メルダ紛争

Last-modified: 2022-10-13 (木) 19:32:17

メルダ紛争とは、西暦4958年に起きた旧ソビエト世界社会主義共和国連邦?(以下、連邦と呼称)とメルダ民国の戦争です。後に第一次完全最終戦争へと発展しました。

事の発端

この戦争は、西暦4958年に連邦の指導者がメルダ民国の難民キャンプの視察中に暗殺されたことから始まりました。連邦の副指導者はそれをメルダ民国の指示と主張し、メルダ民国に対して宣戦布告をしました。

連邦軍の行動

メルダ民国に対して、野砲や重砲、ロケット砲による大規模砲撃と航空部隊による絨毯爆撃、歩兵大隊による大量突撃などを行いました。連邦軍は首都陥落に成功しました。
しかし、この暗殺は副指導者の指示であるということが発覚し、副指導者は国家騒乱罪により逮捕されました。

インタビュー

連邦兵士A:

私は第16歩兵大隊の狙撃兵として従軍していました。
我々は主導者の仇を討つために、メルダの地へと足を踏み入れましたが、見渡す限りの砂漠と荒地でした。
狙撃ライフルのスコープで周りを偵察しましたが、赤い土と岩ばかりが目に写りました。
だけど装甲車が先行して進むと、メルダの兵士が仕掛けたであろう即席爆弾が炸裂し、土の中からメルダの殉教部隊が飛び出してくるのです。
私は狙撃兵なので、落ち着いて相手を撃ちましたが、メルダ兵たちの近くにいた兵士たちはまさに恐怖に襲われていたことでしょう

連邦兵士D:

俺はその時、ニコライと一緒にクソ暑い中、スコップで掘った穴の中で見張りをしていたよ。
ニコライからタバコを貰おうとしていた時に、メルダの殉教集団達が真正面から襲ってきたんだ。
その時は20人位だったか……俺はすかさず、相棒の重機銃をぶっぱなしてやった。
するとあっという間に奴さんたちがキャベツのように弾けていきやがった。
だが最後っ屁と言わんばかりに手榴弾を投げてきやがった。
俺は無事だったが、爆発でニコライの片目に破片が刺さって、失明してしまったよ……だけど、アイツは言ってた。
「片目だけで済んでラッキーだった、命あるだけまだマシさ」

メルダ民兵C:

共和国連邦の主導者が死んでしまわれた時、これは大変な事になったとみんな思いました。
そして案の定、連邦の大軍が侵攻してきたのです。
我々も、メルダの地を守るために武器を持ちました。
我々は砂漠の民でありますので、ゲリラ戦は得意でした。
ある時、連邦の補給部隊を攻撃しました。
最前列の装甲車にロケット砲を撃ち込み、燃え上がった装甲車により身動きがとれなくなった補給部隊のトラックをAKなどで撃破し、壊滅させました。
私達は投降してきた連邦軍を捕虜にしていた所、私の足元に兵士が倒れていたのですが……その兵士はとても若かった…私の息子と同じくらいでしょうか……
その兵士は腹部を撃たれていたようで手の施しようがありませんでした……私は「何か言い残すことはないか?」と聞いたところ、ただ一言…「母さん」と………
私は、とても悲しくて、しばらくその場で泣いていました

その後

連邦は荒廃したメルダ民国に対する賠償金及び復興に全面協力することを約束しました。しかし、この混乱を利用しアルブァナ帝国は内戦中のメディナ・アメリカ合衆国に宣戦布告しました。 →第一次完全最終戦争

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