ドイツ第四帝国 | |||
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Deutsches Viertes Reich | |||
国旗 | 目次 | ||
国の標語 | 神は我らと共に | ||
首都 | ベルリン | ||
人口 | 82800000人 | ||
面積 | 357,386㎢ | ||
GDP | [検閲済] | ||
建国日 | 1987年1月23日 | ||
国家主席 | ヴィルヘルム6世 | ||
公用語 | ドイツ語 | ||
通貨 | ユーロ | ||
国名コード | DEU | ||
ccTLD | .de | ||
国際電話番号 | 49 | ||
国教 | キリスト教 | ||
国歌 | ドイツ人の歌 | ||
議会 | 皇帝制 |
概要
東にはソ連、西にはフランスと国境を接する。
世界に領土を持つドイツ帝国の中心であり、故に「日が沈まない国」とも呼称される。
第一次世界大戦においてドイツ率いる中央同盟国が勝利したことにより、広大な植民地と賠償金を獲得し、一気に巨大帝国と化した。しかし、第二次世界大戦では(なぜか)ナチス化し、電撃戦を行い、連合国を倒し(オーバーキルし)た。勿論戦後は内戦となった模様。
日本に次いで高い国力を誇る。沿岸での工業は勿論、技術も発展している。
歴史
ここにはドイツ内戦勃発前から、現在までの経緯を書く。
独裁政権の陰り
ヒトラー率いるドイツは第二次世界大戦で勝利を収めたが1983年、ヒトラー暗殺事件により、ドイツ帝国の栄光は終わった。その後、後継者問題を決めるため1984年、ナチス党会議を開催した。しかし、会議は紛糾した。理由として、ヒトラーと同格、またはそれ以上の人物が見つからなかったからである。結論として、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣が次期総統となった。
ナチス党の分裂
リッベントロップが総統となったドイツだが、それに納得しない者達が存在した*1。1985年、ヒトラー原理主義者はナチス党を脱退し、ドイツ信仰党を建立した。これにより、ドイツ信仰党は事実上の野党となった。その後、ドイツ信仰党はナチス党と対立し、解散状態となった。
ドイツ内戦
ドイツ内戦勃発
1987年1月12日、バーデン=ヴュルテンベルク州の各都市で、約400万の皇帝信仰派が各役所などを襲撃し、その権限を乗っ取った。そして、1987年1月14日、ドイツ第四帝国の建国を宣言した。当然ナチス・ドイツ側はこれを認めず、ドイツ内戦が勃発した。
ヴァルデュルン会戦
1987年1月14日、ナチス党では緊急会議を開き、ヴァルデュルンに、約5万の軍を向かわせることを決定した。1987年1月16日、ヴァルデュルンに向け、5万のナチス軍が進軍開始した。そして、1987年1月18日、ついにナチス軍はヴァルデュルンに到着した。当初、ナチス軍はすぐ軍を集められないだろうと考え、5000人ずつ波状攻撃を仕掛け、敵を疲弊させ、その後止めを刺そうとした。しかし、ヴァルデュルンには、既に60000の反乱軍が到着していた。なぜ、60000もの軍を設置できたかというと、ナチス側にスパイがいたからである。1987年1月19日12時、ナチス軍は戦況が不利になると考え、援軍を要請した。1987年1月21日、ナチス軍の援軍が到着した。だがすでに到着していた軍は全滅していた。援軍が到着する前に、攻撃を仕掛けたからである。その後、援軍も殲滅され、ヴァルデュルン会戦はドイツ第四帝国軍が勝利した。
バイエルン会戦
ヴァルデュルン会戦によるナチス軍の敗北は各国を震撼させた。何故なら、これまで連勝続きだったナチス軍が敗北したからである。また、ドイツ国内でも、和平派と抗戦派に分裂していた。そうしている中、ナチスドイツはおおよそ500万の軍を進軍させた。その頃、反乱軍は、大規模な徴兵を行い、軍の総数は600万に達しようとしていた。そして、バイエルン州に反乱軍が侵攻した。その一報を聞き、ドイツは500万の軍をバイエルン州に集結させ、複合要塞を建築した。そして戦闘が始まった。反乱軍側は爆撃機や、戦闘機を多数使い、制空権をいち早く確保した。そして、複合要塞に向け、1t爆弾を10個程度投下した。その結果要塞は破壊された。そこで反乱軍は一気に侵攻し、バイエルン州も反乱軍のものとなった。
ナチス崩壊
バイエルン会戦でまたもや敗北を喫したドイツ国内では、反乱軍のスパイによるレジスタンスが大量に存在した。ナチス側は、戒厳令や外出禁止令などの条例を施行したが、どれもあまり効果がなかった。ついに、内戦和平派がベルリンで反乱を起こした。ドイツ軍では抑えきれず、ナチスの主要人物などを殺害し、ナチスは崩壊、新たにドイツ臨時政府が建国された。ドイツ臨時政府は、反乱軍に和平を申し込んだ。そして、ベルリン条約が締結され、ドイツ臨時政府は反乱軍に吸収され、新たにドイツ第四帝国の建国を宣言し、ドイツ内戦は終わった。
ドイツ内戦からの復興
さて、新たに建国されたドイツ第四帝国だが、まず皇帝の子孫であるヴィルヘルム5世を招致した。そして、内政改革を行った。その中、共産主義者の活動が最高潮に達し、ドイツ人民臨時政府がブランデンブルクに興った。ドイツ帝国はそれを認めず、大規模な攻撃を仕掛け、全滅させた。そして、復興させるための、ヴィルヘルム・プランを実行した。その結果、内戦の混乱した経済も回復した。