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Last-modified: 2012-08-21 (火) 19:15:16

人々が虚ろな瞳で行き交う往来。
衰退と閉塞感に覆われた都の一角からざわめきが起こった。
道行く人々は何事かと足を止め視線を向ける。
訝しげかつ好奇の視線の中には一人の浪人者の姿があった。
背の高い男だ。若々しく精悍な顔立ちをしており型には長物を担いでいる。
穂先を布で覆っているがあの長さは槍であろう。

その男がみすぼらしい身なりの小柄な少年の腕を捕まえていた。
「貴様…今、俺の懐から抜き取った物を出してもらおうか」
低くドスの利いた声を出す浪人者に少年は酷く慌てた調子だ。
「何言ってるかわからねぇよ。こちとら急ぎなんだ。放してくれよ!」
「ほう…これでもしらを切るか小僧」
ぐっと力を込めて腕が捩じ上げられる。
緑色の髪の少年サザは喚き声を上げて袖の下の物を取り落とした。
あまり重くもなさそうな財布が地面に落ちて中の小銭を撒き散らした。
「……っ」
忌まわしく刺すような瞳を向ける少年に浪人者の態度はあくまで淡々としていた。
「返してもらえば役人に突き出す気は無い。とっとと消え失せろ…ああ、先に言っておくが懐の物を抜いても貴様では俺に勝てんぞ」
言われてサザは自分の手が無意識に懐刀に伸びていた事に気付く。
「野郎……っ…一枚葉の膝元でえらい恥をかかせてくれたなっ…」
「それがどうした。盗賊ごときにこれ以上潰れる面子なんぞあるまい。
 もう一度言う。とっとと消え失せろ。でなくば腕の一本もへし折ってやるぞ」
荒んだ瞳をした少年は地面に唾を吐くとたちまち雑踏の中に姿を消した。
身の軽さと足の速さはさすがというべきか。
浪人者はさしたる感慨を抱くことも無く足元に散らばった小銭を拾い集める。
その時であった。
人ごみを掻き分けて数人の役人が駆けつけてきたのは。
おそらく騒ぎを聞きつけてきたのだろう。
「貴様ら!恐れ多くも天子様のお膝元たる都で騒ぎを起こすとは何事だ!」
役人の先頭に立つ弓を抱えた検非違使が声を荒げる。
その視線は明らかに浪人者に向けられていた。
「あのな…俺は被害者だぞ。大体賊はとっくに逃げて…」
「黙れ黙れ!貴様ら薄汚い浪人者がどれだけ都を荒らしたか知らぬとは言わさぬぞ。ひったてよ!
 貴様も一枚葉の仲間だろう!このフレリア家が貴公子ヒーニアスがその口割らせてくれるわ!」
ヒーニアスと名乗った男の号令で役人達は浪人者を取り囲んだ。
浪人者の槍を警戒しつつも抜刀した役人たちはじりじりと近づいてくる。
戦えば蹴散らすのはたやすいが……
「…余計な騒ぎを起こしてお尋ね者になってもつまらん。わかったわかった。話せば誤解も解けるだろう。
 好きなだけ詮議をしてくれ」
浪人者はあっさりと両手を上げると大人しく役人に従い役所へと引っ立てられていった……

炎正十三年二月五日―――――

都の土を踏んだ浪人エフラムはその日の夜を役所の座敷牢で過ごす羽目になるのだった………

163 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 エフラムの章 一本槍:2011/07/12(火) 14:37:11.57 ID:s01ec/ho

もう幾度そうしてきただろうか。
この六年間ただの一日も休まなかった。
ただ只管突いた。繰り出した。巻き藁を貫いた。
一日千本休まずに貫き続けた。
あの日…師の下に入門したあの日…師が見せてくれた型稽古の突きは流水の如く流れるような滑らかさで大木を貫いた。
息を飲むエフラムに師、デュッセルは静かに告げた
「儂はこの型を一日千本…五十年間欠かさず行っておる。それができる阿呆ならどんなに才能が無かろうと誰でも同じ事ができるようになろう。
 よいか。武において努力は才能を凌駕するのだ。決して才に恵まれたわけではない儂が道場をもてたのもそのためよ」
それ以来エフラムは師の五十年には及ばずとも六年間只管只管槍を突き出し続けた。
ただの一日も休む事無く……

