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Last-modified: 2012-10-28 (日) 14:41:07

310 :侍エムブレム戦国伝 風雲編 ヘクトルの章 魂 :2012/06/11(月) 19:56:54.87 ID:Gm7WGpUg
「あれはよい手駒…使い出があるものね。これでネルガル様に楯突くウーゼルの一味もお終いだわ」
オスティア城の一室……
かつてエルバートが使っていた一室はその主を変えた。
今の主ソーニャは煙管を吹かすと小さく呟く。
かつて牙を牛耳らんとした時には何かと反抗的で疎ましかったあの男だが…
こうして手元に置いてみるとなかなか役に立つではないか。
ブレンダンやオズインと同じように死して傀儡となった今やあの者は自らの忠実な駒である。
それある限り自分はエフィデルよりもリムステラよりもネルガルに貢献できるだろう。
「ブレンダンとヘクトル…ソーニャ様の両の駒があるかぎり私たちの力は磐石ですわ。人形もどき共などに付け入らせはいたしませんわ」
傍らに控えるウルスラがソーニャの独白に応じる。
ソーニャは今やオスティアを支配して大名となったネルガルのもっとも有力な家臣である。
気をよくしたソーニャは艶の篭った瞳でウルスラの腰を抱くと首筋に舌を這わせた。
この者も長らく自分に尽くしている駒だ。時には褒美をくれてやるのもよかろう。
「ふふ…お戯れを」
ウルスラの声にも艶が混じる。
獲物を前にした蛇のような瞳でソーニャがウルスラの着物の帯に手をかけた瞬間―――――
伝令用の石が輝いた。ヤクシと呼ばれる極めて貴重なものだ。遠方にある者とも言葉を交わす事ができる。

「野暮ねぇ……」
小さく舌打ちをすると石を手に取る。ヤクシからは娘の声が聞こえてきた。
恐らくは報告だろうか。
「母さん。母さん。始まったよ。相変わらずヘクトルはすごいねーっ!あ、岩を投げ付けた。すっごいすごい!
 あの腕で殴られたらぺしゃんこになって臓物をぶちまけちゃうね!」
はしゃいだ調子の娘には困ったものだ。ニノを派遣したのは戦況の監視と報告を求めてのものであって単に実況してもらうためではなかったのだが。
…だが使い出のある駒には愛着がある。ネルガルの役に立つように妖術の才を伸ばしてやり、それ以上に躊躇いをもたぬよう非情さを教え込んだ娘はよく自分の意図通りに育ってくれた。
「感想はいいから…砦攻めがどうなってるのか報告なさい」
「うん!赤い鎧の男の人がヘクトルと戦ってるよ。粘ってるね。早く死んじゃえばいいのに。
 そいつが中心になって門の前で粘ってるから傀儡たちも中々攻め込めないの。もうちょっと隙ができたら私が灰にしてあげるよ」
「そうね。そうなさい。上手くできたらご褒美をあげる」
「うん、また報告するね母さん!」

その一言を最後にヤクシは光を失った。
ウーゼル一党を滅ぼせばさらにネルガル様の支配は磐石となる。
あの方に天下を献じて自分はネルガルの傍らに永久に寄り添うのだ………
それが唯一のソーニャの望みだった。
311 :侍エムブレム戦国伝 風雲編 ヘクトルの章 魂 :2012/06/11(月) 19:57:24.75 ID:Gm7WGpUg
妙だ―――――――
オスティア城の廊下を一体の傀儡が歩んでいる。
その者は黒い髪をして金の瞳を持っているが…まやかしに過ぎない。
髪は染め精巧な面で誤魔化してオスティアの城に紛れ込んでいたマシューの脳裏を疑問が過ぎる。
先刻ソーニャの部屋に向かうウルスラとすれ違ったのだが……何故奴は五年前からまったく姿形が変わっていない?
確かに五年前の時点ですでにウルスラは成熟した大人であり成長の余地は無かった。だがそれにしても変わらなさ過ぎる……
とにかく自分が見聞きした事を牙一家の生き残りの首領となったロイドに伝えねばならない。
牙を掻き回しブレンダンを傀儡にしたソーニャには思い知らせてやらねばならないのだ。
それに………
「兄貴……ご無事で…」
ソーニャの部屋から漏れ聞こえた声のすべては聞き取れなかったがその中にヘクトルという単語があった。
五年前のあの日……ソーニャ一党への襲撃に失敗したあの時、ロイドらを逃がすために敵中に一人残ったヘクトル。
あの後、オスティア中を追っ手に追われて逃げ回りつつも、必死に行方を調べていたのだが………
「そうさ…あの兄貴が死ぬはずねぇんだ……」
ようやくその希望に繋がる何かを得ることができた……マシューは胸に喜びを抱いて身軽な豹のような動きでオスティアの城壁を飛び越える。
この知らせを待つ仲間たちの下へ向かって―――――

