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Last-modified: 2013-11-07 (木) 00:07:34

56 :ヤン→デレ 結:2010/11/29(月) 00:44:04 ID:yqhrhIn7

思い立ったらなんとやら、でエフラムの通う高校までダッシュでやってきたエイリークであったが、

校門前に来たときには自分の後先考えなさに情けなさを覚えていた。
とうの昔に放課後で、エフラムがまだ校内にいるかもわからない。
たとえいたとしても、まさか校内放送で呼び出してもらうわけにもいかないし。
名門校として有名なルネスの制服に身を包んだ美少女が玄関にいるということで、
かなり目立つこともあり、エイリークは恥ずかしさと居心地の悪さを感じていた。

エイリーク(これなら、素直に家で兄上を待っていたほうが……)

後先考えずに行動したことへの後悔が浮かぶ。
エイリークは普段はきちんと計画を立ててから行動するタイプだったが、
ごくたまに突発的な行動に出ることがある。
そんなときは大概、あまりいい結果を出せずにいた。
今回もそうなのだろうかと落胆しかかっていたが、KINSHINの神様が
もし存在するとしたならば、神はエイリークを見捨てていなかった。
玄関に現れたのは他でもない、エイリークの敬愛する兄エフラムである。

エフラム「ん、エイリーク、また監視に来たのか? 勉強なら言われた通りにやってるぞ」

その言葉が嘘でないのは、目元に深い隈ができていることからも容易に分かった。

エイリーク「いえ、そのことではなく……なんと言いますか……」
エフラム「どうした? まさかボーダーを90点に上げるとか言うつもりか?
        勘弁してくれ。さすがにこれ以上は無理だぞ」

お手上げ、とばかりに降参の意を示すエフラム。

エイリーク「いえ、違うんです! 試験のことではなく……
          いえ、試験に関係していると言えばしているんですけれど……」
エフラム「おいおい、本当にどうしたんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」
エイリーク「あ……あ……」

あれだけ粘着して試験勉強を強要しておいて、まともに話を聞いてもらえるとは、エイリーク自身も思っていなかった。
そういう思い込みが災いして、エフラムの口調が普段よりずっと棘があるように感じてしまう。

エイリーク(……怖い)

生まれて初めてそう思った。
兄のことが、ではない。兄に怒られ、嫌われるかもしれないことが、だ。

エイリーク(私は……こんなに兄上のことを……)

自らの心に秘められた『その感情』をこんなにも自覚したことはなかった。
業を煮やしたのか、エフラムが歩み寄ってくる。
どうしていいのか分からず、エイリークはうつむき、立ちすくむことしかできなかった。
落とした視線はエフラムの足から離れない。
やがて、エフラムが自分のすぐ目の前にまで来たことが分かった。
だが顔を上げることが、いや、エフラムの顔を見ることができない。
エフラムの右手がゆっくりと持ち上がり、かすかな風がエイリークの頬を撫で――

57 :ヤン→デレ 結:2010/11/29(月) 00:47:46 ID:yqhrhIn7

ぽんぽん、なでなで

エフラムの大きな手がエイリークの頭をなでる。
槍の握りに合わせていくつもタコができ、ゴツゴツしているのに、
ずっとなでてもらいたくなるような安らぎが感じられる、優しい掌だった。

エイリーク(そういえば、兄上に最後になでてもらったのはいつだったかしら。
          ミルラやサラちゃんはいつもなでてもらえてうらやまし……って違う!)

とても暖かくて、いつまでもなでなでしてもらいたくなるのは山々なのだが、ここは学校の玄関前。
今でも下校中の生徒が何事かとチラ見しているのだ。
恥ずかしいにもほどがある。
なんとか周囲の目を気にする理性が勝ったエイリーク。

エイリーク「あ、兄上……あの、人が見ていますからそろそろ……」

そう言いながらも、自分から離れようとはしないエイリークだった。

エフラム「なつかしいな。こうやってお前の頭をなでるのは、9歳のとき以来かな」
エイリーク「そ、そんなに昔になりますか?」
エフラム「小さい頃のお前は、家事の手伝いをやるとか、宿題を早めに終わらせるとか、
        いいことをやる度に、兄上や姉上になでなでをねだっていたぞ」
エイリーク「それはその、なにぶん小さいときの話ですから……」
エフラム「だが、何かつらいことや悲しいことがあったときには、俺にぴったりくっついて、じっと涙目で見つめてきたものだ」
エイリーク「う、嘘ですっ! そんな子供みたいなことするはずが……」
エフラム「残念だが本当だ。最初はなにをすればいいか分からなかったんだよ。
        お前は何も言わずに、ただ見つめてくるだけだったからな。
        しょうがないから俺は、ミカヤ姉上の真似をしてみることにしたんだ」