そう、槍を取り上げられた座敷牢でもそれは変わらない。
槍が無くとも空気を掴むようにエフラムは槍の型を構える。
何も持ってはいないが自身が槍を持っていると見立てているのだ。既に武は彼の一部となって根付いている。

「おい、出ろ」
横合いから無粋な声がかかる。
もう用無しと言わんばかりだ。
この声はヒーニアスとかいう検非違使か。昨夜は散々にきつい尋問を食らった。
竹の棒で打たれた背中がまだ痛むが最近検非違使は盗賊への取締りを強化しその尋問も苛烈を極めると聞く。
あるいはこれくらいで済んでよかったと思うべきなのかも知れない。
「もういいのか?」
「貴様の疑いは晴れた。とっとと消えろ野良犬め。浪人者がこの都を荒らした事を忘れるなよ」
ヒーニアスは預かっていた槍をエフラムに返してやる。
本心を言えば渡したくないと顔に書いてある。
ならず者の浪人がまた騒ぎを起こさないか案じているのだろう。
野盗まがいの浪人も多い事を思えば彼の心情もわからなくはない。
「そんな顔をするな。俺は都に食い扶持を求めてきたわけではない」
「ならば何をしにきた」
「ラグドゥ山への道中の行き道だっただけだ。すぐに失せる」
若き検非違使はしばらく唖然として…そして小さく吹き出した。
「昨夜の尋問以来頭の悪い男とは思っていたがこれは極め付けだ。
 それとも自殺志願者か? 妖怪変化の巣くう山に貴様一人槍一本で何ができる」
「槍で突ける。妖怪を槍で突ける」
「馬鹿め。あの山は鬼神フォデスの牙城。何百もの妖怪がおるのだぞ。
 一本の槍などすぐに折れ砕ける」
そう、誰しもがそう思うだろう。
だがヒーニアスの嘲りもエフラムの心を動かす事は無い。
「槍が折れたら殴りつける。腕が折れたら蹴り飛ばす。脚が折れたら噛み付けばいい。
 くたばらない限り俺は戦える」
これにはヒーニアスも呆然とした。
なんなのだこの男は?
はったりではない。それは言葉の強さから感じられる。
誰もが恐れて近寄らぬ都の鬼門にたった一人で挑もうというのか。

「一つ聞かせろ。なんのためだ? 鬼神を討って功名を遂げんがためか?」
「友…たった一人の友のためだ」
よどみの無い口調。
この男は誰かに似ている。
そうだ…髪の色…意思の強さ。
ヒーニアスが愛してやまないあの貴人…大納言エイリークの面差しが感じられた。
今は帝の勅命を受け西国に赴いているエイリーク。
だがヒーニアスは小さく頭を振る。

私はこの刹那に何を考えたのだ。
このような浪人風情があの麗しの君の縁者な訳があるまい。
他人の空似だ馬鹿馬鹿しい……

「行きたくば勝手にしろ。そして二度と都に戻るな。目障りだ」
ヒーニアスは面白くもなさそうにエフラムを牢から放り出した。

164 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 エフラムの章 一本槍:2011/07/12(火) 14:37:58.52 ID:s01ec/ho

牢を出たエフラムは再び都の鬼門に向けて歩みだす。
あの時は一人の鬼にも勝てなかった。だが今は違う。
今の自分はデュッセル流槍術免許皆伝の腕前だ。
幾人かの大名から仕官の誘いも受けたほどだ。
この力ならフォデスを討って友を救う事もできるだろう。
「その前にゴタゴタは御免こうむるな」
だが思っていたよりも都の治安は悪いようだ。
またうっとおしい輩に絡まれても面倒だ。
エフラムは足を速めた。
今日のうちに都を出たい。