充分に周囲の気配に気は配ったつもりだが…
木の陰に赤い髪の男…ジャファルの目があった事をマシューは知らない。
312 :侍エムブレム戦国伝 風雲編 ヘクトルの章 魂 :2012/06/11(月) 19:59:12.96 ID:Gm7WGpUg
豪腕が唸りを上げる。
握り締められた拳はまるで鉄の塊のような硬さだ。
威圧感に満たされた巨人のようなその男の猛威をロイはどうにか受け流していた。
繰り出された拳を横に飛びのいて避ける。拳はそのまま大木に突き刺さりへし折り打ち砕いた。
倒れ行く木。避け損なっていたら自分の胴体など鎧ごとへし折られていただろう。
「な、なんという膂力か……」
目の前の敵は傀儡と同じ死んだような目をしている。
体は大きく逞しい筋肉に覆われ着流しを着込み肌には刺青が彫られている。
元はやくざ者だったのだろうか。
だが敵は素手だ。勝算は充分にある。
「我はロイ!オスティアの臣にしてフェレ家が当主!ネルガルの傀儡の自由にはさせぬ!」
戦いに望む若獅子のごとき雄たけびをあげるとロイは太刀を握りなおし踏み込みとともに突きを繰り出す。
幾多の敵を屠ってきた必殺の一撃である。
それに対して眼前の男は避けようとすらしなかった。
堂々と胸を晒して立ち尽くしている。
加速したロイの太刀は男の胸板に突き刺さった。
勝利を確信したロイがさらに止めを取るべく太刀を突きこもうとした瞬間…信じがたい事が起きたのである。
敵がした事はただ一つ…力を込めて胸筋を引き締めただけである。
だがあまりに強い筋力はがっちりと太刀をくわえこみ、切っ先は推し進める事も引き抜く事もかなわなくなったのだ。
並みの人間なら心臓まで貫かれたであろうが…傷はせいぜいが筋肉の表面を傷つけたにすぎない。
「なるほど…武器も鎧もいらぬわけだ…」
この者の武器は拳であり鎧は筋肉である。
ゼフィールと戦った時も感じたことだがこの世にはいったいどれほど猛者がいるのか……
そして……
「そなたほどの豪傑がネルガルなどの傀儡に成り下がっている姿を見るのは忍びない。介錯してくれよう!」
突き出されてきた拳をかわしざまに太刀を引き抜く。
かすめた拳で兜が外れ飛びロイの赤髪が外気に触れて揺らめいた。
だがロイに恐怖心は無い。
すでにヘクトルの膂力も頑健さも見切っているのだ。
先の突きは胸を狙ったからしくじったが……敵が筋肉で体をよろっているなら首を狙えばいいのだ…
全神経を研ぎ澄ませ……奴の動きをよく見ろ…………

その時、ロイの意思がすべて男に向かったその時である……
背後から強大な火弾が飛んできたのは……

焼け付くような痛みを感じる。
体が炎に包まれて肌が焦がされていく。鎧が熱されてまるで鍛冶場の鉄のようだ。
「な……何者っ……」
炎に蝕まれながら膝を突いたロイが見出したものは炎の符を手に掲げた幼い妖術師の娘であった。

「あれ…まだ口がきけるんだ? しぶといなぁ…ヘクトル。止めを刺しちゃってよ。
 やり方は…そうだね。首の骨の砕ける音が聞きたいな」
酷薄な笑みを浮かべたニノが命じる。
傀儡はネルガル…もしくはその代理人の命に従うように出来ている。
ソーニャ、リムステラ、エフィデル、ジャファル、ウルスラ…そしてニノである。

ヘクトルが重量感に満たされた体躯を推し進め、未だ炎の中で苦しむロイに歩み寄った。
「お館様っ!?」
ロウエンが叫ぶ。ロイに加勢しようにもロウエンも他の兵たちも他の傀儡兵と戦っており彼らの列を抜けねば加勢する事はできぬ。
そこまでの力は彼らには無かった。
313 :侍エムブレム戦国伝 風雲編 ヘクトルの章 魂 :2012/06/11(月) 19:59:55.64 ID:Gm7WGpUg
「……っ」
悔しさにロイが歯噛みする。抵抗しようにも腕があがらない。
ニノが発した業火はいまだ身を焼いておりとても戦える状態にはない。
このまま自分はエリウッドの後を追うことになるのか?
オスティアも取り戻せず…ゼフィールも倒せず…義母セシリアを救う事もかなわずに……
だが、その後の光景を見て誰もが目を見張らざるを得なかっただろう。
ロイの眼前に進んだヘクトルは大きく息を吸い込み……強烈な肺機能を持って吐き出したのだ。
竜の吐息かと見紛うような吐息はロイの身を蝕んでいた炎をかき消すに充分だった。

