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Last-modified: 2007-07-15 (日) 02:47:53

兄妹アルバム~アルムとセリカ~

 

「なによ、シグルド兄さんの分からず屋!」
 という怒鳴り声が聞こえてくるのと同時に、ロイは廊下の壁に背をつけて道を開けていた。
 ほとんど間を置かずに居間の扉が乱暴に押し開けられる。怒り心頭といった表情のセリカが飛び出してきて、足
音も荒く二階に上っていった。
 そんな姉を無言で見送った後、ロイは深々とため息を吐き出した。
(まただよ。セリカ姉さん、怒ると怖いからな……しばらくそっとしておこう)
 そんなことを考えつつ、そっと居間に足を踏み入れる。中では、シグルドがソファに座って頭を抱えていた。
予想通りの光景である。
「今日はどうしたの、シグルド兄さん」
「ん……ああ、ロイか」
 シグルドが、ため息混じりに顔を上げる。
「いつも通り、あまり兄弟でベタベタするのはよくないと言ったら」
「いつも通り『いやらしい目で見ないで』と反論されて口論になったんだね」
「よく分かってるじゃないか」
「いつものパターンだからね」
 答えつつ、ロイはシグルドの隣に座った。
「兄さんも、話の切り出し方をもうちょっと変えた方がいいんじゃないかな」
「うむ。わたしもそう思ってはいるのだが、どうもセリカの顔を見ると、つい口うるさくなってしまってな」
 シグルドは、また深々と重苦しいため息を吐き出した。
「あの子も、昔は絶対にあんな風に怒鳴ったりはしない、本当に大人しい子だったんだがな」
「そうなんだ。じゃ、いつからああなったの?」
「いつから、か。そうだな、あれは、二人がまだ幼稚園に通っていたぐらいの頃だったか」
 シグルドが、遠くを見るように目を細める。これは長くなるな、とロイは思った。
 とは言え、面倒くさがって席を立つような真似はしない。
 いろいろと心労の多い兄の愚痴を聞くのも、弟の役割だと自覚していたからだ。
 そんな訳で、シグルドの話はおよそ十年ほど前の、とある休日の昼下がりに飛んだ。

 