エフラムの口調が一層優しくなったように感じた。
過ぎ去った美しい思い出を振り返ろうとすると、人は自然とこのような口調になる。

エフラム「俺やヘクトルやリーフは子供の頃はイタズラばかりで、何か悪さをする度に
        エリンシア姉上にぶっ飛ばされたものだ。その後、3人揃って正座して、
        ミカヤ姉上やシグルド兄上に『ごめんなさい』って謝ってな」
エイリーク「目に浮かぶようです。というか今でもよくあることのような……」
エフラム「それは言うな。で、俺たちが謝ると、
        ミカヤ姉上が『よろしい。二度としないように』って言いながら、俺たちの頭をなでてくれるんだ。
        ミカヤ姉上の手は小さいし、冷え症のはずなのに、なぜかそのときはとても大きく、暖かく感じられてな。
        怒られてビクビクしていた俺には、それが救いの手のように感じられた。
        だから、俺がミカヤ姉上から与えられたようなものを、お前にも与えられたらと思って、
        ミカヤ姉上を真似て、お前の頭をなでてたんだよ」

忘れていた――いや、気恥ずかしさと禁忌の感情から覚えておかないようにしていた幼い頃の記憶。
捨てることはできず、無意識の奥深くにしまいこんでいた記憶。
だから、エフラムの言葉を聞いてすぐにたぐり寄せることができた。

58 :ヤン→デレ 結:2010/11/29(月) 00:51:31 ID:yqhrhIn7

エフラム「それでお前は、俺が頭をなでてやると、すぐに元気になっていたな」

エイリーク「そう……でしたね。あの頃の私は、餌をあげていた野良猫がいなくなったり、
          仲のいい友達が転校してしまったり、父上と母上がなぜ家にいないのか考えてしまったり……
          悲しい思いをする度に、もしかしたら兄上までいなくなってしまうのではないかと、怖くてたまらなかったんです」
エフラム「……そうだったのか。さっきのお前の表情は、あのとき俺に見せたのとそっくりだった。
        何か、つらい思いをしていたんだな」
エイリーク「はい……でもそれは、私のせいです。私が勝手に嫉妬して、兄上に無理にすがって……」

涙を流しながら、エイリークは全てを語った。
ミルラやアメリアたちへの嫉妬、エフラムが遠くに行ってしまうことへの不安、
その裏返しから試験勉強を強要し、エフラムを束縛しようとしたこと。
エイリークの告白を、エフラムは黙って聞いていた。

エイリーク「これが今回のいきさつです……兄上……本当に、本当にごめんなさい」

しゃくりあげながら謝罪の言葉を繰り返すエイリークは本当に弱々しく見えて、幼いころのエイリークそのものに見えた。
体は(胸以外)成長しても、中身はなかなか変わらないらしい。

エフラム(だがそれは、俺もだ)

マルスやフォルデあたりならもっと気の利いた慰めを言えたのかもしれないが、
エフラムには言葉がひとつしか浮かんでこない。
進歩がないのは、お互い様だ。
エフラムはあの時エイリークの頭を撫でたのと同じように、今回もエイリークの頭を撫でた。
そして、あの時、エイリークの頭を撫でながら言ったことを、また今回も言った。

59 :ヤン→デレ 結:2010/11/29(月) 00:54:22 ID:yqhrhIn7

エフラム「泣くなエイリーク。俺はずっと一緒に居るから」

エイリーク「あ……その台詞、あの時の……」
エフラム「ん……覚えていたのか。すまんな。あれから随分経ったというのに、俺の中身は成長していない」

エイリーク「いいえ。あのとき兄上がなでてくれて、言ってくれた言葉が本当に嬉しくて……
         兄上も、覚えていてくれたのですね」
エフラム「当たり前だ。俺は学はないが、大事なことを忘れるほどバカじゃない。
        それに、俺がお前を放っておくはずないだろう?
        俺たちは生まれる前からずっと一緒だったんだからな。今までも、これからもだ」

