少年は力を得た。
少年は決意を抱いた。
だが、足りない。
それだけでは、悪しきモノは止められない。
力を振るうには技が要る。
技は知らねば使えない。
知るべきは、己の本能の在り方。
武装錬金を自在に使いこなせたその時、初めて少年はその台詞を言えるのだ。
これ以上犠牲者は出さない、と――――
くゆる線香の煙。
亡骸が埋葬された土に、二人は手を合わせていた。
老若男女善悪貴賎に関わらず“死”は誰にも平等に訪れるが、そこに至る過程は実に様々だ。
天寿を全うする者、事故で命を落とす者、病に倒れ伏す者。
人生が十人十色ならば、その“死”の形も同じように千差万別である。
しかし、この犠牲者達は普通ではまず有り得ない“死”を迎える事になってしまった。
生きたまま喰われたのだ。
痛かったろう。
辛かったろう。
苦しかったろう。
悔しかったろう。
それは、『あの日』からシンの魂に居座って燻り続けるモノと正しく同素体であった。
生きる権利を理不尽に奪われた者達の、怒りだ。
眼に昏い陰が落ちる。
いきなり表情の沈んだシンに、ステラは昨日抱いた引っかかりの正体を朧げながら掴んだ。
彼は近しい人間を亡くしている。それも、錬金術絡みで。
大切な存在が唐突にかつ永遠に喪われる悲哀。だが、今のステラにそれを慰める事は出来なかった。
誰をも喪っていない者が、どうして喪った者の苦しみを理解し得るだろうか。
降りる沈黙の帳。
シンはただ口を結び、ステラはそれを横目で気まずそうに伺う。
静寂のデフレスパイラルだ。
お喋りな方ではないが、だんまりも好まぬステラである。
この空気を打破出来るような切っ掛けがあれば、そう思った拍子の事だった。
「見付けたわよ、シン」
後ろから飛んできた声に、シンがビクリと肩を震わせる。
あくびが出る程スロゥリィに首を捩ると、
「ひィ!」
「良い御身分ねぇ? 学校帰りにおデートなんて、羨ましいったらないわ」
「るるっるっルナマリアっ!?」
腕組みして微笑を浮かべるルナマリアが一人だけでそこにいた。
普段はひよんと空に跳ねている一房の髪が、今日に限っては真上へビシィッと直立している。まさにお前のアホ毛で天を衝けってなもんだ。
先程までの暗澹たる思いをどこかへ放っぽり捨てて彼女の名を呼ぶシン。すごく……情けないです。
「え、ちょ、な、何でここに」
「それはこっちのセリフなんですけどー?」
頬に指を押し当てちょっと可愛い感じに装いつつ、しかし目だけ炯々と光らせて問う。
いや、問うというよりも、これは――――尋問。
「あのえっとこれはですねかなり大変な事情が」
「是非も無し。仕置き仕る」
「言い訳すらダメなのかよ!?」
あたふたするシンにさらりと告げ、ルナマリアはゴギリと手を鳴らした。
聞く耳? そんなもの有るわけがない。
「どーせ昨日の隠し事も、その子とニャンニャンするとかそんなんだったんでしょ! どうなのよ、えェ!?」
「違うからホントに! あとニャンニャンは古い!」
「信じないよ、アタシ信じないよ!!」
「ならどーせいと!?」
「取り敢えずパフェ奢りなさい、駅前のころむびあで 」
「ころむびあ…………もしやお前!?」
「無論FUJI・MOUNTAIN一択ですが」
「ちょまっ、持ち合わせがですn」
「 問 答 無 用 」
「俺のサイフ \(^o^)/オワタ」
どっか変なスイッチでも入ったのか、紅の少女は止まらない。なんという暴君。
完全に置いてきぼりを喰らったステラは、しかし何も言わずただじっとルナマリアを見つめる。
否。
視線の先にあるものは、ルナマリアの後頭部だった。
「…………シン」
「え?」
呼び声に反応して顔を上げたシンは、見つける。
