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Last-modified: 2012-08-21 (火) 15:54:10

炎正十三年四月―――――
雪深い北国もようやく雪解けの季節を迎える中、シアルフィの武家屋敷は春の風の中に寂しげな佇まいを晒していた。
風に軋みをあげる襖を撫でると館の主はぼやき声をあげる。
「ふむ……」
十二年前に焼かれた屋敷の再建がかなったのは二年前の事。
それもかなり工賃を抑えたためにどうしてもあちこちガタがあるようだ。
規模もかつての三分の一に過ぎない。
「だがまぁ…こうして自分の屋敷を持てるのはありがたい事さ。これもレプトール殿のお陰だ」
主は自らの後見となった家老の顔を思い浮かべる。
その口ぞえが無くばシアルフィは断絶していたやも知れない。
だが………

「殿、お耳に入れたき事が」
襖を開けて姿を見せたのは信頼する家臣ノイッシュだ。
「ああ、かまわんよ。なんでも申してみよ」
主は縁側に出て腰を下ろし、家臣に先を促した。

グランベルの重臣シアルフィの当主シグルドはこの年二十二歳を迎えていた。

家臣はその背に歩みよると板張りの上に腰を下ろし頭を下げる。
丁寧な振る舞いとは裏腹にその語調は強い。
「……申し上げます。我が領地からの年貢…収益にはいささか不審な点が見られまする」
「ん?」
「ご存知の通りバイロン様の代では我が領土は二万五千石を産しておりました。
 なれどここ数年来は一万石に届くか否か…」
「それは仕方あるまい。ここ数年は不作が続いていると聞く。民百姓も苦しいのだから」
「…言いにくい事ではありますが…収穫された年貢がフリージ家の米蔵に運ばれているという噂も…」
そのような話は時折シアルフィの家臣から上がっていた。
バイロン暗殺時に老臣を失ったシアルフィでは統治の経験をもった者が少なく、
後見のフリージ臣下達が人材を貸して代理統治をしている。
そして事実シグルドに回す帳面を誤魔化して相当量の年貢米を横領しレプトールの下へと運んでいたのだ。
この事態に一度などアレクが間者をフリージに放って調べてはどうかと提案した事もある。
だが人のよすぎるシグルドは一笑に付した。
ノイッシュの言葉にもむしろ諌めるような言葉を返す。
「馬鹿を言うな。武士たる者がそのような振る舞いをするはずがない。ましてレプトール殿は恩人ではないか。
 恩を仇で返すわけにはいくまい」

…シグルドは武将としては勇猛であり敵領ヴェルダンやアグストリアとの合戦では武勲を立てたが政という面では残念ながら無能であった。
加えてグランベルの内部に極めて深刻な権力争いが存在する事も理解していない。
全ての者が大名クルトの下、団結していると信じて疑わない彼は純粋ではあったが……
彼の預かり知らず気付きもしなかった所で諸々のことは動いていたのである。

57 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:39:38.22 ID:RLvxF304

その日、レプトール、ランゴバルトの両将はフリージの武家屋敷にて酒を酌み交わしていた。
強い鬼殺しの酒はランゴバルトの好みとするところだ。
ドズルの当主の鯨飲ぶりに辟易しつつもレプトールはこの日の主題を切り出した。
「ランゴバルト殿、お主も知っての通りクルト様は嫡男に恵まれなんだ。
 いよいよ姫様に婿を取らせて跡目とする心積もりを固められた」
「おう、いよいよじゃの。となると候補は…我が息子レックスかユングウィのアンドレイか…」
「それとシグルド……後は先日ヴェルトマーの跡目を継いだアルヴィスかその弟という事もありえよう」
今上げた名は重臣、または重臣の子弟で未だ独身の者達である。
他国から婿を取って同盟をくむ…という事もありえるがグランベルは近隣とは合戦を繰り返しておりその目は薄かった。
二人にとっては自分の派閥の者がクルトの後継者となるのが望ましい。
その意味ではレックスだろうが、レプトールを恩人として信じて疑わないシグルドも扱いやすい相手といえる。
そしてアルヴィス…この男はレプトール派の一人であり先日病死したヴェクトルの嫡男であり今の所はレプトールに歩調を合わせている。