だが都に来てからどうも自分はツキに見放されたのかも知れない。
夕暮れが迫り始めた逢魔が時。
ようやく家もまばらになってきた都の郊外。
行く道の傍らから怪しげな者どもが姿を見せ始めたのだ。
「ふん、鬼神退治の前の稽古台としてちょうどよいわ」
異様な妖気…あの時も感じた妖怪特有の妖気だ。
墓から這い出してきたような身の腐った屍達がずるずると足を引き摺り異臭を撒き散らせながら歩み寄ってくる。
穂先の布を取り払ったエフラムはブレの無い構えで槍先を向ける。
妖怪共が間合いに入ったまさに刹那――――

一条の光明が閃いたかのようであった。
稲妻の如き突きがたちまち妖怪共の心臓を貫き破壊する。
力を失い土に返っていく妖怪共を見下ろしながらエフラムは小さく呟いた。
「…師匠の突きには未だ遠く及ばぬな…師匠はもっとこう…流れる水のように…
 俺の槍では激流に立ち向かう激流のようだ。それでは撃ち砕かれ噛み裂かれる。
 もっと柔よく…流れに…」
いつ何時も修行を省みるのは彼のくせのようなものだ。
槍を抱えなおしながら今の突きを見直す浪人者。だが一見隙を見せてるようでそうではない。
エフラムは背後に迫る気配に気付いていた。
彼は槍を手早く取り回すと逆手持ちで自らの脇下を通して背後に突き出す。
デュッセル流槍術に死角は無い。
確かな手ごたえが背後の妖怪を貫いていた。
「…俺の背を取ろうとも無為な事だ」
そうして背後を振り向いたエフラムの瞳は二本の槍に貫かれたがしゃ髑髏を映し出した。
一本はエフラムの槍。もう一本は手槍だ。
「む……?」
崩れて土に還る髑髏から槍を引き抜くと訝しげに手槍を拾う。
その時であった。上方から快活な声が響いてきたのは。
「驚いたわね。後ろの妖怪も仕留めるなんて。大きなお世話だったかしら?」

165 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 エフラムの章 一本槍:2011/07/12(火) 14:39:16.92 ID:s01ec/ho

舞い降りてきたのはこの辺りでは珍しい天馬だ。
エフラムも初めて見る。
本当に馬に羽が生えているのだな…と、少々の驚きをもって見守るエフラムを馬の背に乗った少女は好奇心の強そうな瞳で見下ろしている。
軽装で動きやすい着物に肩当や脛当てなどの鎧具足を纏った少女武者だ。
結果的に不要だったと言えど助けてくれた事には礼を言うべきであろう。
口を開きかかったエフラムの先を制する形で少女はしゃべりだした。
「ああいいのいいのお礼なんて。浪人さん。随分と強いのね?
 都には何しに来たの? 仕官の口探し? いい職場があるわよ?
 フレリア家に仕えてみない?」
「いや…俺は…」
矢継ぎ早に放たれる言葉に言葉を返す暇も無い。
もともとエフラムは口数の多い方ではない。
だが、そこで少女の言葉に聞き覚えのあるものがある事に気付いた。
「フレリア…だと? ヒーニアスとかいう役人の縁者か?」
そう、昨日自分を捕らえた検非違使がそんな事を言っていた。
「え、お兄様を知っているの?
 それなら話は早いわ。私からお父様に取り成してあげるからフレリアに仕えなさい。
 ねね。そうなさい。そうするといいわ。私は朝廷が中納言ヘイデンの子ターナ。
 都の平穏を守るためお父様やお兄様の下で働いてみない?」
天馬から降り立った快活な少女の言葉にエフラムは言葉も無い。
公家のお姫様と本人は言っているが本当だろうか?
そういう者たちは十二一重を纏って屋敷の奥で歌でも詠んでいるのではないか?
まかり間違っても妖怪相手に槍を振るうとは思えないのだが…

だがエフラムの疑問などどこ吹く風で少女は気さくな笑みを彼に向けていた。

次回

侍エムブレム戦国伝 邂逅編 

~ セリスの章 斑模様 ~