ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(長文評価)

Last-modified: 2024-05-20 (月) 13:47:22

批判動画(忌々しい動画広告はつきません)
full_upload.png

loading...
loading...
loading...
loading...
loading...

映画.comの低評価レビューより

その①

疑ってしまう。

感想
 ゲマを倒すまでは、
  〇 マリアがいない、ヘンリー独身
  〇 妹がいない→天空物語を読んだ身としては寂しい
  〇 変な薬を飲まないと本心に気付かない
     →ビアンカとの会話とかで気付いてほしかった
  〇 グランバニアドコー
  〇 主人公はもうちょっと落ち着いてるイメージだった
     →このパターンの主人公も悪くないかな
  〇 順番を変えたりはしょったりしてるけど、こんなもんかな
というような感じでした。

 最後の場面までは
    上記の辺りが気に入らない人がいるから低評価なのかな
と思いつつも、
    映画で見るドラゴンクエストの世界観にのめりこんでいました
し、私の心は
    主人公は魔王を倒して平和を取り戻す
    その後、仲睦まじく幸せに、失った10数年間及び、8年間を取り戻していくんだろう
    そんな主人公の様子を見て、亡くなったパパスやマーサは、天国で微笑んでいるんだろう
と、希望を胸に膨らませて、エンディングへ向けてまっしぐらに進んでいました。

 すると、変な白い奴(ミルドラースは影も形も出てこない)が出てきた辺りから
    この映画はドラゴンクエストⅤの物語ではなく、
       「ドラゴンクエストⅤをプレイしている人」の物語である
ことを知らされ、一気に映画の外へ戻ってきてしまいました。
 それまでは画面の映像しか見えていなかったのに、周りのお客さんやモニターの境界が一気に目に入るようになり、まったく感情移入ができなくなりました。
 ラスボス(魔王とは言いません)は、「ゲームなんてしょうもない」みたいなことを言い、主人公はそれに反論します。
 しかし、こっちは、この展開のせいで物語にのめりこめなくなりました。
 最後の主人公は半分現実に戻った気分で「こいつらもうちょっとで消えるんやなあ」って…
 妻と子と召使いが可哀そうになりました。
 楽しみ方は人それぞれあると思いますが、私は
    ゲームの後、ゲームの主人公のその後等を想像して楽しむタイプ
です。
 この映画のラストだと、ゲームクリア後も物語が続いていくとは、想像できませんでした。

 そもそも、私は、「あのドラゴンクエストⅤが映画化」と聞いて、映画を見に来ました。
 「普通の人がドラクエⅤのバーチャル版をプレイする物語」を見に来たつもりは全くありませんでした。
 どんでん返しを狙っていたのか知りませんが、私にとっては最悪の結末で、詐欺にあった気分です。
 この結末で、「ドラゴンクエストの映画化」という宣伝はやめてほしかった。
 私は、これを「ドラゴンクエストの映画」だとは思えません。
 「ドラゴンクエストをプレイする青年の映画です」と言ったら客が来ないから、
    「ドラゴンクエストの映画」だと観客を騙して、金を巻き上げた
のかと、邪推してしまいます。
 ドラクエを客寄せパンダ扱いしているのかと思ってしまいました。
 肯定派の方の意見を否定するつもりは全くありません。
 しかし、私はこの映画を、ドラクエⅤをプレイした人に対して「ドラゴンクエストの映画版である」と、お勧めすることは絶対に出来ません。
 「ドラクエをプレイしている人の映画である」と、ある程度ネタバレした後ならば、もう少し冷静になって鑑賞できると思います。

総評
 個人的な感想としては、「最悪」でした。終わってます。
 鑑賞して悲しくなりました、PTSDです。
 映画を見てこんな気持ちになったのは初めてです。

プチ感想
   〇 「本心」とか、プサンの「今回はその設定」のくだりが伏線だとわかりました。
       →そんなんいらないです。
   〇 ミルドラースは、ただでさえ「各レーベル中最も影の薄い魔王」で有名なのに
     映画化された今回もこんな扱いとは…と、可哀そうになりました。
     せめて姿だけでもミルドラースにしてあげたらよかったのに…と思いました。
   〇 ロトの剣とか、天空シリーズにいらないです。
     取ってつけたように出さなくていいです。

その②

予想に反し、評判よりも最低な映画でした。
予想より遥かに最低でした。

存在しない脈絡、繋がらない展開、
無意味な改変、監督の無理解、
台詞選び、話の切り方、
時間配分、起承転結の割合
どれ一つとして及第点にすら満たない出来でした。

映像の美しさ?ああ、うんまあまあ頑張ったんじゃないですかね。
オープンワールドゲームのイベントシーンぐらいには綺麗でした。
綺麗さを売りにするなら、前述の問題点を全て吹き飛ばすぐらいの美麗さで圧倒してくれないと、釣り合いません。
そのレベルには到底達して無いです。なので「まあまあ」です。

