35-630

Last-modified: 2012-08-21 (火) 15:18:50

炎正十二年七月六日。
都の南方リゲル国の屍竜の山は五百年の眠りを破って巨大な噴煙を巻き上げその大音響はリゲルの本城にまで轟いた。
その時の心境をリゲルの大名ルドルフは克明に記録に残している。
「山神の怒りか、儂の不徳を天が戒めておるのか。古の文献によれば屍竜の山が火を噴く年は必ずや飢饉が起こったという…
 窮民を救う道はソフィアにしかないであろう」

ルドルフの予見通りこの年の南国…リゲルとソフィアの両国の米の収穫高は壊滅的であったと言ってよい。
屍竜の山が噴き上げた噴煙は実に高度一万二千米、火山ガスより発した霧は成層圏にまで達し深刻な日照不足をもたらしたのだ。
冷害で稲は実らず田畑は荒れ果て飢えた農民は土地を捨てて離散していく。
ルドルフは年貢を免じるとともに城に蓄えられていた備蓄米を供出したがとうてい間に合うものではなかった。
これを救いうる道はまさしくソフィアにしかなかった。
リゲルに隣接するソフィアも同じように冷害に苦しめられているであろうが、
ルドルフが近隣諸国に放った間者の報告によれば信じがたい量の備蓄米が城内に蓄えられているという。
先代の大名リマ四世と彼から大名の座を奪ったドゼーは十年以上に渡って八公二民の重い年貢米を領民に化してきた。
米所のソフィアにおいて八割もの年貢で得られた収穫は膨大な物であり、兵糧や銭に替えた分もあろうがなお大量の米が城内に留め置かれているという。
「米蔵を開ければソフィアとリゲルの窮民を次の収穫までどうにか食わせられる事もできよう。
 いかに主君を殺した畜生道の男と言えども窮民の有様を見れば考えを変えるだろう」
そう考えたルドルフは使者を送り米の援助を求めた。
無論ただでくれなどとは言わない。
リゲルの城内の家宝や宝剣、掛け軸に屏風、高価な茶碗や絵巻物などあらゆる宝物を使者に持たせて贈り物とし礼を尽くしたのだ。
ほどなくしてソフィアから荷馬車の列が来た時にはルドルフは歓喜し御自ら城門まで出迎えたほどの喜びようだった。
それはリゲルの民衆全ての希望であった。
だが……荷馬車の幌を外して米俵を担ぎ出した兵たちは異臭に気付いて愕然とした。
米俵の中身は十年以上を経た古米であったのだ。
古米と言えども腐る事はないので味を我慢すれば食うには支障はない。備蓄米など大抵は古米だ。それはよい。
だが管理の杜撰さであろう。全ての米にはカビが生え虫がたかりとても人が食える有様ではなかった。
ドゼー…いや、その先代のリマ四世の代からソフィアの大名は農民から搾り取るだけ搾り取り、使いきれない米はまともに管理しようともしなかった。
そのあげくにまるで恵んでやるからこれで満足しろと言わんばかりにそれらをリゲルに押し付けたのだ。
怒り狂ったルドルフは米俵を蹴り飛ばし幾度も槍で突き刺した。
そちらがそうならもはや奪い取るまでの事だ……

……戦が始まるまでさしたる時間はかからなかった。

631 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 アルムの章 忍:2011/06/15(水) 13:08:41.41 ID:mPiQtdx/

年が改まった炎正十三年三月。
ソフィア国ラムの村近郊の飢餓はいよいよ深刻さを増していた。
年貢の減免など認められず備蓄は底を尽き、均衡の山に分け入って食い物を探しているような有様だ。
この年十五を迎える少年アルムは篭を背に山をうろつき回っていた。
ようやく厳しい冬が過ぎ去り春の息吹を感じる季節ではあるが…山菜は採り尽くされ獣の姿も無い。
粗方狩り尽くしてしまったのだろうか…
「ちくしょう……だめか……」
溜息が口を付いて出る。
腹が減った。ここ数日まともな物を食っていない…だがそれよりもなによりも……
「じいちゃん……」
アルムの祖父マイセンはわずかでも手に入る食い物を全てアルムに与えていた。
アルムが少しでも何か食ってくれと言っても頑として聞かなかった…
すでに高齢を迎えるマイセンは無理が祟ったのだろう。臥せりがちになってしまっていた……
「そっちはどうだっ何かあるか!」
同じく食い物を探していたグレイが声を張り上げる。
ラムでは一番の豪農のグレイの家はアルムの家よりはまだましなのだろうが…それでも苦しい事情は一緒だ。
彼は長年農耕用に飼育していた牛を泣く泣く潰してその肉を村人たちに分け与えていた。
「駄目だよ……やっぱり……」
「そうか……そろそろ日が暮れちまうよ…帰ろうぜ…」
二人の若者は悄然と肩を落として山を降りる。
歩く道々は穴だらけだ。
食える木の根も大体掘りつくしてしまった。

