してたんだって」
「うぇーい」
誤魔化しているんだかなんだか、一声鳴くステラ。
シンの脳裏に、ふと、ダンボール箱で組み立てられた簡素な家の図が浮かぶ。
予想以上にしっくり来てしまい、思わず噴出。音は2つだ。
そちらを見れば、同じ事を考えたらしいルナマリアも肩を震わせ俯いていた。抑えた口許から笑い声が漏れている。
ステラが憮然とした表情を浮かべた。
「あはは、ごめんごめん」
「…………ぶー」
一仕切り笑って、深呼吸。
息継ぎの音。
ところで、ステラはそう切り出す。
「シン、体はどう?」
「体? 特別問題とかはないけど、今の所」
「…………ホントはね、核鉄を心臓代わりにするのって凄い荒療治なの」
「なんっ!?」
「だから、無理は絶対しないで。すこしでも痛いとか調子悪いとか感じたら、隠さないで教えて」
その言葉に、シンは無意識に左胸を押さえた。
事情を一通り聞いているルナマリアも釣られてシンを見る。
手の下、胸の奥に脈打つ鋼。
晴れた筈の空気が再び重くなるのを感じ、ルナマリアは繕うように言った。
「と、取り敢えずさ。今日はもう寝ようよ」
「あー……明日も学校あるんだっけ」
制服の事を思い出し、渋い顔をするシン。
また明日ねー、言いながら去っていく二人の背中を、ひらひら手を揺すりながら見送る。
朝一で購買に行こう、シンは財布がどんどん厚みを失う事実に涙した。
――1日目――
昼休み、校庭。
「天使覆面の創造主は、多分この地域に住んでる」
言い、あずき色のジャージを着たステラはポケットからメモ書きを取り出す。
ハンディカメラで周囲を撮影しながら、ルナマリアが問うた。
「なんでそう思うのよ? って言うか、それじゃこの街全部を見張るようじゃない」
「カン。よく当たる」
「…………」「…………」
「それに、向こうの容姿はかなり悪目立ちするから。普通の街中でピンクの髪の人、いた?」
「あぁ、そりゃまず見掛けないな」
真新しい制服に袖を通したシンが、突っ張った襟元を直しながら同意する。
コーディネーターとナチュラルの割り合いが余り変わらないこの街において、奇抜な髪色は比較的見咎められる傾向にある。
まして相手は桃色の長髪、そうそう見逃す事もなかろう。
更に外見年齢。
ステラの言うところに寄れば、天使覆面は高校に通うべき学徒の歳と思しいそうだ。
故にまず、この学校を探す。
「それだけじゃないよ。目を見ればわかる、ヘドロで淀んだ海みたいな目だった」
「淀んだ、目?」
「もし見付けたら、絶対に一人で手を出しちゃ駄目」
すかさず釘を差すステラ。
それに神妙な顔で頷き、シンは袋からレモンティーを取り出した。
ぐぅ、鳴ったのは誰の懐か。
「…………取り敢えず、お昼食べよう」
「「さんせー」」
その夜。
シンは、寮付近にある神社の境内で大剣を振り回していた。
ステラからしっかり寝ろと言うお達しを受けていながら、隠れてトレーニングなぞしているのである。
「早く使いこなせるようになって、皆を守れるようにならなきゃ」
強迫観念じみたモノを背負いながら、己が誓約に従い身の丈程もある刃を薙ぐ。
その根底にあるものは、喪失への■■。
大上段に構えた剣を、一気呵成に唐竹割り。
一昨日・昨日とで様々な貌を見せているこの剣だ、ただ振り回されるだけの鉄塊である筈がない。
柄を広く握り、ぶんと薙ぎ払い。
しかし、どうやればその多様さを引き出せるのか。
体ごと捩りながら踏み込んで刺突。
それが分からぬ以上、せめて普通に剣闘が出来るくらいの技量を身に付けねば。
刀身に手を当て刃の鎬で殴打。
身体中の痛みを押さえ付け、シンはただ剣を振るう。
ひたすらに、がむしゃらに。
だが、懸命の捜索も中々身を結ばない。
2日。
3日。
4日。
進展する様子を見せぬ探し人に、3人はそろそろ焦れを感じてきていた。
それこそ天使覆面の思う壷である事など、無論、知る由もなく。
「ふむ…………手が増えたのかと思いましたが、彼女は一般人でしかないようですわね」
暗い部屋の中、ベッドに腰掛け嫣然と微笑む天使覆面。
膝に乗せたノートパソコンには、街内を必死で駆け回る少年少女の姿があった。
ホムンクルス・タケダの能力の一つに、自らが生み出した小蝿を介して映像や音声を受信するというものがある。それを用い、天使覆面はシン達を見張っているのだ。
今まで彼らに手を出さなかったのは、単純に様子見と別の事への調整期間だったためでしかない。
桃色の髪を片手で弄りつつ、緩慢にキーボードを叩く。
「しかし、画像の精度が上がりませんわね…………タケダさん、何とかなりませんの?」
「すんまへん、ウチの小蝿あんま目ぇ良ーあらへんのですわ」
創造主から投げかけられた言葉に、タケダは悪びれもせず返事をした。
彼の右手の甲に突き刺さったUSBケーブルが、パソコンへ繋がり、リアルタイムで映像を液晶画面に投影する。
スーツ姿の胡散臭げな被創造物を僅かの間だけ見詰めて、天使覆面は鼻を鳴らした。
「…………まぁ、構いませんわ。私が為すべき事は変わらないのですから」