音楽?ドラクエ5以外の曲を起用している時点で問題外です。また、アレンジが変わっている訳でもなくただ垂れ流しているだけなので何ら新しさは感じません。音楽を聴きたいならサントラを聴けば良いです。
なので音楽も良ポイントになり得ません。

問題点を一つ一つ詳しく書くと欄が足りませんのでこれ以上は控えます。

まあ、どれ程酷いかは皆さん語り尽くされていると存じますので、私なんかが講釈垂れなくとも大丈夫でしょう。

最も許せない点についてだけ詳しく書きましょう。

道中、主人公は魔物を(たった数匹)仲間にしますが
魔物に対し「家来」と言います。
スライムに対し「スライムなんかいらない」とのたまいます。
また、ある魔物を倒した際は「服従するか死ぬかを選べ」と凄みます。

ドラクエ5の主人公は、魔物を倒した際に、その優しさと血筋に眠る力により魔物と心を通わせ、仲間にする事ができます。
魔物とも仲良くできる、心優しき青年。
最弱のスライムであっても、強いモンスターであっても平等に愛す青年。
そういう設定のはずなんです。

しかし、この映画では魔物というのは力でねじ伏せ、脅迫し、子分にするだけの存在のようです。

監督は「魔物を仲間にする」という文だけ掻い摘んで理解したつもりになったのでしょう。
年頃の時にドラクエ5をプレイして来た私はそこが絶対に許せませんでした。反吐が出ます。

また、ドラクエ5をプレイした人の意見が多いのは当然ですが、映画としての完成度も非常に低く、ドラクエ5を知らない人が観ても評価は低くなります。

まあ、そんな人はほぼ観には来ませんけど。
何故ならこの映画は、明らかにドラクエ5をプレイした人向けに宣伝をしている。しかしそういう人には不快。
では子供向け?子供が観ても頭ごなしに否定されて不快なだけ。

監督は誰に、何のメッセージを伝えたかったんでしょうか?
全く意図がこちらに伝わって来ない。

辛うじて伝わって来たのは、監督はゲーム業界を下に見てるという事と、勉強する気も歩み寄る気も全く無い事、そして最後のネタだけを披露したいという事。たったそれだけです。
「この監督は下々の民に自分が思いついた素晴らしいアイデアを披露したくて堪らない人なんだろうな」って事だけはよく分かります。
ただその素晴らしいアイデアってのは数十年どころか、数百年以上前から作家達が使い続けて来た、とても陳腐な物なんですけどね。
そういう勉強をする努力もしたくないタイプの人なんでしょう。

そんな人に国民的ゲームの思い出が穢されたのが残念でありません。
別の心ある監督が新たに映画を製作する事を望みます。

その③

土曜日に映画を観て5日、ようやく落ち着いたのでレビューします。
モンスターは可愛かったし、音楽はとても良かった。
結婚式の場面、ビアンカと結ばれるのであれば、レヌール城の冒険はちゃんと描いて欲しかった。
ゲマはとても良いキャラをしていた。

ラストは悪夢だった。
いきなりコンピューターウイルスが出てきて、テクスチャを剥がすだの言いながら、今まで冒険してきた仲間たちが泥人形に、、、
この世界は虚構だの、ゲームなんてやめて目を覚ませだの、大人になれだの言ってた。
スライムが謎変身を遂げて倒して世界が戻りビアンカが話しかけてくるけれど、、、もう感情移入なんて出来ず、マネキンが人間の言葉を話しているようにしか見えなかった。

映画が終わっても周りの人間が人間に思えなかった。
怖くなりすぐに帰った。
翌日ゆっくり休んで気持ちを落ち着けると、この映画を作った監督への怒りが湧き上がってきた。
人の思い出を踏みにじって、恐怖心、懐疑心を与えて、ゲーマーを馬鹿にして、どこまでドラクエファンを傷つければ気が済むのか。
もしあのまま廃人になってしまったらと思うと、今でも恐ろしい。
こんな恐ろしい映画を作るような監督は二度と映画に関わらないでほしい。

その④

ドラクエというゲームを私はプレイしたことがありません。
一緒に観に行った相手も5は世代ではなく、思い入れは薄いです。
しかし、ドラクエというコンテンツのファンは恐らく監督が思う以上に多岐に渡って存在しています。
ゲーム未プレイでもタイトルは聞いたことがありますし、スライムの存在は知っているなど、ある程度の認識を持っている人が多いのです。
好きな作家が「俺はビアンカ派だった」と意気揚々と話すところを見たことがありますし、友人の年の離れた弟が小学校から帰ってくると「スライム大好き!」なんてはしゃいでゲームをする姿も見ています。
そして、大人になったいまも、ドラクエの新しいタイトルが出たら同僚の多くが発売日を楽しみにする情景があり、その後はどこまで進めたか和気藹々と話している姿を見てきました。

彼らがあんなに楽しそうにプレイしているゲームはどんな物語なんだろう?
ワクワクしながら前売り券を買い、初日に鑑賞しました。
結果、多くの批判と同じくラストがあまりに酷いと思いました。