男はニノに向き直った。その瞳は死せる傀儡のそれではない。
「え…あれ? おかしいなぁ…あの日、確かに皆で殺してネルガル様が傀儡に変えたはず…だよ?」

そう、橋の上の戦いで一人残ったヘクトルは何十という傀儡や、ジャファル、ウルスラといった強者と渡り合い、
やがて滅多刺しにされ体を焼かれて息絶えた筈だった。その身をネルガルがオズインの時と同じように傀儡として蘇らせたはずなのだが―――

「さすがにちっとばかし効いたぜ…だがあの程度で死ぬほど俺はやわじゃねぇ。少し眠っていただけだ」
「…じょ…冗談…だよね? 何十回も太刀や槍で突き刺してウルスラの妖術で焼いたっていうのに…」
考えられない事だが…この男は死んでおらず仮死状態になったに過ぎなかったというのか?
ニノの思考を混乱が襲う。ありえない事だ。それに――――
「だ、だけど仮死とはいえネルガル様に傀儡にされたら解ける筈が無いよ!
 あの方の妖力は心の奥まで蝕んで支配するんだ。人間に解ける筈が……」

動じるニノにヘクトルが返した返事は単純明快なものであった。
「理屈じゃねぇ………気合だっ!」

力感と闘志に満ち溢れた巨漢が地を蹴り突進してくる。
「や、焼け死んでよっ!」
立て続けに妖力の火球を連射するがヘクトルの強靭な体は少々皮を焦がされても腕の一振りで炎を吹き払ってしまう。
ならばと、術を切り替えて風を幾重にも束ねてかまいたちを巻き起こした。
幾重にも吹きすさぶ突風は凄まじく森の木々がまるで紙のように切り裂かれていく。
強力な妖気そのものの風はたちまちヘクトルを取り巻きバラバラにしてしまうかに見えたが……
彼は地面をその鉄拳を持って殴りつけたのだ。
捲れて抉れた土砂が舞い、飛び来るかまいたちを防ぎとめた。
「わ…私の術が通じない!?」
土砂を突き破って迫るヘクトルは抗いがたい巨大な力そのものとすら感じられた。
この時ニノは生まれてはじめて恐怖を感じていたのかも知れない。
「ひ…や、た、助けて母さんっ!」
怯えて身を竦ませると咄嗟に転移の術を唱える。
その姿はたちまち影か何かのように消え失せ戦場を逃れ出ていった。

314 :侍エムブレム戦国伝 風雲編 ヘクトルの章 魂 :2012/06/11(月) 20:01:12.24 ID:Gm7WGpUg
「行ったか…」
拳を下ろした男は呟く。
ソーニャを別にすれば女子供と本気で戦う気にはなれなかった。
引かせる事ができればそれでいい。
だが今はそれよりも……
「火傷の具合はどうだ?」
よろけながら立ち上がった若武者に声をかける。
「……大した事は無い…と、言いたいが……」
よろけるロイの肩を支えるとヘクトルは呟いた。
「気合の入ったいい戦いぶりだった。お前の男気が眠っていた俺の魂に響いて俺を目覚めさせたんだ。礼を言うぜ」
それは掛け値なしの事実である。
ロイの強靭な精神は戦いにおいて遺憾なく発揮された。
それがこの五年仮死となり術によって押さえ込まれていたヘクトルの男の魂に共振したのだ。
「少し休んでろ。お前が倒すはずだった敵は俺が代わりに片付けておく」
ヘクトルはロイを木陰に横たえると拳を握りなおす。
今なお傀儡たちとオスティア兵との戦いは続いているのだ。
ヘクトルにとっても奴らは牙を滅茶苦茶にした憎い敵である。
戦場へ踏み出したヘクトルの大きな背中を見ながらロイは声を振り絞った。
「貴殿の…貴殿の名を聞かせてくれ……」
「ヘクトル。牙一家のヘクトルだ」

…大きく強い逞しさがその背中には溢れている。
兄エリウッドは深く静かな心の中に芯の強さを秘めた男だったが、この男は形は違えどどこかエリウッドと共通した強さを持っている。
傀儡たちに突っ込んでいく猛者の背を見ながらロイは何か運命的なものをこの出会いに感じていた――――

次回

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