レプトールは声を潜める。
「じゃがな…殿はどうもシグルドとアルヴィスのどちらかをディアドラ様の婿に考えておられるようじゃ」
「ふむ…シグルドならお主に取っては御しやすかろうて」
「儂もそう思い他の者にも話を通そうとしたのじゃがアルヴィスが首を縦に振らぬ。
 あの小僧め。この所、殿の覚えが目出度いゆえにのぼせあがっておるのではなかろうか」
近年グランベルの家臣団の中ではヴェルトマー家…アルヴィスの躍進が著しかった。
先年のアグストリアとの合戦では敵将ボルドーの首を上げており領内の統治においても治水や宿場町の開発などで素晴らしい成果をあげている。
「むむ…今のうちに旗色を鮮明にしておくべきじゃろうか?
 あの時はバイロンばかりが出すぎたゆえに杭を打ったが…」
十二年前に謀殺したかつてのシアルフィ当主の顔が浮かぶ。
あの時は彼ばかりがクルトに重用されたゆえにレプトールはランゴバルト、ヴェクトルと謀って事を成したが……
「いや…あの者は武のみならず才略にも長けておる。その点で無骨一辺倒じゃったバイロンと違うて隙が無い…」
「味方とすれば心強かろうがシグルドと違って手綱は握れまい。
 だがのレプトール殿よ。儂はこの際アルヴィスを擁立するのも一つの方法じゃと思うておる。
 あの政の才は得がたい。シグルドなら扱いやすいが奴にグランベルは治められまい…」
「むぅ……そうじゃな…それに儂らが後ろ盾となれば奴も我らを粗略には扱えまいて」
「それにの。シアルフィの臣どもの間でも我らへの疑いが強まっておる。
 この十二年充分儲けさせてもらったが引き際を誤ると…な…ここらが潮時じゃろうて」
「そうじゃな……それがよいか……」
二人は顔を突き合わせると含み笑いを漏らした。
すでに心は決している。
次はアルヴィスとの繋がりを取らねばなるまい……

58 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:39:54.93 ID:RLvxF304

その数日後の事である。
大名クルトは兼ねてよりグランベル、ヴェルダン、アグストリアの三大名で奪い合いとなっていたエバンスに進軍を命じた。
毎年この時期は雪解けで道が開くのに合わせて三大名がこの地に兵を進める。
エバンスは三領土への街道の結合点であり北国の覇権を望む者には喉から手が出るほど欲しい戦略上の要地であった。

出陣を命じられたのはドズル、ヴェルトマー、シアルフィの三軍である。
この采配に城内の者たちは囁きあった。
「これはいよいよ殿が跡目を定められるに違いあるまい」
「うむ、アルヴィス殿とシグルド殿、此度の合戦で武功をあげた方が次の殿になられるのであろうな」

遠征軍の総大将には最年長のランゴバルトが任じられた。
軍勢はそれぞれドズル家六千、ヴェルトマー家五千五百、シアルフィ家は近年の財政難からあまり兵を動員できず四千に留まっている。
エバンスの地に続く街道を進撃しながらランゴバルトは後方を進むヴェルトマーの軍勢に視線を向ける。
赤く染めあげられた旗が数千も風になびいている様はまるで大火のようだ。
「アルヴィスめ…恐ろしい男よ」
あの男はすでにあらゆる根回しを済ませていた。
自分たちが接触を図ってくる事もまた既に織り込み済みであった……
彼の才略を思うとランゴバルトは背筋に冷や汗のでる思いだ。
これは敵に回してはいけない男だ。
「才気と相応の野心を持った男を得て……ぬう……」
だが味方とすれば心強い存在の筈だ。
シグルドを操り人形にするのもよいが彼ではグランベルの舵取りはおぼつくまい。
自分たちが背後から実質的に統治して舵取りしてもよいが…それでもいずれその体制はアルヴィスに崩されるのではないか。
ならばその下に始めからついてしまうべきだろう……

59 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:40:19.56 ID:RLvxF304

炎正十三年四月二十日。
グランベル軍総勢一万五千五百はエバンスの街を望む郊外の岡の上に陣を張った。
ヴェルダンは動員の遅れから軍を派遣できず、グランベルに対するのはアグストリア軍一万四千だ。
率いているのはアグストリア第一の将と称させるノディオン当主エルトシャンである。
彼の旗本の武士団はノディオンの家紋の十字をあしらわれた旗を掲げており北国でもっとも精強な軍団と称えられている。

ランゴバルト、アルヴィス、シグルドの三将は軍議を開いて対応を話し合う。
三名とも眼前の強大な敵将に対してその表情は真剣そのものであったが……
ただ一人、シグルドのみはその場にただよう別の思惑に気付くよしもなかった。

