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Last-modified: 2009-08-12 (水) 21:40:36

メイドなキミ

 

 ほとんど形骸化しつつあるが、紋章町には貴族制度というものが残っている。
 公爵やら伯爵やら男爵やら。無論、彼らはもう権力は持っていないが、
 やはり脈々と続いてきた由緒正しき名家だけあって、大抵は資産家である。
 呆れるほど巨大な紋章町の一角、マギ・ヴァル地区には、そんな貴族たちの家の一つ、フレリア家が存在する。
 その邸宅は、一般市民ならば見ただけで圧倒されるか笑ってしまうかのどちらかであろう、大豪邸である。
 邸内の各所は随時重騎士が巡回しており、なおかつ上空では無数の天馬騎士が警戒態勢を取っている。
 泥棒など入る隙間もないほどの、鉄壁の守りである。
 そして、今回の話において一番重要な点だが、この屋敷にはその豪華さに見合った人種が存在する。
 使用人、すなわち、バトラーやら庭師やらメイドやら、である。
 ある朝、この豪邸の一角で、一人の青年が目を覚ました。フレリア家の嫡男であり、次期当主でもあるヒーニアスだ。
 今日も今日とてベッドの上で静かに身を起こしたヒーニアスは、壁の大時計を見て満足気に微笑んだ。

ヒーニアス (うむ、今日もいい目覚めだ。正しく規則的な生活を送るのは貴族としての……ん?)

 いつもの如く心の中で自分を賞賛し始めたヒーニアスは、部屋の中に見慣れぬものを見つけて目を細めた。
 青く長い髪の、メイドの後姿である。無論、ヒーニアスとて貴族だから、メイド自体は見慣れている。
 だが、彼の部屋を掃除するメイドは、この時間帯はまだ邸宅に来ていないはずである。
 それに、こんな青い髪のメイドは今まで屋敷内で見かけたことがない。

ヒーニアス (誰だ? 最近勤め始めたばかりで勝手を知らぬメイドが、ここがどこかも知らずに入り込んだのか?)

 どうも奇妙な話だと思いつつも、ヒーニアスはとりあえず声をかけてみることにした。
 自分の部屋に誰かがいる、という状況自体は慣れているが、その誰かが誰だか分からぬというのは少し不快だ。

ヒーニアス 「君」
???   「はい?」
ヒーニアス 「ここは君の担当で……は……」

 ヒーニアスは硬直した。振り向いたメイドの顔に、見覚えがあったのである。
 いや、見覚えがあるというレベルではない。よく夢に見たり頭に思い描いたりする。
 彼女を巡って、他の男と目も当てられないような争いを繰り広げたことがある。割と何度も。

ヒーニアス (そんな、馬鹿な。何故彼女がこんなところにこんな格好で……!)

 目を見開いたまま固まっているヒーニアスの前で、彼女はにっこりと微笑んだ。

エイリーク 「おはようございます、ヒーニアス様」
ヒーニアス 「……エイリーク! 何故君がこんなところに!? いや、そんなことよりその格好は一体……!」
エイリーク 「はい、実は……」
ターナ   「わたしが雇ったのよ」
ヒーニアス 「ターナ。雇った、とはどういう……」
ターナ   「あ、エイリーク。次はわたしの部屋のお掃除をお願いできる?」
エイリーク 「はい、分かりました」
ターナ   「ごめんね、友達にこんなこと……」
エイリーク 「いいえ、今のわたしはあなたに雇われた身ですもの」
ターナ   「それはそうだけど……ま、いっか。じゃ、お願いね」
エイリーク 「ふふっ……かしこまりました、ご主人様」
ヒーニアス ( ご 主 人 様 だ と ! ? )