二人して山を降りていると夕日が周囲を赤く染めていく。
その様にやりきれないものを感じたアルムはふと前々から気にかけていた事をグレイに聞いてみた。
「なぁ…グレイ…?」
「ん?」
「…よかったの? 親父さんを止めなくてさ…」
「…止めても聞きゃしないぜ…どの道このままじゃ餓えて死んじまうんだ…」
グレイの父はラム一の豪農であり名主を勤める農民の代表だ。
彼は周囲が止めるのも聞かずにソフィアの城に直訴に向かった。
どうにかドゼーに頼んで米蔵を開けてもらおうというのだが……
「あの殿様じゃ親父は手打ちにされちまうだろ…俺ももうその覚悟は決めてる。
 でもよ。まだ何かできただけ俺のとこはマシだよ。クリフに比べりゃな」
「……」
そう、すでにラムの村でも餓死者が出始めていた。
小作人で備蓄米もろくに持てなかったクリフの家では両親は既に亡くなり先日弔ったばかりだ。
「俺…思うんだよアルム」
「……え……」
「俺の親父が死んだらさ…俺…皆に呼びかけて一揆を起こそうと思ってる」
背筋を冷たいものが伝わった。
周囲の空気が冷めたものに感じられる。
…豪農のグレイの家に世話になった者は多い。
彼の言葉なら耳を傾ける者は少なくないだろう。
「グレイ!? ちょ、ちょっとまってよ! 僕らは侍じゃないんだ。争い事は…」
「…そうだな。お前は誰より荒事だの人死にだのを嫌ってたもんな。
 けどよ。どうせこのままじゃ今年の収穫まで持てやしねぇよ。まだわずかでも備蓄があるうち…
 まだ立って動ける連中が多いうちにやらなきゃ飢え死にでお終いだぜ…城の米蔵にゃたんまり米があるはずだ。
 お前に賛成しろなんて言わねぇがお前の爺さまに話をつけたい…」
アルムの祖父マイセンはもとはソフィアの立派な武将だった。
この時代、農民といえども山賊退治や落ち武者狩りである程度荒事には慣れているものだが
本格的に決起して戦う…となればマイセンの兵法の知識は欲しいのだろう。
アルムには躊躇う気持ちもあったが結局彼はグレイを家に連れて帰った。

632 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 アルムの章 忍:2011/06/15(水) 13:09:19.88 ID:mPiQtdx/

土間には緊迫した空気が満ち満ちていた。
病床に付き痩せ衰えたとはいえマイセンの眼光は鋭い。
「爺様。俺はもう他に手は無いと思ってる。ラムだけじゃねえソフィアのどこもかしこも飢え死にして道端に骸を晒してる奴ばっかだって言うじゃねぇか」
それは全くの事実である。
ラムよりも小さな近郊の村ではすでに住民が離散し死に絶えた村がいくつもあった。
ここにも幾人かが難民としてやって来ているが彼らに分け与えられる食料があるわけでもない。
「だからよ。いまやらなきゃどうにもならねえと思うんだ。爺様、力を貸してくれ!
 侍達の中にもまだあんたを慕ってる奴は多い。爺様が力を貸してくれりゃやりようはあると思うんだ」

二人のやりとりを見ているとアルムはいたたまれない気持ちになる。
マイセンはすでに侍の世界に見切りをつけて土と共に生きてきた人間だ。
共に田を耕し稲を植えてきたアルムにはマイセンがどれほど土に安らぎを見出していたかよくわかってる。
だが…例え死に瀕していてもこの祖父は…リマの旧臣のためには立たずとも農民のためには立つのだ。
「……ドゼーが報いを受ける時は必ず来よう…
 もはや余命いくばくもない儂じゃが天は儂に最後の仕事をお与えになったのやも知れぬ……」
「じいちゃん…いいの?」
「これも天命じゃろう……ならば立たねばなるまい…」

