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Last-modified: 2011-05-30 (月) 22:02:53

大量の洋服を抱え、階段を下りるエリンシア。
ふと目線を足元から上げたとき、居間の扉のすぐ横、壁にもたれかかるリンを見つけた。
周囲を見回し、丁度いい荷物の置き場がないと悟ると、そのまま彼女に近づいた。
「随分と暗い顔をして。似合いませんわ」
やさしく微笑む姉に、無理に笑って返す。気の利いた返事が思いつかなかったためだ。
「またマルスちゃんに色々言われたんでしょう。せっかく心配して残ってあげたのに、ね。
 あの子も素直になれないだけだから…」
「違うの。そういうんじゃなくて」
リンは後ろに組んだ手をもたもたと動かして、愛想笑いを崩さないまま言った。
「朝ね、色々言われるどころか、ちょっと話して、あとはずーっと黙ったままで。
 黙ってると余計なこと考えるじゃない。
 そう、だからそれで、私ってあいつとちゃんと向き合ってないんじゃないか、って」
からかわれては怒るばかりで、中身のある会話なんて殆どした覚えがない。
本当にこれでいいのか、近ごろリンにも思うところがあったのだ。
まずは自分からと真面目な話を切り出そうとしたものの、いざとなると言葉に詰まってしまい、
それが今朝の重たい沈黙を生んでしまった。
普通の姉弟として仲良くしたいと思っていたのは、マルスの方だけではなかったということだ。

そこへパタパタとスリッパが鳴った。セリスがからっぽになった大きいカゴを持って走ってくる。
エリンシアの両腕いっぱいに積もった衣類を見、ぱっと顔を輝かせた。
彼の出てきた方向には脱衣所がある。カゴはそこから持ってきたのだろう。
「持ってるの全部ここに入れていいよ。僕が運ぶから!
 あ、これ洗うの? たたむの?」
正月気分に浮かれているせいか、普段より幾分幼い弟の態度に、エリンシアはくすりと笑った。
一方でリンは、まさか今の発言を聞かれたのではと顔を赤くする。
「これは破れたりして着られなくなったものだから、そうねえ、目立たない場所にでも置いてくれればいいわ」
「うん、わかった」
満面の笑みをたたえ答えると、セリスは洋服を姉の腕からカゴへと移した。
そして再びスリッパを鳴らしで--いたのはほんの僅かの間で、予想外に重かったのか、
カゴは半ばひきずられるかたちで遠ざかっていった。
かわいい子、と穏やかな声でつぶやく。
「大した悩み事でもないのに、聞かれるのがそんなに恥ずかしいかしら」
どうやらそれは弟でなく、妹のことだったらしい。
リンが、むっとエリンシアを見上げる。
「姉さんにとっては大したことないかもしれないけど」
「なんでも大真面目に考えればいいってものじゃないわ」
いとおしげに、リンの頭を軽く撫でた。
頭の奥、あとでマルスからも話を聞いてみようと思いながら、
「エリウッドちゃんを見ていればよくわかるでしょう。これ以上お薬代がかさむのは困ります!」
いたずらっぽく言うと、ドアノブに腕を伸ばした。
きっとマルスもリンと同じ悩みを抱いているのだろう。
今ある情報量からすると、予測より願望に近い考えではあるが、彼女はそう信じていた。
現段階でそれが事実と知るのは、これを読んでいるスレ住人くらいだ。
瞬間、カチャリ、とノブを下げると、
「うう、すまない…僕が胃炎なんか患ったばかりに家計に負担を」
「あ、あら? 居間にいたなんて知らなくて…その、もののたとえとでも…ほほほ」
扉の向こうから聞こえた声に、リンは噴きだした。

