出来事・歴史/初音線環状化構想

Last-modified: 2007-12-07 (金) 13:35:17

背景

 20世紀末期まで、初音村(当時)一帯は主要な道路網・鉄道網のいずれからも遠く離れており、数十戸程度の集落が点在する寒村地帯であった。2000年に開業した「ニコニコ鉄道」も、初音と矢部野の2駅間を運行するローカル鉄道でしかなく、おまけに線路こそ複線だったものの、実際には貨物用と旅客用の単線運行が行われていたに過ぎなかった。
 ニコ鉄社内では「いつかは環状線」と、初音線の将来構想が語られることもなくはなかったが、当時は具体的な事業計画が策定されていたわけでもなかったという。いわば『夢物語の環状線』が語られるのみであった。

都市化の進行

 転機が訪れたのは、2003年の「ちゅるや百貨店」の開業だった。開業以来の主力商材であった『ちゅるや百貨店 スモークチーズ』が大ヒット。「スモチ特需」に沸いた初音-矢部野間の乗客数は、土休日に都心の通勤ラッシュアワー並みの混雑を記録し、一時は乗り切れない乗客が出るに至った。矢部野駅周辺の都市化は急速に進み、わずか4年で初音エリアの商業中心地となるに至った。

 開業以来乗客数が伸び悩み、経営難に陥っていたニコ鉄はこれで息を吹き返す。

 経営が安定し、ようやく路線の拡大に目処が付いたニコ鉄は、初音線を遮那駅(現在の遮那寺駅)、柊山駅(現在のひいらぎ台駅)へと延伸する。遮那駅にはマンション群「フレイムハイツ」、柊山駅にはオフィスビル群「ヒイラギ・センチュリアタワーズ」も同時に建設され、これが初音市街全体の都市化に大きく寄与する。

二つの「環状線構想」

 初音の発展ぶりを追うように、「環状線」構想もむしろ必然の計画として語られるようになってゆく。2009年には、主要各紙が一斉に非公開の行政文書の存在を報じる事件も起きた。これは『メビウス・プロジェクト』と題された文書であり、メビウス状に組まれた環状鉄道網を初音市街全体に敷設し、2040年には、その鉄道網で「8の字」のダブルループでの鉄道運行を実施するという、大規模な開発構想を記したものであった。

 この文書の正体は、初音町役場(当時)が都市計画を策定する上でシミュレートしたシナリオの一部が漏洩したものであって、ニコ鉄の経営計画と全く摺り合わせていないものであったが、急速に進行する都市化と、その歪みによる各種事件の表面化と重なり、大きな議論に発展した。

 2010年にはニコ鉄本社が「メビウス・プロジェクトは存在しないプロジェクトである」と公式に否定し、同時に『初音環状線化構想』を提示したことで、議論は一旦沈静化した。

環状化の達成

 ひいらぎ台から先は「五飛」「孔明」までを一気に開通させ、「孔明」と「矢部野」が結ばれることで、初音線はついにレールが環状となり、環状運転を開始。この際、矢部野駅の西側は既に市街地化していたため、矢部野駅西口の地下化・連続立体交差事業も同時に行われた。