「シグルドにいさん!」
 という泣き声を背に聞いたのは、炎天下、シグルドが鎌を片手に庭の草刈りに励んでいたときのことである。
 額の汗を拭いつつ振り返ると、赤毛の小さな女の子が泣きじゃくりながら走ってくるのが見えた。
 危なくないように鎌を傍らに置き、シグルドは両手を広げて女の子の小さな体を受け止めてやった。
「どうした、セリカ。どうしてそんなに泣いているんだ」
「あのね、あのね」
 セリカはぐずぐずと鼻を啜り上げながら、目に一杯涙をためて、シグルドを見上げてきた。
「アルムがいじめるの」
「ほう、アルムがな」
 またか、と思うと同時に、家の角から現れたアルムが、「あーっ!」と叫んでこちらを指差してきた。
「セリカ、またシグルドにいさんに言ったな! ずるいぞ!」
 セリカが一層激しい泣き声を上げながら、シグルドの背に隠れる。シグルドは苦笑しながら、アルムに向かっ
て手招きした。
「アルム、こっちに来なさい」
 アルムは警戒するように、少し身を引いてこちらを睨む。
「やだよ、怒るんでしょ、シグルドにいさん」
「お前は、わたしを怒らせるようなことを何かしたのか?」
「ちがうよ、ぼくは」
「違うのなら、こっちに来て何があったのか話してくれ。セリカは泣いてばかりで、事情が分からないからね」
 アルムは少し躊躇う様子を見せたが、結局文句ありげに唇を尖らせながらシグルドの前まで歩いてきた。
「よし、いい子だ」
 シグルドは笑いながらアルムの頭をぽんぽんと軽く叩き、「さて」と弟の顔を覗き込んだ。
「何があったか、話してくれるな? どうしてセリカは泣いてるんだ?」
「勝手に泣いたんだよ」
「アルムがいじめるの!」
 アルムがふて腐れたように言うのと同時に、シグルドの背中に隠れたセリカが泣き叫ぶ。
「うそつくなよ、セリカ!」
「うそじゃないもん、アルムがわたしをいじめるの!」
「こいつ!」
 興奮したアルムがセリカに飛び掛り、泣きながら逃げるセリカを追いかけて、二人してシグルドの周りをぐる
ぐる回り始める。
「こら、二人とも、止めなさい」
 シグルドは苦笑しながら二人の体を引き寄せ、左腕にアルムを、右腕にセリカを抱え込んだ。
「落ち着いて、何があったのか順々に説明するんだ。いいね?」
 ゆっくりと言い聞かせてやると、アルムは暴れるのを止め、セリカも時折鼻を啜り上げる程度に泣き止んでくれた。
「セリカが、ぼくのあとをついてくるんだよ」
 最初にそう説明したのはアルムである。
「それで、『何か用か』って聞くと逃げるくせに、一人で遊んでるとまた後ろでじっとこっちを見てるんだ。
 ずっとそんな風にしてるから」
「それが気に入らなくて、怒鳴ったという訳か」
 一生懸命話すアルムの言葉を継いでやると、小さな弟はこっくりと頷いた。
「こいつ、ぼくのことからかって遊んでるんだよ」
「ち、ちがうの!」
 敵意むき出しのアルムの言葉に、セリカは必死で首を横に振る。シグルドは妹の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、どうしてアルムのあとについていったりしたんだい?」
 微笑みながら訊くと、セリカは顔色を窺うようにアルムの顔をちらちらと見ながら、
「あのね、うんとね」
 と、何やら言いにくそうに口をもごもごさせた。それを見て何となく事情を察したシグルドが、
「ひょっとして、アルムと一緒に遊びたかったのかい?」
 と言ってやると、セリカは驚いたように目をぱちぱちさせてから、「うん」と大きく頷いた。
「じゃあそう言えよな」
 アルムが口を尖らせると、セリカはまた「だって」と目に涙を溜め始める。
 シグルドはあやすようにセリカの体を軽く揺すりながら、ゆっくりと問いかけた。
「そうか。セリカは、アルムと一緒に遊びたかったんだな」
 シグルドの腕の中で、セリカは目に涙を溜めたまま頷く。一方、アルムは納得しかねる様子だった。
「なんでさ。姉さんたちと遊べばいいじゃん」
「だって」
 セリカはまた口ごもってしまう。シグルドは、はにかみ屋の妹に助け舟を出した。
「エリンシア姉さんとじゃ、ダメなのか?」
「おりょうりとかおせんたくとかしてて、いそがしそう」
「エイリーク姉さんは?」
「おべんきょうしてる」
「リン姉さんは?」
「こわい」
 実に正直で、分かりやすい答えが返ってきたものだ。シグルドは感心しつつ苦笑した。
 この時期、ミカヤはまだ駆け出しの占い師として町に出ずっぱりであり、エリンシアは日々泥だらけになって
遊ぶ弟たちのためにまだ不慣れな家事に追われていて、エイリークは既に学問に興味を示して一日中部屋で本を
読んでいたりした。リンに至ってはヘクトルやエフラム、エリウッドと共にTシャツ短パンでそこら中を駆け回
る見事な悪ガキぶりを発揮しており、いずれにしても大人しいセリカが一緒に遊ぶのにはハードルが高い相手な
のである。
 そうなると残りは男兄弟しかいない訳で、その中でも年の近いアルムと一緒にいたいとセリカが願うのは、当
然と言えば当然の話なのであった。
「よし、それじゃアルム、セリカと一緒に遊んでやりなさい」
「えーっ!」
 アルムは抗議の声を上げながら顔をしかめた。
「やだよ、女と遊ぶなんて、かっこ悪いもん」
 幼稚園児という年齢から考えると、少々ませた意見である。
 大方ヘクトル辺りに吹き込まれたのだろうと想像しつつ、シグルドは首を振ってみせた。
「いいや、それは違うぞ、アルム。かっこいい男って言うのは、そんなの気にせず誰にでも優しくするものなんだぞ」
「そうなの?」
「そうとも。しかも、相手が妹となれば、守ってやるのが真にかっこいい男というものだ」
「じゃ、シグルドにいさんもそうしたの?」
「ああ、わたしだってエリンシアが小さい頃は、一緒に遊んでやっていたぞ」
「ほんとう?」
「本当だとも」
 そこまで言ってやると、アルムはきらきらと目を輝かせ始めた。
「分かった、じゃあぼく、セリカと遊んであげるよ」
「うむ。だが遊んであげるだけではダメだ。妹のことを守ってやってこそ、真の男というものだ。ヒーロー、い
 や、勇者というやつだな」
 勇者、という単語を聞いて、アルムはいささか興奮気味にぶんぶんと首を縦に振った。
「うん、ぼく、セリカのこと守ってあげるよ!」
「よく言った、それでこそかっこいい男というものだぞ、アルム」
 満足して頷きながら、シグルドは弟たちから腕を離し、二人を向かい合わせた。
「さあセリカ、アルムが遊んでくれるぞ」
 兄達の話を幼いながらも真剣に聞いていたセリカは、それでもまだ安心できずに、上目遣いにアルムの方を
窺っていた。
「さ、行こうよセリカ」
 だが、アルムがそんな風に言って泥で汚れた手を差し出すと、ぱっと顔を輝かせ、
「うん!」
 と嬉しそうに頷き、二人揃って走っていってしまった。
「はしゃぎすぎて怪我しないようになー!」
 夢中で駆けていく二つの小さな背中に向かって呼びかけたあと、シグルドは満足げに一つ頷いて、草刈りの作
業に戻ったのであった。

