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Last-modified: 2012-08-21 (火) 19:44:06

桜の花びらが舞い散る春。
北国グランベルも遅く短い春を謳歌していた。
グランベルの城下は祝賀の雰囲気に彩られ人々は誰もが城を仰ぎ見てこの地の隆盛を確信する。

炎正十三年五月十三日―――――

ヴェルトマー当主アルヴィスは大名クルトの息女ディアドラとの婚礼の日。
なんでも先の戦で逆賊とされたシアルフィ軍を撃滅した功績が評価されたらしい。
『シアルフィ当主シグルドが城中に間者を潜ませて殿の首を取り謀反を企んだ事誠に不届きである…
ゆえに成敗した…叛徒どもはわずかに北辺の地へと逃れたゆえその首を取った者には褒美を取らせて遣わす』
城下に立てられたお触書にはかくの如く記されている。

アルヴィスとディアドラの婚姻は喜びを持って迎えられた。
ヴェルトマーの統治で成果をあげたアルヴィスであれば民の暮らしをよくしてくれるという期待感はかなり大きいものであったのだ。
城下の民草はこぞってこの日を祝福した。

「アルヴィス様といえばヴェルトマーの宿場を開発して民に随分銭が回るようにしてくださったというぞ」
「ヴェルトマーでは水路を作って作物も豊作らしいて。これからグランベルはよくなるのう。
 あの方が次のお殿様になってくださればグランベルもまっこと安泰じゃて」
「戦も強いと聞くのう。ヴェルダンもアグストリアもアルヴィス様がおられればグランベルに手を出せまいてな」
近い将来の名君誕生に人々は期待を寄せて囁きあう。
すっかり祝賀ムードに包まれた通りを料亭イザーク屋の二階から見下ろす娘がいた。
美しい娘であった。
道を歩けばすれ違った男で振り向かぬ者はいないであろう。
肌は上質の絹のように滑らかで雪のように白い。
物憂げに伏せられた瞳は清水の如く深い色をたたえており見る者を魅了せずにおかない。

イザーク屋の娘にして芸妓セリスはこの年、十六歳を迎えていた。

肩を落とした男が裏口から姿を消す。
その背中を見送って店主のシャナンは溜息を吐いた。
「まったくしつこい…ようやく諦めてくれたか」
今年に入って何人目だろうか。
セリスに求婚する者は後を絶たない。数年前から数えると百人は超えただろう。
だが大事に大事に育て上げた金ヅルを手放す気はこの男には無かった。
ましてあの娘は実は………

階段を音も無く降りてきた美しい娘は義父と信じる男の背に声をかける。
「義父様……」
「ん…なんだ?」
「私めももう年頃です。私のお友達もお嫁入りした娘は何人もおります…」
「……お前はそんな事を考えなくていい。お前はここで暮らすのが一番幸せなのだ」
「……はい」

疑問は募るばかりだ。
この時代―――女子の婚姻の適齢期は十代半ばであり嫁に行くのは当たり前の事とされていた。
にも関わらずシャナンは決してセリスを嫁に出そうとはしない。
特に嫁ぎたい相手がいるわけではないがセリスが疑問に思うのも無理の無い事だ。
自分の稼ぎが大きい事もあるだろうが…………

何故だろうか。自分が女子であるとの確信を持つ事ができない。

三年前に旅立ったあの男…ユリウスはどうしているだろうか…
自分のためにいまだ存在するかどうかもわからない五つの宝を探し求めているのだろうか。
それを思うとセリスの胸はかき乱される。

ユリウス様…どうか私のためにご自分の人生を棒に振るような事をしないでくださいませ――――

この三年セリスは一日と欠かす事無く彼のために祈った………

299 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 セリスの章 斑模様:2011/07/18(月) 15:21:58.48 ID:an32JDWf

遥か紋章の国の最北の地。
深い雪に閉ざされた蛮土。
ほとんど人も住まぬ僅かな狩猟民が昔ながらの暮らしを送る土地。
一人の若者が雪をかきわけ歩んでいた。
三年だ…この三年というもの紋章国の全国津々浦々を旅して回った。
決して楽な旅ではない。
幾度も山賊に襲われた。妖怪変化に襲われた。
旅先で体調を崩して病に臥せった時は死を覚悟した事もある。
だが胸に抱く少女の微笑みが彼に力を与えてくれた。
ユリウスは気力を振り絞り再び立ち上がったのだ。
「セリス…そなたが…そなたを娶るためなら僕は…」
旅の若武者ユリウスの心を捉えて離さない少女。
ユリウスの心の聖域に住まうその少女のためならばユリウスは人生の全てを捧げても惜しくはなかった。

