資料/慣用句

Last-modified: 2020-12-05 (土) 19:01:52
 

忘羨一曲遠,曲終人不散。

連載時、本編最終章「忘羨第二十三·03」の見出し(内容提要)に書かれたもの。
忘羨の曲が漂っている、曲が終わっても二人は一緒、というような意味。
陳情令では「遠音に響く『忘羨』 曲が終われど絆は永遠に」と訳され、最終回のラストで原作者への感謝とともにテロップで表示された。

新修版後記(紙書籍にはない)によると、作者はもともと「曲終人不見,江上數青峰*1」という詩句で本編を終わらせようと思っていた。この一節は、曲が終わって気が付けば既に人影はなく、あとには悠々とした大河に山々が青く望まれるのみである、という静寂な風景が詠まれている。詩の内容は美しくて趣があるが、しかしこれは自分が望む結末ではなかったので使わなかった、自分の希望は「忘羨一曲遠,曲終人不散」である、と書いている。

 

天天就是天天

「忘羨第二十三·01」で藍忘機魏無羨に言った言葉。毎日といったら毎日だ、という意味。天天は中国語で毎日の意味。
魏無羨藍忘機と毎日一緒に寝たいと言って愛の告白をした。しかし、その後の藍忘機の絶倫ぶりに、聞かなかったことにしてくれないか、毎日ではなく三日おきではどうか等と交渉するが、全て藍忘機に却下される。
一部ファンのあいだでは「天天」単体も「天天就是天天」も二人の夜の表現として使われている。

 

只羨忘羨不羨仙

仙人よりも忘羨がよい、という意味。
中国語の「只羨鴛鴦不羨仙」の鴛鴦(おしどり)の部分を忘羨に置き換えたもの。
「只羨鴛鴦不羨仙」は、鴛鴦のように歳を重ねても生涯ずっと添い遂げられるのであれば、不老不死の仙人にならなくてもよい、というような意味。
「只羨鴛鴦不羨仙」自体、元は初唐の詩人・盧昭隣の作品「長安古意」の一節「願作鴛鴦不羨仙」から作られた俗語である。

 

犬と鳥(汪叽)

魔道祖師では、犬と鳥の組み合わせは一般的に藍忘機のことを指す。
これは、中国語の犬の鳴き声「汪(wāng)」と鳥の鳴き声「叽(jī)」の発音が、忘機(簡体字:忘机)の発音「忘(wàng)机(jī)」と同じであるため(四声は違う)。

動画の弾幕やSNSのコメント等でも藍忘機のことを「汪叽」と書いているファンをよく見かける。藍忘機魏無羨の表記として「汪叽wifi」などもよく見かける。wifiは魏無羨を指す(無羨=無線=wifi)。

 

*1 唐代の詩人・銭起の省試湘霊鼓瑟の一節