ランゴバルトはアルヴィスに目配せをするとシグルドに視線を転じる。
「敵将エルトシャンの軍勢は太刀を主な武具としておる。我らドズルの斧ではいささか分が悪い。
 かといって炎で焼き尽くそうにも敵将の太刀ミストルティンは強大な妖術防護の力を持っておる。
 ここはお主らシアルフィを先陣とするのがよかろう」
重々しい言葉を発するランゴバルトにシグルドは顔を綻ばせる。
我が意を得たりという顔だ。
「先陣は武人の名誉。ありがたき采配と存じまする。我らが戦いぶり特とご覧あれ!」
やはり乗ってきた。
アルヴィスの読みどおりだ…後は段取り通りでよい。

シアルフィ軍は正午過ぎに突進を開始した。
法螺貝が響き渡り騎馬武者達が鬨の声を上げてアグストリア軍に突っ込んでいく。
シグルドは陣頭にありシアルフィの家宝ティルフィングを抜き放った。
シアルフィ軍が第一撃を加えたら後続のドズル、ヴェルトマー両軍も支援にくる手筈だ。

アグストリア軍は次々と矢や妖術を放ってシアルフィ軍を寄せ付けまいとする。
先頭を馬に乗って賭けるシグルドにも雷が振りそそいだ。
だがシグルドは小揺るぎもしなかった。
霊刀ティルフィングの加護がシグルドを覆っているのだ。
かつてシアルフィの始祖バルドが神から授けられたとされるこの太刀は強力な霊気を持って妖力を退ける事ができる。
多少の妖術ではシグルドの髪一つ焦がす事はできない。

次々と放たれる雷の術に目もくれずシグルドは敵中に飛び込むと一太刀で一人二の太刀で二人…たちまち四人の妖術使いを切り倒した。
まさに鬼神もかくやという戦いぶりにシアルフィ軍は勢い付きアグストリアの陣列に食い込んでいく。
シグルドは戦の度に陣頭にあり奮戦してきたが今回は意気込みが違った。
彼の傍らを固めるノイッシュ達にもその気合が伝わってくる。
シグルドがシアルフィの当主にも関わらず二十二まで妻を持たなかったのはひとえにクルト様の娘ディアドラ様を想っての事というのは有名な話だ。
シグルド本人がそう言ったわけでは無いが…シグルドはあまり本心を隠すのが上手い方ではない。
側使えの者はみなシグルドの気持ちに気付いていた。

とはいえ殿に選んでいただけるかはわからぬのだしシアルフィの当主がいつまでも独身でも困るとノイッシュは幾度か諫言もしている。
此度の事でシグルドがもしクルトの娘婿に選ばれなければノイッシュは彼にユングウィ家当主リングの娘エーディンと結婚するようすすめるつもりでいた。
いつまでもフリージから搾取されるよりも他家との結びつきを深めたいという考えも一つにはあった。

「とはいえ…まずはこの合戦を乗り切ってからのことか!」
群がる敵の雑兵を馬上から槍で突き倒す。
敵陣の一角は崩した。間もなくヴェルトマー軍、ドズル軍が支援を開始するはずだ。
ノイッシュは此度も我が殿シグルドが勲功を立てるものと期待を胸に秘めていた。

60 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:41:19.35 ID:RLvxF304

「妙だな…」
本陣で戦況を見やっていたエルトシャンは小さく呟いた。
傍らでそれを聞いた妹ラケシスは首を傾げる。
彼女は優れた武者であり此度の合戦にもエルトシャンの副将として同行していた。
「兄様…何か気にかかる事でも?」
「見よ。敵の後続が動かぬ。兵法の常道ならもう攻撃を開始しておる筈だ」
「言われてみれば…妙に敵の動きは鈍く感じられまする」
「最初の一撃を持ちこたえれば敵の先鋒は寡兵だ。たちまち我が軍中に取り巻かれて殲滅されよう。それがわからぬ筈はないのだがな」
さすがに名将の誉れ高いエルトシャンはシアルフィ軍の第一撃から即座に防御陣を立て直した。
切り崩された一角にも旗本を対応に送って整えなおしている。
シアルフィ軍はなおも味方の援軍に期待して遮二無二攻撃をかけてくるがすでに陣を整えなおしたアグストリア軍の前にさしたる効果をあげてはいない。

