熊谷支社/熊谷駅/変遷

Last-modified: 2016-03-21 (月) 18:27:59

1930年の開業からの変遷

初代駅

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初代駅舎。この頃は20線ぐらいまでなら何とかなると思っていた…

 1930年に開業。大陸間鉄道の途中駅に位置し、熊谷半島部へのアクセス駅として計画された。
そのため、5面9線という序盤では大規模な駅として建設された。
 1932年の北湘線が笠岡まで開業したのを皮切りに乗り入れ路線が増えていった。
 1942年には私鉄2社も乗り入れ11面20線の巨大ターミナルとなっていった。
しかし、ニコ鉄線は私鉄駅舎に挟まれる形となり、増床ができない形となってしまった。

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1942年の駅。東鉄を海南駅舎(図奥)にする当初計画の名残が見える

 そのため、1950年ニコ鉄線は長距離列車を地上、近距離列車を地下ホームに振り分け2層化することで対応した。

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1955年の駅。ニコ鉄線が2層化されている。貨物駅も片隅にねじ込まれた

だが、北湘線の延伸が続き1959年の全通、1968年には七里野線の開通により海峡を渡り七里野島内までの直通列車が運行開始する計画となっていた。
しかし現状の設備では大幅増発する余裕がなかったため、私鉄駅舎も含めた大改良工事が行われた。

2代目

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2代目駅。SLとのミスマッチっぷりから相当世界線がずれている事が覗える

 1968年のダイヤ改正と同時に2代目駅舎が営業を開始。各社ホームの増床、建設が決定していた大陸縦貫新幹線用のホームも同時に整備された。
その後も各社増発、複々線化など輸送量は増えていったが、輸送量増大を見越した構造としたため、容易に対応できた。
 1976年には大陸縦貫新幹線が開通、東海岸線では特急が削減され、新快速が新設された。

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真新しい0系新幹線と引退進むC62蒸気機関車

続いて1987年に北湘新幹線も開通、北湘線も長距離輸送の任を解かれた。
順調に見えた熊谷駅だが、90年代に入ると都市圏は巨大化し、74面100線まで増築を繰り返すも各線の輸送能力は限界に達してしまった。

 これを受け1978年から海雲線で試験的に運用されていた空間軌道を本格採用することを決定、駅構造の一新を行う事となった。
合わせて桜町線内の都市中枢部も複合的に開発することとなり、一時的に熊谷市と熊谷駅は消滅した。
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空間軌道を走る151系電車と181系気動車

3代目

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3代目駅舎。もはや駅ではない

 都市圏共々リニューアルされ2009年に現在の駅舎が開業した。このときの規模は133面166線であった。
在来線の配置を初め、新幹線ホームの大幅な増床、私鉄各社は空間軌道を全面採用、駅を重層化することで土地の有効活用に貢献した。
 そして2030年には新幹線留置線上に空港、在来線ホーム上に港を設置。鉄道だけではなく、様々な交通網のハブターミナルへと進化した。

2035年に空港跡地には半島南部の新規開拓地への輸送力・速達性確保のために熊谷駅直結の海上要塞が建設された。
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四角い何か

3代目

2040年に新幹線ホームをリニューアル。特徴的な某駅風の大屋根がある。
アドオンは自作です。
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4代目

2094年(乱開発記15話)で付属空港をリニューアル。多段式滑走路を採用し、狭い(要出典)土地を生かしつつ発着能力を高めた。
これに伴い新幹線ホームは空港の下に隠れる形となった。