 耳慣れぬ言葉に衝撃を受けて立ち尽くすヒーニアスの前で、エイリークは形のいい礼を一つ残してしずしずと部屋を出て行った。

ターナ   「……お兄様? ヒーニアスお兄様ったら!」
ヒーニアス 「はっ……いかん、あまりの衝撃に我を忘れてしまった。私としたことが」
ターナ   「何ていうか、すごく予想通りの反応だわ……」
ヒーニアス 「ターナ、これは一体どういうことだ? 彼女を雇った、などと……」
ターナ   「冗談でも比喩表現でもないわ。別に演劇の練習をしてるって訳でもないし。
       読んで字の如く、エイリークはこの屋敷でメイドさんとして働くことになったの」
ヒーニアス 「何故そのような素晴らしい、いや常軌を逸した事態に……!」
ターナ   「実は、エイリークが家計を助けるために自分もバイトしたいって言い出して」
ヒーニアス 「家計……ふっ、そうだったな、彼女の家は貧困に喘いでいるのだったな。
       全く、私と婚約しさえすれば、そのような苦労など一瞬で」
ターナ   「あー、はいはい、そういうのはどうでもいいから。
       それで、バイトって言ってもエイリークって結構世間知らずなところあるでしょ?
       いつの間にか変なところで働かされてました、なんてことになったら大変じゃない。
       それで、エフラムとか、ご兄弟の皆さんに頼まれて、家でアルバイトのメイドさんとして
       働いてもらうことになったの。エイリーク、他にも部活とか習い事とかいろいろあるから、
       あんまり気疲れするようなところで働くっていうのも可哀想だし」
ヒーニアス 「……ターナよ」
ターナ   「なに?」
ヒーニアス 「兄は恥ずかしいぞ、友人を金で縛り付けるような真似を……」
ターナ   「……と言いつつ、この私の手を握ってぶんぶん上下に振ってるお兄様の手はなに?」
ヒーニアス 「でかしたぞターナ!」
ターナ   「いや、正直になられても困るけど」
ヒーニアス 「そうか、ということは、彼女は正真正銘我がフレリア家のメイドという訳か!
       ご主人様、ご主人様か。悪くない、ヒーニアス様という呼び方も
       非常に耳障りが良かったが、こちらはそれを遥かに超える心地よい響きだ!」
ターナ   「それはようございましたね」
ヒーニアス 「さて、そうと決まれば早速彼女に役目を与えねばなるまい。
       ふむ、まずは何をしてもらおうか。そうだな、わたしの弓の訓練に付き合ってもらい、
       『まあご主人様、素晴らしい腕前です』と賞賛させた後冷たい飲み物を運ばせ
       『君もこちらへ座るといい』『いけませんそんな、身分違いです』と
       映画のようなやり取りを存分に楽しんだ後部屋で……」
ターナ   「……盛り上がってるところ悪いんだけど」
ヒーニアス 「どうした妹よ」
ターナ   「それ、無理だから」
ヒーニアス 「……何が?」
ターナ   「その妄想、全部。ほら、エイリークを雇ったの、わたしだし。
       もちろんお金は家から出るけど、エイリークの『ご主人様』って、わたしだけだから。
       要するに、メイドのエイリークさんに頼みごとが出来るのは、わたしだけってこと」
ヒーニアス 「な、なに!? 馬鹿な、そんなことが許されるはずが……!」
ターナ   「許すも何も、雇ったのわたしだし」
ヒーニアス 「……ならば何故彼女をわたしの部屋の掃除になど寄越したのだ!?」
ターナ   「だって、後でエイリークのこと見つけたら絶対大騒ぎするでしょお兄様。
       下手したら勝手にどっか連れて行っちゃうかもしれないし」
ヒーニアス 「ぐ……」
ターナ   「大体ね、さっきエイリークも言ってたけど、これはアルバイトなの。
       ヒーニアスお兄様の個人的な欲望に付き合った挙句にお金もらいました、じゃ、
       真面目なエイリークが納得しないでしょ。彼女には普通のメイドとして働いてもらいますからね」
ヒーニアス 「ま、待てターナ、わたしの話を……」
エイリーク 「ター……いえ、ご主人様、お部屋の掃除が終わりました」
ターナ   「わあ、さっすがエイリーク、仕事が早い!」
エイリーク 「それで、次は何を……」
ターナ   「んー、それについては、わたしの部屋でゆっくり話しましょ」
エイリーク 「かしこまりました、ご主人様。ではヒーニアス様、ごきげんよう」
ヒーニアス 「ちょ、待っ……!」