彼女の髪にしがみついた、幼い悪鬼を。
「もしもし、タケダさん? いらっしゃいますの?」
「タケダやのーてT@KED@や! 幾ら創造主やいいましてん、ここだけは譲られまへんで」
「あら御免なさいタケダさん。待機はしているのでしょうね?」
「…………ま、えーねんけど」
空を滑るサラの背に乗った天使覆面は、紅色の携帯電話を通じ何物かと会話していた。
電話先は、タケダ…………もといT@KED@なる男。
天使覆面が生成し、万一を予見して手元に残しておいたホムンクルスの内の1体だ。
ぶるりと大きく身震いするその姿は、巨大な、蝿。
「えー、わかりましたわ。ソイツらに追い討ちかけたればええんやね?」
「深追いはなさらないで下さいね。これ以上、向こうに掴ませてしまう所は作りたくありませんので」
「ほならここは一遍、分身(ガキ)に使いさせてみましょか」
主人の命に従い、タケダは胴体下側へ移行したヒトとしての顔を嗜虐的な表情に歪めた。
周囲に鬱蒼と繁る木々、その一本へ腹を押し付ける。
ゴリッ、硬質なものを抉る音が刹那だけ残響し、止んだ。
すっと木から離れるタケダ。
直後、抉られた部分からナニカが飛び出してくる。
翅を震わせ宙を飛び交うそれらは、数十匹の小蝿であった。
木に植え付けた卵を、過程を飛ばしそのまま完全変態させたのである。
細い六肢をキシキシ鳴らし、タケダが笑う。
その姿、罪深く邪悪な蝿の王――――ベルゼバブのごとく。
私が何とかする。
そうシンに言いはしたものの、ステラは対処法を考えあぐねていた。
敵はルナマリアの後頭部付近にいる。下手にガイアで手を出すと、ホムンクルスごと彼女を引き裂いてしまいかねない。もう勘付く勘付かない以前の問題である、頭を割られて生きられる人間などいなかろう。
して、件のお嬢さんはぶつくさ文句を垂らしながらステラの前を歩いていた。その暢気な姿が何となく腹に据えかねる。
ルナマリアの左に並歩するシンが軽く首を後ろへ向けるも、彼女は首を横に振った。
シンはまだ戦士として未熟、核鉄を無音無動作で発動する事が出来ない。彼が武装錬金でもって胎児をどうこうする事は、ルナマリアを巻き込むのと同義語なのだ。
これ以上この戦いに人を巻き込むわけにはいかない。
だから、どうにかしてでも私がやる。
改めて決意し、ステラは右掌に収まった核鉄を握りしめた。
自動人形型の武装錬金であるガイアだが、こういった状況下での精密動作に向いているとは世辞にも言い難い。
まずはルナマリアの髪からあの胎児を引き剥がさねば、攻撃することもままならぬ。
と。
――ピク
ルナマリアの髪に掴まった胎児が、体を軽く蠢めかせた。
遂に動くか、緊張を滾らせるステラ。
空気が張り詰めたのを感じ、シンも知らず拳を握り締める。
しかし。
「んっ、何か首の後ろ辺りが……?」
一番危険な位置に居る彼女は、何も知らないが故にそうしてしまった。
左手で、後頭部を払ったのだ。
いきなり跳ね飛ばされ空中に投げ出された胎児は、しかしすぐさまステラ目掛けて臍から生えた触腕を伸ばす。
狙われたステラは、無音無動作で核鉄を起動し一歩だけ下がる。
何をすべきか一瞬の内に思考したシンは、棒立ちになったルナマリアを自分の方に引き寄せる。
瞬く間の攻防。
「ルナっ!」
「へ、わぁ!?」
突然抱きすくめられて柄にも無く狼狽するルナマリア、その後ろでガイアがあっさり胎児を噛み砕いた。
そのまま念入りにガシガシ咀嚼させつつ、ステラは警戒のアンテナを周囲に巡らせる。
余りにも呆気無い。
追撃がかかる様子も見えず、これではただ向こうが手勢を一つ無為に失っただけでは無いのか?