ビアンカたちのテクスチャが剥がれ、主人公に向かって大人になれとウイルスが言うシーンはどんでん返しでもなんでもなく、不快感を与えただけでした。
上映が終わり明るくなった劇場内は恐ろしいほど静まり返っており、観客が一体となって暗澹とした空気に包まれたことだけは貴重な体験でした。
ただし、2度と体験したくありません。

お金を払ってまでして、大事な宝物を目の前で叩き壊され、侮辱されたファンの方々の心情を思うと胸が痛いです。
監督にそのつもりはなくても、観客が感じた答えがすべてだと思います。
ゲームに対してだけではなく、映画を含む創作物を素晴らしいと思う心そのものを傷つけられた気分です。

あっと驚かせる展開にしたかったのかもしれませんが、そういった力量も感じられませんでした。
監督が思いついたアイデアや台詞は使い古された既存のものです。
それを、ご本人はナイスアイデアだと思っているのであろうインタビューを拝見して愕然としました。

寸前までこの仕掛けに気付かなかった人が大半でしょうが、それは監督による手腕ではなく、まさか今更こんなオチを、こんな醜い形でやる者はいないと思っていたからでしょう。
これだけ有名な作品ですからゲーム未プレイの私にも先行知識はある程度あったので、散りばめられた違和感の伏線は膨大なプレイ時間のドラクエ5を一本の映画にするためには仕方のない表現なのだと良心をもって目を瞑りました。
結果的にそういった多くの善良なファンを騙し討ちしてしまったことも、ここまでの酷評を生み出したと思います。

その後のフォローも、あの短時間で浅い台詞では不十分です。
むしろ、傷つけた者自身が被害者を癒し操ろうとするモラハラのような薄ら寒さを感じました。

また、近年はゲームの実況が流行っており、この映画も他人の実況中継に過ぎなかったという意味でも時代遅れでしたし、サブタイトルの「ユア・ストーリー」のアンサーにもなっていません。
ゲームのドラクエ5経験者から言わせれば「こんなの私の物語ではない!」と拒否反応が出ても致し方ないことです。

やるなら最初からVRだとわかる形で進めていき、ゲームのキャラクターだとわかった上でビアンカたちに親しみがわいてくるような展開にしなければならなかったと思います。
今回の場合は物語が終わる寸前にビアンカたちは作り物だと冷や水をかけられたので、その後たとえ姿形だけは元に戻ったとしても、観客の失った愛着までは元に戻りませんでした。
映像だけはきれいでしたが、監督は目に見えるもの以外のものも見えるようになってほしいです。

親子三代による物語というのはありがちな勇者物ではなく良かったですが、これに関しては原作=ゲームのシナリオですよね?
前述ではVRにするのならとコメントしましたが、主人公は主人公だけど勇者ではなく、その息子が勇者という展開も感動的なのだから、へんなオチなど考えずに作れば良かったのでは?
小説やコミックを映画化した場合、これは実は作り物です!現実に戻りましょう!なんてしないですよね?
なぜゲームもそういった創作物のひとつの物語として向き合えなかったのでしょうか。

また、映像は良かったと言いましたが、ゲーム未プレイのせいか全編を通していまいち感情移入できませんでした。
やはり、幼少期を飛ばしすぎたと思います。
上映時間の問題上、省略するのは仕方ありませんが、幼少期のビアンカとの絆だけはもっとうまく見せてほしかったです。

初見のせいか、嫁選びの場面で、あれ? ビアンカと幼なじみって聞いたことあるけどフローラとのほうが仲良し? フローラとのほうがいい感じじゃない? と混乱しましたし、フローラにプロポーズした翌日にはフローラとの縁談を破棄してビアンカを選び、よりによってフローラが住む町でビアンカにプロポーズする主人公はろくでもない男に見えました。
そのデリカシーのなさに気付かないあたりに、ラストに最大級のデリカシーのなさをやってしまう所以があるのでしょう。

また、フローラが独自に動いて主人公とビアンカのお膳立てをしてあげることは、ゲームのキャラクターに過ぎないというオチに反したストーリーなので、いっそフローラをウイルスに対抗するすべがある設定にしたら良かったのでは? という気もします。

せめて、最初からGCも何もかも出来の悪い映画だったら残念感はあってもこんなものかとファンの方々の傷も浅いもので済んだかもしれないですね。
職場ではいまもこの話題で持ちきりです。
もう大人に成長しているファンは自分自身で心の整理をつけられるが、夏休み上映にしておいて子供たちが傷付くような騙し討ちを用意しているなんてあんまりだ、と。

私はこの監督のことを監督としてではなく、人間として軽蔑しました。
子供を含む多くの人を傷付けた作品としては、つまらない映画よりもたちが悪いので、たとえ部分的にはスタッフの頑張りを感じたとしても申し訳ありませんが星0,5です。