 手を伸ばすヒーニアスの前で、扉はゆっくりと閉ざされる。

ヒーニアス 「エイリークゥゥゥゥゥゥッ! わたしのこともご主人様と呼んでくれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 ヒーニアスの切なる叫びは、皮肉にも彼の部屋が完全防音だったために、廊下を歩くエイリークに届くことはなかったという。

 一方その頃、同町内中央部、竜王家。

ユリウス  「ふあぁぁぁぁぁ……やっぱ、休みの日はこの時間まで寝ているに限る……ん?」
???   「ふーん、ふーんふんふーんふーん♪(FEのテーマ)」
ユリウス  (おっ、あの楽しげにはたきをかけてるメイド……僕の好みのタイプだ!
       長く艶やかな青い髪、優しそうな瞳に明るい笑顔……いいね、実にいい!
       知らない子だなあ、新しく入ったのかなあ。よし、ここはさり気なく声をかけて)
???   「あ」
ユリウス  (こっち向いた! やべー、正面から見るとますます可愛いよ。
       でも何だろう。って言うか、この子、どっかで見たことあるような……)
???   「おはようございます、ご主人様」
ユリウス  (おお、言いなれてない感じの『ご主人様』、いいねえ、初々しくて実にいい感じだよ)
???   「あの……?」
ユリウス  「ああ、ごめんごめん、初めて見る顔だね、最近入った子?」
???   「クスクス……何を仰るんですかご主人様ったら、毎日のように顔を合わせているじゃありませんか」
ユリウス  「え……そ、そうだっけ?」
???   「はい。わたしも、ご主人様のこと、よく知っていますよ。
       格好よくて優しくて、とても頼りになる男の子……」
ユリウス  「ははは、そんなに褒められると照れちゃうなあ……ところで、君の名前は?」
???   「はい、わたし、セリスと申します」
ユリウス  「ふーん、セリスねセリス、いい名前だなあ、セリス、セリス、セリ……ス……?」
???   (にこにこ)
ユリウス  「なんじゃそりゃーっ!?」
セリス   「わあ、びっくりした」
ユリウス  「びっくりした、じゃない! お前はこんなとこで何やってんだ!?」
セリス   「あはは、驚いた、ユリウス? 今まで気付かなかったんだ。
       やっぱり、服が変わってるせいかな。あ、それに、髪も下ろしてるし」
ユリウス  「気づく訳ないだろ! お前、その服は何なんだよ!」
セリス   「ああ、メイドさんの服のこと? 貸してもらったんだよ。ね、似合う?」