いや、この疑心すら策謀の一部だとしたら。
戦闘状態を逸せぬまま深読みを続けるステラに、おずおずとシンが声を掛ける。
「…………なぁ」
呼ばれ、ステラはくんっと顎先をシンの方へ向けた。
視線の先の戦士見習いは、何故か腕でバッテンを作っている。
それに首を傾げつつそのまま巡らせると、
「なに、これ」
胡乱な表情でガイアを指差す、ルナマリア。
思わずステラとシンは顔を見合わせ、そして頬を引き攣らせた。
そうせぬために色々腐心したにも関わらず、結局は巻き込んでしまう。これをお粗末と呼ばずして何と呼ぶか。
沈黙を突き破るように、ステラは誤魔化す感じで一言。
「…………やっちゃったZE☆」
シンの頭がきりきり刺すような痛みに苛まれ始める。
ぺっ、知ったこっちゃねーよと言わんばかりの様子で黒犬獣が鉄屑を吐き棄てた。
で。
「錬金術、ねぇ」
「一から十まで信じて、とは言わない。でもそういう存在がある事は知っておいて」
再び道を歩きながらの説明に、ルナマリアは難しい顔をする。
一笑に伏したいが出来ない、そんな表情だ。
「人を喰べる化物がいるだなんて、正直眉に唾付けたいとこだけど…………昨日のもそうなんでしょ?」
「覚えてたのか!?」
愕然としたシンの台詞に、しかしルナマリアの返礼は噴出。
「えっ、な、なんだよ」
「やっだもー。気付かない? カマかけたのよ、カマ」
「あ」
「………………シン」
「見るな! そんな目で見ないでくれっ!!」
可哀想な子へ向けるようなステラの視線に、シンは半分べそを掻きながら叫んだ。何が可哀想かについては敢えて触れない。
ふぅ、誰の口からともなく溜息が漏れる。
このタイミングで事情を知る者が増えた事は、ステラに、ひいては錬金の戦士側にとって非常に大きな不利益であった。
同じように事情を知ってしまったシンだが、彼には核鉄と戦士たる自覚(こちらは芽が出た程度であるけれど)がある。しかしそれでもルナマリアの守護役を執るには不十分、故にステラが彼女を護らねばならない。
真実を知りながら、しかし力の無い者。ある意味では無関係の第三者以上に厄介。
この状況が天使覆面の側にとっても不測であれば良いのだけれど、ステラは切実にそう願った。
再び横たわる沈黙。
横一列、3人と1匹のアスファルトを踏む音だけが周囲の木々に反響する。
夜天には星が無数瞬き、風に揺られた新緑がさらさらと音を立てた。
自然の音が遠くの都市的な喧噪と混じり合う。
その、隙間に。
――ガゥッ!
万一を考え展開されたままであったガイアが、顎を開き吼え猛った。
シンの脊髄を強烈な悪寒が這い降りる。
直感に従いルナマリアを抱えて前へ転がると、一瞬すら置かず2人のいた場所がナニカによって抉り潰された。
先も言ったがこの地面はアスファルトに覆われている。だと言うに、相手はそれを物ともしていない!
耳朶を叩く、先程までは存在しなかった無数の羽音。
「囲まれた」
舌打ちと共にガイアの前腕からライフルを外して、ステラは目を細める。
癇に触る音を奏でながら宙に浮かぶ、群れを為した小蝿。
それが錬金術に関与する存在であろう事は、全身に纏わり付くメカニカルな意匠からも見てとれた。
ホムンクルスの端末、ステラは断定する。
「くそっ、武装れぅわ!?」
「シン!」
持ち直して核鉄を動かそうとしたシンに、4匹程の蟲が飛び付いた。武装錬金の展開を阻むつもりだ。
煩わしそうに体を揺するも、発達した前肢を服へ絡ませた蝿共は中々離れてくれない。
「シン、大丈夫なの!?」
「離れろルナ! ステラの方へ――――」
言い終えぬ内にルナマリアを押し退かし、直後シンの首が横へ跳ねた。
蝿の突進で頬を打たれたのだ。
間を置かず次々シンに体からぶち当たっていく蟲共。ステラとガイアが少しずつ数を減らしているとは言え、このままでは彼が持たない。
打撃音にくぐもった苦悶が混じる。
ここまで相手が小さいと、幾ら対多数戦闘に長けたガイアでも捉える事は難しい。
「なによっ、なんなのよこの虫はぁっ!」
手に持った鞄を遮二無二振り回しながら、ルナマリアが悲哀混じりの声を上げた。
シンへ近付こうとしても、別の蟲に行く手を遮られる。跳ね飛ばした方も完全に破壊出来ないので、すぐさま戦線に戻ってくる。
一匹が鞄の間隙を縫い太股へ取り付いた。
にぃ。昆虫の表情など分る筈がないのに、ルナマリアはソレが己を嘲笑したように思えて、沸き上がる嫌悪感に任せ鞄を足に思いきり打ち当てる。
鈍痛。反対の足から。
見ればそちらにも蟲が取り付いていた。六肢にきりりと締められ、既に輪のような痣が三条刻まれている。
嫌悪に勝る、恐怖。
口を衝いた悲鳴は果たして、彼の許にも突き刺さった。
痛みに閉じかけた意識が爆ぜる。
心臓を一瞬で吐き出し、蟲に組み付かれたままの左手で掌握。
恐れ戦くように全身の蝿共が弾かれた。
音無く、動作無く、シンは核鉄を揺り動かす!
