17-112

Last-modified: 2011-05-30 (月) 22:01:57

戦利品を気持ちよく分配し終え、居間から人が減ったあと、
「気持ち悪っ」
狭苦しい自室の中で、呟くロイ。
古びた木製の椅子に腰をかけ、他の二人を見下ろすかたちになる。
床に座り込んだリーフはほんの一瞬彼に目をやったが、すぐに真横にいたマルスに注目した。
「君も新年早々失礼だよね」
「いや、兄さんが新年早々失礼なことしないってのが気持ち悪いんだと」
ロイは誰を何故奇妙に思うのか、と特に指定しなかったが、長い間彼らと共に過ごしてきた人間なら
言われずとも察することができただろう。
椅子を軋ませながら、
「ほんとに具合悪いんじゃないの? みんなを心配させたくない、とかなら
 黙っといてあげるから…せめて僕らには教えてよ」
「リン姉さんを茶化さないマルス兄さんなんてありえない!」
弟達の表情は、真剣そのものだ。
怒るべきか笑うべきか。悪意のない、むしろ善意による発言であるから、尚更返答に困る。
「…寝すぎて逆に疲れたんだよ」
「悪い夢でも見た? すぐ慣れるよ」
「兄さんが言うと無駄に重いなぁ」
楽しそうに笑う二人を、マルスはぼんやりと眺めている。
適当を言って場を誤魔化すのはとても楽だと、無意識に打算的なことを考える。

「でもさ、」
リーフがにやりと笑った。
「いっそそのままのんびりと、仲良くしたいとかって思わないの」
マルスは初めて弟と目を合わせた。好奇心でいっぱいになった虹彩の面に、自分の姿を見る。
今までも似たようなことを何人かに問われてきたが、今朝のこともあって動揺してしまう。
お人好しを同じお人好しだけで支えるのには無理があるとこんな役を買って出た次第ではあるが、
淋しくもなるし、嫌われることは怖いのだ。こと大切な家族に関しては。
答えられず、ふいと視線を逸らす兄を見、ロイは腰を上げた。
「どっか行くの」
問うリーフ。
「この時期の街って結構静かできれいなんだよ」
「へー、僕も出ようかなあ」
「一緒に行く? 一人も淋しいし。あ、マルス兄さんは来ないでよ顔色悪いもん」
そうは見えないけど、とでも言いたげにリーフは首を傾げる。だが、ロイにしては珍しい突きはねるような言い方に、
一瞬だけ反論をためらってしまった。その一瞬にマルスが右手で承諾の意を示したので、もう何も言えない。
リーフにとって妙な距離感がどうにも不快であったが、この感情を的確且つ場を乱さずに伝えられる言葉が見当たらず、
気を使ったりはしなくていいとだけ言って諦めた。
急かすようにこちらを見るロイが少々恐かったせいもある。
数分後、外に出る支度を整えた二人は、部屋を後にした。

まただ、とマルスはつぶやく。
今朝と異なり壁の向こうが騒がしく、暖房のお陰で部屋も暖かいはずなのに、
変わらず静かで寒い。
つい先刻弟達と会話をしていた時もよく想起すれば、寒かった気もした。
扉を叩く音に気づくのに暫しの間を要したのも、寒さで耳に氷でも張っていたのだろう。
マルスが声を出すより早く扉は開かれた。
「…にいさーん?」
アルムがひょこんと顔を出した。
セリカの気配はない。が、室内だというのに彼の手には青い手袋がはめられている。
「調子悪いって聞いたけど、見たとこそんなでもないね」
「セリカは?」
「ユンヌさんともめてる。初詣のことで」
ぱたん、と扉を背で閉めて、苦笑する。
アルムの傍らには大抵セリカがいるので、マルスに限らず兄弟達が彼と二人で話す機会はそう多くない。
ましてやこんなに静かな場所では。
「巻き込まれる前に逃げてきたんだ。ちょっとここにいてもいい?
 怒ってるとき、って言うかユンヌさんと言い争ってるときのセリカ、恐くって」
恐いと言いながらも、その表情はどこか幸せそうだ。
「一応、僕のじゃなくてロイの部屋だけどね」
アルムは空いた椅子を一瞥しつつも、適当な床に座った。
廊下からバタバタと足音が聞こえる。最後の方に、何かに足の小指でもぶつけたのか、悲痛な呻き声がした。
顔を合わせて笑う。
特に話したいこともないのだが、かといって気まずい沈黙が続くことはない。
互いに黙っていても何故か楽しい。気の置けない家族だから、だろうか。
--今朝と違って。
「アルムがセリカと喧嘩してるとこ、あんまり見ない、けどさ」
たどたどしい言葉が響いた。
珍しい生き物と遭遇したかのような、きょとんとした目でアルムは兄を見る。
「兄さんが喧嘩しすぎなんだよ」
「いつも仲良くしてるから、ずっと仲良くしていられるの?
 君と、僕だってそうだ。あまり二人きりで話したりしないけど、代わりに喧嘩もしない。
 だから今もこうしていられるのかな」
疑問とひとりごとが半々に混じって、勝手にマルスの口から漏れる。
自信に満ちた、もしくはそう演じていた彼らしからぬ、歪めた声。
その意外性に驚くよりも、アルムは少し淋しくなった。たとえ何千、何百もの親しい人間がそばにいてくれたとしても、
心の持ち様によって人は独りになれるのだろうと思う。だけどそれでは、人と出会い親しくなった意味が消えてしまう。
目の前の兄が今まさにその意味を消そうとしていた。明確な証拠はないけれど、少なくとも彼の目にはそう映るのである。

待って、と、アルムが身を乗り出した。
「この家にいる誰かをほんとに、本気で嫌いになったとしたら、
 みんなさっさと出て行っちゃうと思うよ。後先考えなくって、それに顔広いから泊まる場所なんていくらでもあるし」
言葉をまとめる時間すら惜しんでいた。なんとなく、急がなくてはならない気がしたからだ。
「ヘンに意識しなくたって、兄さんは充分みんなと仲いいよ。蔑んでも罵っても陥れても!」
「…慰めてられてるの? これ」
ロイやリーフと同じ、悪意のない顔。
誰からしてもそんなイメージを抱かれているのかと笑う。
「その言い方、散々人を馬鹿にしておいて、嫌われるのは怖いんだ? 君の思う僕ってのは」
「そうだよ」
きっぱりとした声で返ってきた。-つまり、姑息な臆病者とでも言うのか。
マルスの体が固まる。
アルムは一息入れてから、しっかりと面を上げて続けた。
「家族に嫌われてもなんにも感じない人が、僕とセリカの兄さんだなんて考えたくない」