グレイの父が無礼討ちにあったとの知らせが届いたのはその翌日の事であった。

こうしてラムの村を基点に一揆は始まり、それは燎原の火のごとくソフィア南部に広まっていった……
無論こうした動きをドゼーも黙ってみていたわけではない。
ラムに不穏の動きありとの報にドゼーはスレイダーに五十名ほどの兵を与えて鎮圧に向かわせた。
けっして充分な数とは言えないが田舎の小村なら間に合うだろう。
一つには北のルドルフの軍勢や東より攻め来たるギースの軍勢を防ぐためにかなりの兵を裂いており、
さらには領内のミラ教総本山も対陣の構えを見せるとあってそちらにも兵を向けていたために兵に余裕が無かったという事情もある。

ラムの村に差し掛かったスレイダー達は村の入り口を塞ぐ一揆勢に怒鳴り付けた。
「貴様らこの度の振る舞い不届き千万!だが今のうちに降伏するのであれば首謀者の打ち首だけで許してやるぞ!」
一揆勢に混じっていたアルムは肝の冷える思いだ。
元々気持ちが優しく争いを嫌う彼ではあるが、グレイ…ロビン…クリフ…幼い頃からの友達が共に立つのを捨てて置く訳にはいかなかった。
かつて縁あったルカという侍が残した鎧を纏い腰には太刀を下げて一揆勢の中に混じっている。
慣れない武具の冷たさに恐れが走る。
彼の手は鍬を持って地を耕すものであって太刀を持って人を斬る手ではないのだ。

633 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 アルムの章 忍:2011/06/15(水) 13:10:28.10 ID:mPiQtdx/

だがアルムの恐怖とは関わり無く事態は流血を望むかのごとく動いていく。
スレイダーの恫喝にグレイ達は怒鳴り返した。
「どの道このままじゃ餓え死にだ!だったらやるしかねえだろうがこのドサンピン!」
「ほざきおったな農民風情が!うぬら一族郎党一人残らず叩き潰してやるわーっ!!!」
兵たちが槍を構えたちまち乱戦が始まった。
一揆勢はグレイとマイセンを首領格に四十人程度。武装もまちまちであり中には竹槍や鍬で武装した者もいる。
明らかにスレイダーの部隊より劣勢でありたちまち犠牲者を出し始めた。
その中で兵の一人が太刀を抜きアルムに襲い掛かる。
他の者よりマシな武装をしていたためにどうしても目だってしまったのだ。
「死ねい小僧!」
風を切って白刃が迫る。
とっさに鞘で受け止める事ができたのは奇跡かも知れない。
金属が火花を散らす。
幸い日々の農作業で鍛えた腕力には自信があった。
鞘を押しのけてアルムを切り裂こうとする太刀の重みを堪える事ができた。
だが……
「………っ」
太刀を抜く事ができない。
これで斬りつければ肌が裂け…血が出て……悪くすれば死ぬだろう。
かつて見たルカの切腹が脳裏に蘇る。
怖かった。
自分の手で誰かの人生を断ち切る事など想像もできなかった。
だが敵はそんなアルムの葛藤など知るよしもない。
彼は一度離れて仕切りなおすと再び切っ先を向けてくる。
「うわ…わわ……」
その時である。
背中からその兵は槍で貫かれた。
血飛沫が飛びアルムの顔にかかる。
「何やってやがんだ馬鹿野郎!」
その男を背後から貫いたグレイはアルムに一喝すると再び敵中に飛び込んでいった。
彼は村の若衆の中では落ち武者狩りの経験も多く荒事に慣れている。
だがそれよりも何よりも一揆勢はマイセンの指揮の下にどうにか体勢を立て直しつつあった。
村人に肩を借りながらも適切な指示を出すマイセンの声に彼らは励まされ頑強に抵抗をした。
兵に死傷者が出始めた事に驚いたスレイダーはやむをえず一時撤収を命じ彼らは矛先を翻して引いていった……
だがこれらは始まりにすぎなかったのだ……

634 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 アルムの章 忍:2011/06/15(水) 13:11:06.28 ID:mPiQtdx/

それから幾日か過ぎただろう。
ラムの村に賛同した近隣の村々は次々と一揆を開始した。
誰かが口火を切ると広がるのはあっという間だ。
それだけの不満が噴出間近の溶岩の如く渦巻いていたのだ。
ラムには他の村々からの名主たちや一揆勢が集まりマイセンの下で組織化されつつあった。
当面の悩みはやはり兵糧である。
村々から残り少ない食料をありったけかき集めて一揆勢の口を養っているがそれもいつまで持つか…
当然食料を集めるに当たって各村落に女子供を残していくわけにもいかず、彼らも難民のような有様でラムに集まっている。