「我が軍が両翼を伸ばして囲えば本陣は疎になります。そこで後続を突っ込ませる気ではないでしょうか?」
「…敵が妙な動きをしておる時は欲をかくものではないな。徹底して陣を固め敵の動きを見よう。
 即応に騎兵のみは本陣に残しておけ」
エルトシャンの用兵は手堅く奇をてらわない。
それだけに幾多の戦で勝ち抜いて来たのだ。
ラケシスはこの兄に全幅の信頼を寄せていた。

戦端が開かれてから一刻半。
一向に動かぬヴェルトマー、ドズルの両軍にシグルドは焦燥を感じ始めていた。
いくら戦ってもアグストリアの堅陣は突破できず兵達には疲れが見え始めている。
シグルド自身も既に三十人近くを切り倒しさすがに疲労が見え始めている。
息もあがってきた。
「何故だ…何故動かないのか?」
「殿!…伝令ももう届いてよい頃です…なにか妙ではありませんか?」
アレクも怪訝な顔をしている。
先ほどから幾度か出戦を求める伝令も送ったのだが…それでもドズル、ヴェルトマーは動かない。
「我等は寡兵です。このまま攻撃を続けても被害を増す一方です。ここは……」
ノイッシュやアーダンもシグルドに決心を求めた。
彼らの考えは一致している。
「引くしかないか……」
口惜しくはあったがもはやこれ以上攻め立てても被害を増すだけだろう。
一瞬ディアドラの事が頭をよぎったがそれで武将の責任を投げて武勲に固執するシグルドではない。
シグルドの号令でシアルフィ軍は後退を開始した。

「兄様、敵が退きます。追撃しますか?」
「いや…やめておこう。敵の後軍は強力だ。無理押ししてはならん。
 こうも不可解な動きをする敵である以上、まず斥候を放ってその動きをつぶさに見て取る事だ」
エルトシャンは守勢に徹し大きな被害を出すような事もなく此度も名将として名を高めたと言える。
もし千年前の大陸の兵法家マークが存命でこのことを知れば彼の兵法書にはエルトシャンを紹介する一遍が書き加えられた事であろう。

61 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:41:43.03 ID:RLvxF304

シアルフィ軍の後退に応じるようにドズル、ヴェルトマーの両軍も後退していく。
彼らは敗戦の形を取って実に十里も兵を引いた。
シグルドは先に引いた両軍を追う形で撤退しつつ幾度も早馬を送って両軍と連絡を取ろうとしたがただの一度も返事は来ない。
「ランゴバルト殿もアルヴィス殿もどうされたのか…そもそもまだ余力があるのになぜ十里も退却せねばならん?」
すでにグランベル全軍は山を一つ越えておりエバンスの街もアグストリア軍ももはや視界に無い。

山道を進むシアルフィの兵たちは疲れきっていた。
アグストリアとの戦いの後に十里も休み無く行軍しては無理もない。
シグルドは退却の途上で幾度か兵を休ませようかとも思ったのだがドズル、ヴェルトマー両軍に遅れて孤立した所をアグストリア軍に追撃されたら一たまりも無い。
それを考えると決断できなかった。

「シグルド様…これは一体…」
重い鎧を纏って山道をゆくアーダンも首を捻っている。
此度の戦は異例の事だらけだ。まったく解せない。
「わからん…アルヴィス殿は優れた兵法家だしランゴバルト殿も充分に経験のある武人だ。
 理由無くこのような真似をするはずが……」
その時である。
シグルド軍の先頭の方から大音響が響きわたった。
シグルドは退却においては敵の追撃を防ぐべく自ら殿軍を勤めていたため伸びきった隊列の前方まで目が届かない。
「なんだ。何が起こった!?」
シグルドの問いにアレクが青ざめた顔をして呟く。
「よもや…敵が我らの退路を予測して伏兵を伏せていたのでは?」
「それなら先に退いたドズル、ヴェルトマーの兵が襲われる筈ではないか。すぐに先頭と連絡を取れ!」
だが結果的にその必要は無かった。
前を進んでいた兵士たちが引き返してきたためだ。
彼らは一様に傷つき疲れきっていた。
「殿…殿!…ヴェルトマーとドズルが…我が軍先頭に討ちかかりましてございます…」
「なんだと!?」
兵たちの言葉にシグルドは顔色を失った。
いったい何がどうなっているのだ?
理解できない。なにが起こっている。いつもの慣れ親しんだ戦場と何もかもが違っている。
「間違いないのか? 敵兵が偽装しておったという事はないのか」
「間違いありませぬ。敵勢の中にはアルヴィス殿とランゴバルト殿がおられました。
 我が軍は巨大な炎に焼かれ斧で打ち砕かれて……」
呆然とするシグルドの下に次から次から兵士たちが引き返してくる。
ノイッシュがシグルドに強い調子で呼びかけた。
その顔にも焦燥が浮かんでいる。
「殿!進路を転じましょう!消耗した我が軍に勝ち目はありませぬぞ!」
「う…うむ!みな退け!北の間道から脱出を図るぞ!引け引け!」
こうしてシアルフィ軍は重い鎧に喘ぎながら再び山道…それも上り道に取って返さざるを得なくなった。