あの日、セリスの父が婚姻の条件として示した失われた五つの秘宝。
それを集めて持ち帰ればセリスとの婚姻を許してくれるという。
まさしく雲を掴み取るような話だ。
三年前…旅立って最初に向かったのはグルニア国のラーマンの社だった。
百年前にこの社から光、闇、命、大地、星の五つの宝珠は盗み出されたと伝え聞く。
僅かなりと手がかりが無いかとこの社を訪ねて…ガトーという神主はそれらがいずこにあるかとんと見当もつかぬ。と語った。
まさしく無駄足だったのだ。
それからは当て所もない旅を続けて来た。
百年前の盗賊の足取りがわずかでも掴めないか必死になって探して回った。
ようやく手掛かりを得たのは二ヶ月前のことである。
とある飯屋で蕎麦を啜っている時の事であった。
長い長い何年かかるかわからぬ旅の事、路銀も節約せねばならぬと一番安いかけ蕎麦を啜っていたら酒に酔った男が相客に何やら語っているのが耳についたのだ。
「遥か遥かな北の国。グランベルよりずっとずぅっと北の土地。氷の海を望む紋章国の北辺の地。
 ここに氷の社がある事を知っておるか? 俺はよ。そん時は仲間と漁に出ててな。大時化に巻かれて船を流されちまった。
 みぃんな海に落ちて死んじまって俺もよ…もう駄目だと思ったんだ」
相客が応じる。
「北の海は随分冷たい水と聞く。よく生きて帰ったなお前さん?」
「へへ、そこはこの漁師ダロスのしぶとさよ…と言いたいがそうじゃねぇ。
 俺は浜辺に打ち上げられてもう死ぬばかりだった…浜辺から見た岡の上にゃ雪に埋もれた小さい社があってな。
 ああ…こんなとこにも神様はいんだなぁ…と思ってたらそっからとんでもねえべっぴんさんが出てきたのよ。
 こう…吹雪の中から…って言うのかな? よくわからねぇが…雪女か何かかと思ったら…なんか丸っこい玉を俺にかざしてよ。
 そしたら元気が出てきたのよ。冷え切った体が嘘みたいに温まってよ」

その言葉を聴いたユリウスはいてもたってもいられず席を立ってその男に駆け寄った。
「そ、そなた!その話詳しく聞かせてくれ!その玉とやらは命の宝珠という名ではないか?」
ラーマンの社を訪れた折に神主のガトーから五つの宝珠の不思議な力について聞かされていたのだ。
なんでもその一つ、命の宝珠は万病や怪我を癒す力を持ち、もはや手の施しようがないと思われる瀕死の者をも救う事ができると。
ダロスと名乗った漁師はユリウスの勢いに飲まれつつも快く教えてくれた。
「あ…ああ、そんな名前だったかな?
 そんでよ。その姉ちゃんは気がついたらいなくなってた。俺は雪山を歩いてどうにか人里まで戻ってこれたのさ」

こうしてユリウスは北辺の社を求めて雪深い辺境を旅して回る事になったのだ。
ダロスに道を聞いてみたが、彼も迷い迷いしながら死に物狂いで雪山を踏破したのだろう。
ほとんど道などわかっていなかった。

300 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 セリスの章 斑模様:2011/07/18(月) 15:22:53.91 ID:an32JDWf

雪を踏みしめてユリウスは歩む。
もう五月というのに吹雪が止まない。このような土地では住みつく者がいないのも頷ける。
視界が聞かない。かんじきに蓑…それに編み笠と防寒はしっかりしてきたつもりだがそれでも吹雪は容赦が無い。
刺すような寒さに意識が遠くなる。
「い…いかん…眠ったら二度と起きれない…」
そう自分に言い聞かせて早三日。一睡もしていないユリウスの体力は限界に近づきつつあった。
だが意識が遠のきかけるたびに彼はセリスを思い浮かべて気力を取り戻したのだ。
あの愛しい娘を娶るためならば自分はなんでもできる……

さくさくと雪に足跡を付けながら峻厳なる雪山を登る。
自分の見立てではこの山を越えれば北の海岸に出ると思うのだ。
多めに持ってきた食い物も心元なくなってきた。
立ち止まったらたちまち動けなくなりそうだ。
彼は歩きながら干し肉を齧る。
すでに足先の感覚は失われて久しい。

その時である。
吹雪の中に浮かび立つ灯火を見たのは。
このような地に人がいるわけがない。
あるいはこれは話に聞く鬼火だろうか…ここは黄泉地の入り口だろうか…
「……そなた…ここで何をしている!
 よもやグランベルの追っ手か?」
誰何の声にユリウスは思わずすくんだ。
人間…ここ一週間ほど出会う事のなかった人間か?
「旅の者だ…お前は何者だ…?」
よく目を凝らすとそれは松明を持った武者であった。
まだ若い男だ。物の怪のたぐいではない。

「ただの旅人なら今すぐ引き返せ。
 この先に通す事はできぬ!」
武者は腰の物に手をかける。
だがはいそうですかと引くわけにはいかないのだ。
ユリウスとてグランベルにいた頃は音に聞こえた術の使い手である。
彼は押し通ろうと術を唱え始めた。
その時である。新たな足音が響いてきたのは。
「なんの騒ぎだ?」
吹雪の中から姿を見せた武者が松明をもった男に呼びかける。
立派な鎧を着ている。身分ある者だろうか。
「はっシグルド様…怪しげな輩が現れましたもので…」
シグルドと呼ばれた男はユリウスに視線を転じた。
彼が吹雪に凍え青い顔をしているのを見るとシグルドは直ぐに松明を持った男に命じる。
「砦に連れ帰って飯を食わせてやれノイッシュ」
見張り役をしていた若い武者は驚いて主を見返した。
「シグルド様!この者が我らを探しにきたグランベルの斥侯だったとしたらなんとします?」
「いや…そうかも知れん。だがそうでないかも知れん。このまま捨て置いて行き倒れになるは不憫だ…」
「……御意」

なにやら自分は助けられるらしい。
茫洋とした意識でよろける肩を若い侍が支えてくれた。

さくさくと雪をかきわけて進む中……吹雪の中に幾重にも松明が焚かれているのが瞳に写る…
そこはグランベルを追われて人済まぬ僻地に逃げ込んだシアルフィの侍達が築いている築城途上の砦であった。
国を追われて後の無い彼らの文字通り最後の砦だった……

次回

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