子供の頃の、約束というほど確かなものでもない絆を、エフラムは大事なことと言ってくれた。

エフラム「お前が嫌だと言ってもそばにい続けるから、覚悟しておけ」
エイリーク「兄上……」
エフラム「それになエイリーク、お前は勘違いしているぞ。
        少し強引ではあったが、今度の試験で全科目80点以上取るのは、お前との約束だ。
        俺はお前との約束を破ったりはしない。『兄の威厳』を見せてやるから、期待していろ」
エイリーク「ほ、本当ですか兄上? いえ、嬉しいですけど、無理はしないで……」
エフラム「忘れたか? 俺は勝ち目のない戦いはしない。自信があるからこうやって勉強してるんだ」
エイリーク「なぜ、ですか? 兄上はなぜそこまで……」

なぜ、と問われてエフラムは一瞬戸惑うような表情をしたが、すぐに笑顔を見せて、
いっそうエイリークの頭をなでる。もう『なでなで』を通り越して『わしわし』といった感じだ。

エフラム「それはな、俺がお前の兄だからだ。
        兄という生き物は妹には弱いものだと、ミカヤ姉上が生まれる前から相場が決まっているんだ」
エイリーク「クスクス……兄上らしいですね」

そう。エイリークに(←ここが超重要)お願いされると、エフラムはとても弱い。
それがエフラムという男だった。

60 :ヤン→デレ 結:2010/11/29(月) 00:57:28 ID:yqhrhIn7

エフラム「ようやく笑ったな。泣き顔だったり冷たい目をするのもたまにはいいが、やはりお前には笑顔でいてほしいな」

エイリーク「もう! 兄上、からかわないでください」
エフラム「ははは。さあ、そろそろ帰ろう。最後の追い込みをしないとな。エイリークも手伝ってくれるな?」
エイリーク「私でよければ喜んで! お夜食でも作りますか? 肩でもお揉みしましょうか?
          あ、私のノートでしたら、いつでも持ってきますから」
エフラム「そのセリフ、前にも聞いたぞ」

笑いながらエフラムはかばんから傘を取り出し、広げる。

エイリーク(あ、兄上、ちゃんと傘を持っていたのですか……)

エイリークのかばんの中にも傘は入っている。それも2本。
エフラムに傘を届けることを口実にここに来たのだから当然だ。
だから、本来なら『それ』をする必要はない。
だがエイリークは、今、無性に『それ』をしたいと思った。
ちょっと我侭だと思うが、今日くらいは自分の感情に正直になってもいいだろう。
だから、ささやかな嘘をつくことにした。

エイリーク「あの、兄上……私、傘を忘れてきてしまいまして……」
エフラム「ん? 準備のいいお前にしては珍しいな。よほど急いで来たのかな。まあいい、ほら」

エフラムは右手の傘を少しずらし、人ひとり入れるスペースを作ってエイリークを手招きした。

エイリーク「はい! 失礼します!」

ここしばらく忘れていた純粋な笑顔で、エイリークはエフラムの傘の下に駆け込んだ。

水滴が傘を叩く音が響く。
ふたりの間の会話はポツリポツリとしか続かない。
それでも、ふたりで同じ時間を共有できるだけで、エイリークは十分だった。
エイリークはこの時間が長く続くようにと思い、エフラムも
そんなエイリークに歩調を合わせるので、自然と歩みが遅くなる。
突然の雨とはいえ、通学路で相々傘をやるのはそれなりに目立つ。
エイリークとしても恥ずかしいという思いは当然ある。
だが、この胸に満ちる感情は、決して恥ずかしさだけによるものではなかった。

エイリーク(いつかは兄上も、もしかしたら私も、誰かを好きになって、
          その人とともに生きることになるのでしょうね……)

兄妹がいつまでも一緒にいられないことは分かっている。
『これまで』はそうでも、『これから』のことは誰にもわからない。

エイリーク(たとえそうだとしても、そのときが来るまでは……)

『今』は大好きな兄と共に生きていこう。
ふたり並んで、肩が触れ合うようなこの距離のままで。

終わり