廊下の真ん中、先程出たばかりの部屋の扉を閉めて、マルスはアルムに礼を言った。
逆に、好き放題言って悪かったとアルムは首を横に振る。
階段の下に姉の姿を確認し、足踏みしかけたが、深く息を吸ってゆっくりと下りはじめる。
音に気づいたのか、リンも腕を組み、ちらちらと階段の方に目をやりながらその訪れを待つ。
思わずアルムは物陰に隠れ、固唾を呑んだ。
「マルス」
完全に段から下りる前に、凛と澄んだ声が名を呼ぶ。
名の持ち主は足を止め、床の汚れ、かすかに残ったチリや埃を探す。でないと恐怖に呑まれそうだった。
「忘れてるかもしれないけど、私はあんたの姉なんだから。
 ヤなこととか、困ったことがあったら、頼っていいの。貸しにしたりしないわよ」
照れと緊張を隠すためか、少々雑な言い方ではあったけれど、
それで充分だった。
マルスの口元から自然と笑みがこぼれるのを、不確かながらも見たアルムが安堵する。
そっとリンの許へ近づき、いつもの意地の悪い態度で、
「敢えて言うなら、容姿・性格と一切の取り得がない出来の悪い姉の
 将来と存在を思ってひどく不安いははた痛い! くひ、口が裂けふはけうって!!」
「ほんっ、とーに真面目に悩んでた私がバッカみたい! もう二ッ度と心配なんかしてやらないから!」
くだらない争いを仕掛ける兄に、呆れて笑う。
「あれで嫌われたくないってのは、すごいワガママだよなー。セリカにあんなこと言ったら僕絶対許さないもん。
 …でも、ああしてるときの二人が一番楽しそうだよ」
一応、曲がりなりにも"リンの身を案じている"と素直な思いを伝えただけ、進歩したと思っておこう。
最後の言葉は口には出さず、アルムは立ち上がって上半身を伸ばした。
いい加減、愛する恋人と女神の不毛な争いも、こちらと違って決着がついただろう。一時的なものではあるが。
鼻の中に夕飯の匂いが満ちてくる。耳からは悲鳴、瞳の中へは混沌とした光景。
どんなに家族の性格が変化していっても、これだけは今年も来年もきっと最期まで、変わらない気がした。

「ロイ、なんでマルス兄さん連れて来たがらなかったの?
 心配してるって口調じゃなかったよ」
褪せたタイルの歩道で歩みを止め、リーフが訊ねる。
ロイの言った通り、街は人影もまばらに静まり返っていたが、不思議と情緒にあふれていた。
「キョウダイで仲良くする方法とか、僕らよりアルムやセリカ辺りがよく知ってるかなぁと。
 正月って神様絡みの行事が多いからセリカとユンヌさんがもめてる確率、
 つまりアルムが一人になってる可能性も高いし、上手いこと兄さんと二人で、ゆっくり話させるのが一番だと思って」
思いもよらなかった回答を一度に渡されたので、リーフは少々困惑した。
そもそも彼の、姉と仲良く云々は冗談混じりの話であったから、
兄と弟がそれを本気で捉え考えていたことは予想外である。
ロイは出かける直前、何故かアルムにだけマルスの不調を伝えていたのだが、
かなりの時間を経過して、ようやく理由が判明した。
「何億年前に生まれたかもわからない空でさえ、朝から夜にいきなり変わったりできないんだから。
 十年ちょっとしか生きてない僕らには尚更、できるわけないのにねぇ」
家のある方角へ向けて、楽しそうな顔に埋め込まれた目を物憂げに伏せる。
すっかり大人びた背中を、リーフはどこか釈然としない様子で眺めていた。
結局今日の自分は余計なことを言って兄を困らせ、弟の作戦には見事にはまっただけでないのかと。
「えーっと、ロイが策士だってことはわかった、たぶん」
「兄さんたちが無策なだけだよ」
桃と橙の色に染まりはじめた雲を視界の隅に入れて、二人は帰路を辿る。

「まあ最終的に、今年も欠陥だらけの我が家は補い合って成り立ってますーでいっか」
「ん、何か言った?」
リーフは溜息と一緒に、小さく笑った。
「いいや。空がどーのって哲学ぶった台詞、何年か経ったらロイの中で黒歴史になりそうだよねって」
「うるさいなあ」
彼らが市街地を離れる頃、
家はいつも通りやかましく、暑苦しく在るのだろう。