「………」
若衆が訓練を始める中、アルムは深々と溜息を付いていた。
傍らで慣れない太刀の稽古をしているのはクリフだ。
「…そう…落ちこむなよ。俺だって腰が引けて逃げてたよ…」
数日前のスレイダーの隊との戦いを思い起こしたのだろう。
アルムも思いは同じだった。
「グレイ達の言う事もわかってはいるんだ。じいちゃんだってみんなのために立ち上がってる…わかってはいるんだ…」
実のところアルムは自分が傷つくことは決して怖くない。
他人を傷つける事が恐ろしいのだ。
「…畑だけ耕して…土を弄って生きていけるって本当に有難い事だよね。
 こんなご時勢じゃなかなかそうもいかないけどさ…神様の気紛れ一つで収穫は変わっちゃうけど…」
「うん…けどさ…俺は面白い気もしてる。俺たち百姓が侍たちに手向かいしたことなんてなかったもの。
 なぁアルム。勝てば俺もさ。自分の畑を持てるようになるかな?」
…クリフは自分の田畑を持たない小作人だ。
生活はアルム以上に苦しい。
そう、望む事なんて決して多くはないのだ。
ただ土を耕して普通に食っていければいい……

その日の終わり、鍛錬を終えたアルムは空腹を抱えて家に帰る途中の道で女たちが篭を持って川に入っているのを見かけた。
魚でも取っているのだろう。見慣れない顔も多い。
他の村から来てる人々なのだろう。その中の一人とふと目が合う。アルムと同じ年くらいの娘だった。
その娘は川から上がると控えめな微笑を向けてきた。
「あ、マイセン様のお孫様。よいウグイが取れました。よろしければ持っていってくださいな」
この申し出にアルムは驚く。
自分の顔が知られていた事もそうだがそれはまだしも驚くにあたらない。
いまや指導者として事に当たっているマイセンの近くにいたところでも見られたのだろう。
それよりも唯でさえ山間のラムでは魚は貴重だ。ましてこの食糧不足の折では…それをくれるというのだ。
「え…でも…いいの? 君たちだってろくに食べてないだろうに」
「マイセン様が私たち百姓を助けてくださると思ってますから…これを食べて力をつけてくださいな。アルムさん…でよかったですよね?」
「あ…うん…ありがとう…えっと?」
そこまで言われると断るのも心苦しいし、なによりろくに食っていないマイセンになにか食べさせてやりたい。
娘の申し出をありがたく受ける事にしたアルムは篭を受け取りがてら礼を言おうとしてまだ娘の名を聞いていない事に気がついた。
口ごもったアルムの様子を娘はクスクスと微笑みながら見つめていた。
「あ…私、山向こうの村から来たジャンヌっていいます。どうか仲良くしてくださいな…」
その様を見ていた周囲の女たちが鈴の鳴くような声で笑いさざめいた……
久方ぶりに感じた穏やかな時間だった…

その様をずっと離れた場所…木の上から眺める男はそっとつぶやく。
奇怪な男であった。
異形の般若面を被っている…
「ウキキ、よくやったよくやった…上手く入った上手く入った…これで仕込みは万全だ………」
刹那の後には男の姿は影も形も無くなっていた………

635 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 アルムの章 忍:2011/06/15(水) 13:12:30.95 ID:mPiQtdx/

その日の夜……
ミラ教総本山から援軍が到着し一揆勢の士気はますます高まる。
僧兵五百名を率いてこの地を訪れたセリカは一揆勢の幹部たち…マイセンやグレイと面を通した。
場所は村で一番大きく、いまや一揆の本陣扱いとなったグレイの家だ。
マイセンに付き添っているアルムの姿もあった。
アルムは初めて見る赤い髪の娘になにか胸がざわめくものを感じる。
祖父にかつて聞いた事がある。
まだ赤子の頃に別れた妹…顔も覚えていないが赤子のアンテーゼは赤い髪をしていたという。
ソフィアでは赤い髪は珍しい…だが…
「ミラ宗総本山より参りました僧正セリカと申します。こたび仏敵ドゼーに仏罰を下すため援軍五百名を率いて参りました」
…そうだよね…そんな偶然そうそうあるわけないか…
その娘の口から出た名前は別の名であった。
アルムは微かな落胆を振りほどいて面を上げた。
ふとセリカと目が合った気がした……

縁と縁が交錯し幾何学模様を紡ぎだしていた……

次回

侍エムブレム戦国伝 邂逅編 

~ リーフの章 闇夜の盗賊 ~