62 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:42:14.45 ID:RLvxF304

それからが悲惨であった。
執拗な追撃にシアルフィ軍は次々と討ち取られ、混乱しきった軍勢はシグルドの人望を持ってしても統率しきれるものではなく、
兵は次々と脱落し、また山中へと逃走した。
みるみるうちに離散し数を減らしていく部隊にノイッシュは暗澹たる思いだ。
十二年前もそうだがバイロンといい自分たちといい堂々の合戦で討たれるのではなく闇討ちや裏切りに倒れるのか。
シグルドの旗本にも追っ手が迫りつつあった。
「矢だ!矢を射かけて近寄らせるな!」
アーダンが命令を発し、彼の部下たちが追っ手の先頭に矢を射掛ける。
幸い追いついてきた敵は少なかったために返り討ちにできたがすぐに次の追っ手が来るであろう。
アーダンは意を決した。
「殿、それがしに殿をお命じください」
アレクも…ノイッシュも…いや、シグルドも驚愕と焦燥に満ちた顔をアーダンに向ける。
「馬鹿を申すなアーダン。追っ手にはアルヴィス殿とランゴバルト殿がおるのだ。
 そのような……」
「なれどここは山道。数の理を生かすことはできませぬ。いささかでも時が稼げましょう。
 その間にいずこへか落ち延びていただきたい」
その言葉は確かだ。
道は決して広いものではなく周囲は鬱蒼と茂った森である。
だがそれでも時間稼ぎが精一杯であろう…それも…
「だがそれをすればお前は討たれる。私にはそのような命を下すことはできぬ。
 それよりも我がティルフィングを持って…」
「殿、このアーダン、今日までお仕えして参りましたがただの一度の我侭としてお聞きわけいただく。
 殿がここで命を落とせばシアルフィはお終いなのですぞ!」
「しかしな…アーダン…私には…」
アーダンは落胆する主君に笑いかけた。
それは気優しい主君へのせめてもの気遣いだったろう。
「ならば一つお約束をいたしましょう。それがしは必ず生きて戻ります。
 その暁にはシグルド様から一つ褒美をいただきたい。
 シグルド様が一国一城の主となった暁にはそれがしを侍大将に任じて殿の城を守らせていただきたく存じます」
傍らのアレクが驚嘆したような声を出す。
「お前…意外と野心家なのな?」
「俺は男だぜ? 夢と野望は大きくもっていくもんだ」
そう言って笑う彼の忠誠に答える道は一つしかなかった。
シグルドは声を張り上げる。
「アーダンに命ずる。我が軍の殿を務めよ。
 私が将来…大名となった後に侍大将に任ずるゆえ…必ず生きて戻れ…
 お前には私の城を守ってもらわねばならんのだから…」
「はっ…ありがたき幸せにござる…アレク、ノイッシュ…頼む」

あまりもう時はあるまい。
「わかった……後は任せろ…」
ノイッシュが顔をあげる。
彼らはこれが最後の別れであるとわかっていたのだ。
緑色の髪を揺らしてアレクが笑いかける。

「ああ……またな」
「ん……」
アレクはせめてもの希望を込めて…また…という言葉をつかった。
その真意を察したアーダンは手を上げる。
落ち延びていく彼らの背を見送るとアーダンは道の傍らに生えていた大樹の影に身を隠した。
それから僅か五分もたっていなかっただろう。
山道を踏み分けて数名の雑兵が駆けてくる。
ドズルの旗を背負っている。
アーダンは鋼の弓に矢をつがえ…射た。
先頭の敵兵は眉間を貫かれ脳漿を撒き散らして崩れ落ちる。