 

「……というようなことがあってな」
 昔話を語り終えたあと、シグルドは感慨深げに頷いた。
「次の日からはアルムがセリカを遊びに誘うようになって、一週間も経つとセリカの方からアルムを誘うように
 なった。一ヵ月後には一緒にお風呂に入っていたし、半年も経つ頃にはどこへ行っても一緒に行動するように
 なった。それまですごく引っ込み思案だったセリカが、アルムと一緒に遊ぶようになってからは多少な
 りとも人と話せるようになってな。二人ともなんとも可愛らしい兄妹だと思っていたものさ。で、一年経つ頃
 にはもうラブラブというやつで、『わたし、アルムのお嫁さんになるの!』ときたもんだ」
 そこまで言って、シグルドはがっくりと肩を落とした。
「まさか、この年になってもまだ同じ事を言い続けているとは思いもしなかったが」
「なるほどねえ」
 相槌を打ちながら、ロイは首を傾げる。
「でもなんか、話の中のアルム兄さん、今よりずっと乱暴な感じだね」
「ああ。あいつはお前やセリスよりも、むしろヘクトルやエフラムに近い性格だったぞ。小さい頃から、どこの
 村の子供かと思うほどの探検好きでな。この辺りでは、あいつが登らなかった木の方が珍しいぐらいだった」
「腕白坊主だったんだね」
「うむ。まあ、セリカの方がアルムの影響を受けて活発になったのと同じように、
 アルムの方もセリカの影響を受けて多少穏やかになったんだろな。
 だが地は変わらん。その証拠に、たまに僕と俺で一人称がコロコロ変わったりするだろう」
「ひねりつぶしてやる! とか言ったりするしね」
「そうそう」
 笑ったあと、シグルドはまた物憂げなため息を吐き出した。
「全く。普通に仲のいい兄妹というのならともかく、どうしてあんな風にインモラルになってしまったのだか……」
 うんざりした様子で首を振るシグルドを見ていると、ロイの頭の隅にある疑念が湧いてきた。
「ねえ、シグルド兄さん」
「なんだ」
「セリカ姉さんとアルム兄さんが遊ぶようになったきっかけは今聞いたけど、その後は似たようなことはなかったの?」
「似たような……そうだな」
 シグルドは記憶を辿るように眉根を寄せ、指で顎を撫でた。
「確か、あの二人を一緒に風呂に入らせたり、テレビ漫画の映画に一緒に連れて行ってやったり、セリカママと
 アルムパパのおままごとにペット役で付き合ってやったり、ああそうそう、結婚式ごっこで神父役を務めたり
 もしたっけな。あのときは二人とも無邪気で、実に可愛らしかったものだ」
「そうなんだ」
「うむ。ああ、全く、あの二人を健全な道に引き戻すにはどうしたらいいのか……」
 うんうん唸りながら悩み始めるシグルドを置いて、ロイはそっと居間を出た。
 後ろ手に扉を閉めながら、今しがた聞いたことをもう一度頭の中で整理してみる。
(要するに)
 と、ロイは心の中で結論付けた。
(二人があんな風に仲が良すぎる兄妹になった原因の一端は、間違いなくシグルド兄さんにあるってことだよな)
 そして、一人納得するように頷いた。
(シグルド兄さん、自分で墓穴掘ったことに気がついてないよ)
 だが、それを言ってしまうとまた問題がややこしくなりそうな気がしたので、胸の内に閉まっておくことにした。
(セリカ姉さんにしてみれば、昔は応援してくれてたのに、今になって急に手の平返されたようなものだもんな。
 あんな風に毎度毎度シグルド兄さんに食って掛かるのは、その辺にも原因があるんだろうな、きっと)
 そう考えてみたりもしたが、こちらもやはり、言わぬが花なのであった。

 

 <おしまい>