一陣の風。
大気を引き裂く片刃の大剣、シンの武装錬金。
その刀身が濃灰から真紅に色を変えた。
鋼を擦る音、峰の加速器が内側にしまわれ、代わりに刃を組み上げる。
大地に突き立てられたのは、諸刃の剛剣。
シンが鋭角に尖った眼で敵を睨んだ。
それを見、伺うように周囲を飛び交っていた蝿共は、一気呵成にシン目掛けて殺到する。
雲霞のごとき鉄蟲。
ステラやルナマリアを構っていたモノすらが、そこから離れてかの少年剣士を屠らんとした。
彼は、それ程の驚異か。
彼は、それ程の恐怖か。
――――是、だ。
「そんな好き勝手…………」
刀身の正中線が割れ、吹き上がったナニカが大気を歪ませる。
揺らめくナニカを纏わせたまま、シンはただ一度だけ剣を横に振り薙いだ。
「させる、ものかぁぁぁぁッ!」
業、見えぬ波がシンを中心に円く奔る。
直後舞い起こった颶風に、次々跳ね飛ばされていく蝿の群れ。
その中で無数に打たれ千切られ引き裂かれ、鉄蟲共は一片さえ残らず殲滅された。
しかし、同じように風を受けた少女二人は全く傷を負っていない。
ルナマリアは眼を瞬かせ、ステラもまた想像を超えた光景に唖然とする。
「…………シン?」
呼び掛けに、しかしシンは応えない。
応えられない。
――ドサッ
一拍の後、糸が切れたように倒れ込むシン。大剣は既に核鉄となって心臓の代わりを為し始めている。
慌てて駆け寄ってみると、彼は気絶していた。
「シン!」
「体に負担が掛かったみたい、いきなり無音無動作で核鉄を動かしたから…………暫く休めば回復する筈、命に別状はないよ」
「………………ばか、無茶して」
安堵の息を零し、ルナマリアはシンの傍で膝を折った。
全身至る所から出血が見られる、蟲にやられた傷は決して少なくない。
この有り様と比べれば、自分が如何に軽傷であるか。
ガイアにシンを乗せて落下しないようベルトで固定し、ステラはルナマリアに言った。
「取り敢えず、あなたとシンを帰す」
「………………なんで、シンがこんなにならなきゃいけないの?」
紅い少女が、目許を紅く染めながら問う。
傷だらけの少年。
ほんの少し前まで、彼らはこんな事と関わらずに済んでいられた。
巻き込んだのは、自分。
それを思い、ステラは心中で荒れるものを感じた。
慚愧。
「シンは、戦士になりたいって、自分の意志で言った。あなたや友達を守りたいんだ、そう言ってあの剣を執ったの」
「………………」
ルナマリアは、無言。
最早ステラも語る事をせず、ただ無言で歩く。
「ルナ…………ステラ……まもる、から…………」
不意にシンが呟いた。
全く違う二人の少女は、しかしこの時全く同じ事を考える。
ごめんね。
ありがとう。