63 :侍エムブレム戦国伝 邂逅編 シグルドの章 決死行:2011/07/05(火) 02:43:42.52 ID:RLvxF304

「敵だ!敵の殿軍だ!」
足の止まった兵士たちが戸惑う間にも二の矢が二人目の敵兵を殺した。
そこで矢が飛んでくる方角を察した敵が大樹に殺到してくる。五、六名ほどだ。
先のアグストリアとの合戦でほとんど矢は討ち尽してしまっていた。
さっきの矢で最後だったのだ。アーダンは弓を投げ捨てると大太刀を構える。
彼の剛力で初めて扱える五尺もの長さと誇る巨大な大太刀はドズル兵達を圧倒した。
初太刀にて鎧を着た大の男が鎧ごと真っ二つにされたのだ。
怖気ずく敵兵たちにアーダンは吼えた。
「どうした!俺の前に立つ奴はもうおらんか!シアルフィの武士の死に花を咲かせようという者はおらんのか!」
「おのれ……っこやつなどに手間を取っておれぬ…かかれ、かかれ!!!」
次々と襲い掛かるドズル兵相手に彼は大太刀を一心不乱に振り回した……

血飛沫と共に十人目が切り倒されて地に転がる。
倒しても倒しても次々と追っ手が現れては挑んでくる。
頑強な鎧で身を守り致命傷は免れていたがアーダンも浅からぬ傷を負っていた。
すでに兜は顎紐を弾かれて外れ飛び頬に負った傷から血が流れる。
だが彼はまだ大太刀を握り斧を持って襲い掛かる敵兵に上段から振り下ろした。
怪力と大太刀の重量が兜を叩き割り敵兵を真っ二つにする。
さしものドズルの兵たちも顔色を失って後ずさり始めた。
「臆病風に吹かれおったな! この首貴様らにくれてやるほど安くはないわ! 消え失せい!」
その怒号にすくんだ兵たちは我先に取って返そうとして…背後から山道を歩んでくる彼らの主君を見出した。
「何をやっておるか。たった一人に手間をとりおって!」
武将ランゴバルトが一括する。
見事な黒の具足を纏い二本角の兜を被ったその髭面と声は浮き足たった兵を律する威風があった。
ともに姿を見せたのは見事な赤い髪を靡かせた武将アルヴィスだ。
彼は赤の衣を纏いヴェルトマーの炎の家紋を背におびていた。
「どれ…こやつの相手は貴様らでは荷が重かろう。下がっておれ。炎に巻き込まれて死にたくなくばな」
一歩前へ歩み出た炎の妖術使いにアーダンは殺気だった。
「うぬら…友邦を討つとはなんの真似だ!」
「貴様と問答をしている暇はないのだ。道を譲らぬのなら死んでもらおう」
「おのれ…だが考えよっては調度よいわ!ここで敵将の首級を取って我が主への手土産にしてくれる!」
雄たけびを上げて切りかかる巨漢の武者にアルヴィスは動じる様子も無い。
ただ一言唱えればいいのだ。
彼の術を。
「燃えよ」
彼の言葉には霊が宿りたちまち言葉を言霊にする。
掲げられた符が輝きを増しその瞬間、アーダンの周囲を大火が取り巻いた。
すさまじい灼熱の劫火が鎧を焦がし隙間から吹き込んでその身を焼き尽くしていく……
意識が消えかかるいまわのきわに…アーダンの意識はただ一人忠誠を誓った主君に向けられていた―――

シグルド様…殿の下で侍大将を勤めるお約束でしたがかなわぬ事のようです。
お叱りはいずれ冥土でいただきますがそれがどうか遠い未来の事であるように――――

ファラの業火が消えてなお鎧武者はそこに立っていた。
全身から煙を吹き鬼神もかくやという形相で……
恐る恐る近寄った兵たちがアーダンの死を確認する中アルヴィスは小さく呟いた。
「見事なものではないか。死してなおこの男は主君の退路を守ろうと立ち往生したのだ。
 手厚く弔ってやるがよい」

炎正十三年四月二十二日―――――
武将シグルドはアーダンの献身により死地を脱しわずかな手勢とともに北方へと落ち延びていった…
それはグランベルの城から逆賊シアルフィ追討すべしとの命が発せられるのと同日の事であった。

次回

侍エムブレム戦国伝 邂逅編 

~ エフラムの章 一本槍 ~