状況はこちらが優勢、そう呟きパソコンを閉じる。
傍らに控えていたサラを率いて、彼女は立ち上がりトルソーに乗せていたマスクを手に取った。
これを被っている間だけ、“ワタシ”は“ワタクシ”になれる。
だが、もう少し頑張ればそんな事をする必要もなくなる。
自らが華開く為に邪魔なモノ…………どうあっても間引かねばならない。
天使だ。
私は、天使になる。
自らをかき抱く創造主に、タケダは無言で斜めの目線を向けた。
首を捩ると、今度は金髪を短く整えた同胞の姿。
不意に何を思ったか、タケダがちょいちょいと指で彼女を呼びつける。
「創造主、ちーとばかしサラはん貸してもらいまっせ」
「は?」
「あらあら。余り私を独りにしないで下さいね?」
呼ばれたサラは思いっきり心外な顔をし、天使覆面はその光景に笑みを見せた。
今までのものと違う、年齢にそぐわった純粋な笑み。
しかしその事についてどうこう思いすらせず、タケダはサラに近付いてひそりと耳打ちをする。
寄せられた顔に眉を顰めるのも数秒、言われた言葉にサラは唇を釣り上げた。
天使覆面へ外出の意を告げ、颯爽と部屋を辞する巨鳥の化身。
見送るタケダ。
眼鏡に光が反射し、その奥にある瞳の形は伺えない――――
シンはひとり、影が斜めに差す帰り道をゆっくりと歩いていた。
ステラとルナマリアは何やら買うものがあるとの事で、先に別れてしまっている。
苛つきの居座った表情で溜息一つ。
捜索4日目もさしたる進展は無し、この間に一人も犠牲者が出ていない事だけが救いであった。
しかして、シンが苛ついている理由は単純。
自主訓練の成果が一向に上がらないのだ。
寝る間も惜しんで修練に励んでいるというのに、大剣は全く持って変化無し。却って筋肉痛と寝不足がぎりぎり体を嘖み、始末に負えない状態だ。
くらり、眠気が脳に軽いジャブを打つ。
どうすれば武装錬金をより使いこなせるようになるのか、明日にでもステラに尋ねてみよう。
そんな事を考えながら歩いていると。
――カツッ
硬質な物がアスファルトを踏む音。
顔を上げたシンは、沈みかけの太陽を遮る形で立つ人と鉢合わせした。
薄紅色のサングラスを掛けた、雰囲気のキツそうな女性。
見た瞬間、心臓が、大きく飛び跳ねる。
「あら、良く気付いたわね…………坊や?」
眼を細めて微笑する女。
その視線に込められている何かは、決して、人が人に向けるべきモノではなかった。
則ち、餌を見定める態度。
「お前…………!」
「そんな風に警戒しちゃ嫌よ、折角いいコト教えてあげようと思ったのに」
「ふざけるな、化物」
鞄を投げ捨て臨戦態勢に入ったシンを、女――サラはただ笑って見詰める。
余裕綽々な態度は、この状態で彼がどう足掻こうとも自身が傷付かないという事を信じているためか。
「気の短い子ね、損な性格だわ」
「何が目的だ?」
「目的? 言ったじゃない、いいコト教えてあげに来たの」
「…………信じると思うか」
シンが腰を落とし、胸元へ手を掛けた。
それにもサラは笑うだけ。
いや、先のは苦笑であったが、今のは完全に別物。
嘲笑である。
「君がここで私の言葉を聞かなければ、我が主はそのまま雲隠れ。これから先こちらも情報を漏らすつもりは当然なくなるから、もうそちらは手も足も出せなくなるわね」
「なん、だと? お前、創造主を裏切るつもりか!」
「裏切る…………そうね、小局で見れば裏切りにも見えるでしょう。けれど私の目的は大局にあるの、そしてその為に必要なのが――――」
つ、サラの指先がシンを指す。
「俺だって言うのか?」
「正しくは坊や、君の心臓ね」
心臓。
つまり、核鉄。
シンの警戒姿勢が一気に硬化した。
胸に手を当て、腰を落とす。
シンから剣呑な視線を向けられながら、サラはくすりと微笑んで続けた。
「あら。良く見たら、凄く素敵な眼してるじゃない? 青臭い正義感でオブラートされてるけど、一皮向けば私たちですら霞んじゃうような悪意が熟れに熟れてる」
「――――!?」
「坊や。きっと君、コチラ側の方が性に合うわよ」
「黙れッ!!」
響き渡る拒絶の声。
何も考えずサラへ殴りかかるも、軽くいなされ蹴り倒される。
挙句にそのまま顔を踏まれ、身動きを封じられた。
ぎり、押さえ付けられた頭部を奔放に駆けずり回る痛み。
「考える時間を上げるわ。取引に応じるなら、夜11時に街の河原の上流までいらっしゃい? 勿論一人で、ね」
「ぐぅっ…………!」
「刃向かいたいならそれも良いけど、まぁその時は覚悟してきなさい」
何に対してとは言わず、足を退けるサラ。
ゆっくりと立ち上がるシンを見ようともせず、そのまま彼女は歩み去っていく。
すぐ傍に在る敵、その背中から溢れ出す余裕。
歯噛む。
自分の武装錬金が持つ力を十分に理解していれば、きっとこの場でアイツを止められる筈なのに。
しかし、仮定は有り得ぬからこそ仮定。
そして、今の思考も中途半端に力を持つ者の慢心。
されど、シンは涙した。
力が無いのが、悔しかった。