 言いつつ、セリスはその場で軽やかに一回転する。ふわりと踊るスカートに、ユリウスは歯噛みした。

ユリウス  「ああ似合うとも、嫌になるぐらいにな」
セリス   「本当? 良かったぁ」
ユリウス  「良くないよ! と言うか、お前、自分の格好に何の疑問も持ってないのか!?」
セリス   「疑問って?」
ユリウス  「なんで男のお前が平気な顔してメイド服着てるのかってことだよ!」
セリス   「あれ、やっぱり似合ってない?」
ユリウス  「似合ってるからこそ問題なんだろ!」
セリス   「うーん……ユリウスの言ってること、よく分からないよ。
       僕、昔はずっと女の子の服だったし。その頃は変だって言わなかったよね、ユリウス」
ユリウス  (そりゃそうだ、会ったばっかの頃はお前のこと女の子だと思ってたからな……)
セリス   「どうしたの?」
ユリウス  「何でもないよ……って言うか、少しは恥ずかしがってくれ、頼むから」
セリス   「? どうして?」
ユリウス  「……なあセリス。お前、男なんだろ?」
セリス   「もちろんだよ。どうしたの、急に」
ユリウス  「男のお前が女の服を着るって、おかしいと思わないか?」
セリス   「でも、似合ってるって……」
ユリウス  「いやだからな、そういう問題じゃ……」
ユリア   「まあ、何をなさってるんですか、ユリウス兄様」
ユリウス  「あ、ユリア、聞いてくれよ、この馬鹿が……
       ああ、この馬鹿ってのは、ここで平然とメイド服着こなしてる野朗のことなんだけど」
セリス   「あ、ご主人様、この辺の掃除終わりました」
ユリア   「はい、ありがとうございます。では、次は炊事場に行ってイドゥン姉様のお手伝いをお願いします」
セリス   「かしこまりました、ご主人様。それじゃ、またねユリウス」
ユリウス  「……どういうこと?」
ユリア   「わたしがお雇いしたのです」
ユリウス  「セリスを?」
ユリア   「はい。セリス様が、自分も何とか家計を助けたいと仰っていましたので。
       でも、セリス様はユリウス兄様なんかを尊敬してることからも分かるように、人を見る目がありません」
ユリウス  「ちょ、『なんか』ってひどくない? ひどすぎない?」
ユリア   「いえ、極めて正当な評価です。それで、そんなセリス様が悪い人に騙されたら大変だと思ったのです。
       悪い人に捕まっていかがわしいビデオに出演させられた挙句、
       太った変態貴族に『美しい』とか『わたしの小鳥ちゃん』だとか連呼されるセリス様……そんなの耐えられません」
ユリウス  「……僕としてはそうなった方がむしろこうつご」
ユリア   「お兄様?」
ユリウス  「あ、いえ、なんでもないです……」
ユリア   「ですから、我が家で雇って差し上げたのです。
       もちろん、あの服を着せてさしあげたのもわたし……」
ユリウス  「……なんで?」
ユリア   「もちろん、凄く似合うからです。ああメイドのセリス様、とっても可愛らしい(うっとり)」
ユリウス  「……僕としては、ユリアが着てくれた方が百倍嬉しいんだけどなあ……」
ユリア   「まあ、妹にそんなことをしようだなんて、お兄様はやはり変態だったのですか」
ユリウス  「違うよ! やはりとか言うなよ! っつーか、変態って言うならあいつだろ、セリス!
       せめてメイド服なんか着せられて無茶苦茶嫌がる、とかだったらこっちもやりようがあったのに……!」
ユリア   「何をするにも笑顔笑顔のセリス様……ああ、なんてお心の広い……」
ユリウス  「そういう問題じゃないってば」
ユリア   「……口説こうとしてたくせに」
ユリウス  「ぐっ」
ユリア   「ユリウス兄様だって、あのお姿のセリス様のことを可愛らしいと思ったのでしょう?」
ユリウス  「……百歩譲ってそれは認めるとしても……」
ユリア   「とにかく、セリス様はこの家でメイドとして働くことになったのです。
       当然ながら雇い主はわたしですので、いじめたりしたらどうなるか……」
ユリウス  「わ、分かった、分かってるからナーガの魔導書ちらつかせないでよ!」
ユリア   「さすがお兄様、物分りがよろしくて助かりますわ」
ユリウス  「ぐぐぐ……!? な、なんだ、この殺気……!?」
ラナ    「ユリアァァァァァァァッ!」
ユリア   「……ッ! 出ましたね、ラナオウ!」
ユリウス  「ま、またこいつか……! セリスが絡むとどこからともなくリワープしてきやがって!」
ラナ    「メイドなセリス様を独り占めしようだなんて、言語道断!」
ユリア   「それはこちらの台詞! あなたなんかに、メイドなセリス様は渡しません!」
ユリウス  「いや、ちょ、二人とも落ち着い……」
二人    「くたばれええええぇぇッッ!」
ユリウス  「ギャァァァァァァァァッ!」

 とまあこのように、竜虎ならぬ竜羊の戦いで竜王家の屋敷が半壊してしまったので、
 セリスのアルバイトは初日で中断されることとなったそうな。

<おしまい>