F2A Buffalo

Last-modified: 2013-06-27 (木) 20:07:52

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ゲーム内画像

F2A Buddalo.jpg

性能一覧 (βv0.4.3.2)

耐久値140⇒160
重量(kg)⇒2794
火力86⇒233
対気速度(km/h)204⇒388
海面速度(km/h)424
最適速度(km/h)482
最適高度(m)1560
最大降下速度(km/h)610
失速速度(km/h)87
上昇率(m/s)13.3
機動性204⇒252
 
同調機銃口径
(mm)
重量
(kg)
発射速度
(rpm)
砲口初速
(m/s)
DPS
12.7 mm M2(S)12.776750.089041
 
翼内機銃口径
(mm)
重量
(kg)
発射速度
(rpm)
砲口初速
(m/s)
DPS
2×12.7 mm M2(S)12.776750.089041
2×20 mm Hispano-Suiza HS.404(W)2086600.088070
 
通常爆弾重量
(kg)
攻撃力加害半径
(m)
100 pound bomb45120070
 

機体

名称耐久値重量(kg)
F2A-11401731
F2A-21601780
 

エンジン

名称馬力重量(kg)方式
XR-1820-G1850500空冷
R-1820-34950520空冷
R-1820-401200600空冷
 
派生元F3F
派生先F4F

解説

史実

Brewster_Buffalo_F2A-2.jpg

 

F2Aはアメリカ海軍の艦上戦闘機。
愛称はバッファロー(buffalo)。
開発はブリュースター社が担当した。メーカー名は一部の資料においては、ブリュスターと表記されることもある。

 

アメリカ海軍の艦上戦闘機の近代化のための1936年の要求は、単葉機であること、折りたたみ翼、引き込み脚、密閉式コクピットをもつことであった
。ブリュースターもグラマン社、セバスキーとともに競争試作に参加した。なお、このときグラマン社が提出したものは、後に改良されF4Fワイルドキャットとなっている。
ブリュースターの XF2A-1試作機は1937年12月に初飛行した。
1938年1月から評価が始まり、6月に海軍は66機の初期生産型F2A-1の発注を行った。引渡しは1939年に始まったが55機しか納入されず、サラトガのVF-3戦隊に10機が配備され、44機はB-239としてフィンランドに供与された。
エンジンの出力向上などの改良を加えたF2A-2は、43機が発注され1940年9月から引渡された。次に防弾装備を強化したF2A-3が、108機発注され1941年7月から引渡された。
F2Aはすでに枢軸国軍の戦闘機(ただしイタリア及び日本機には対抗できると考えていたようである)に対して性能が劣ることは明白であったが、イギリス、ベルギー、オランダ(主に蘭印東インドで使用)は陸上型のF2Aを数100機も購入した。
ただしベルギーは発注し受領する前にドイツの進攻にあったため、すべての機体がイギリス領クレタ島にまわされ枢軸国軍機と戦闘を行っている。
イギリス空軍は「バッファロー」と命名した。
ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109に対抗できないと判断された当機は、地中海方面及び極東、シンガポール、マレーシアに配備された。
当時イギリスを含めた連合国は、人種差別的な観点から日本軍機の性能を「イタリア軍機と同程度」と考えており、当機でも十分戦えると判断されたようである。
しかしながらマレー半島などに配備された当機は一式戦「隼」や零戦と戦闘を行い、そのほとんどが撃墜、あるいは地上撃破されることとなる。
さらにマレー半島シンガポール方面でイギリス極東空軍のB-339Eが、蘭印方面で蘭印陸軍航空隊のB-339Dが完全な状態のまま数機が鹵獲され、性能テストのために日本本土に送られ後に、明野陸軍飛行学校に配属されていた機体は、国策映画「加藤隼戦闘隊」及び「愛機南へ飛ぶ」に敵機役として出演している。
さらに、昭和17年7月4日から5日間にわたりP-40E、B-17D、ハリケーン等とともに羽田飛行場で戦意高揚のため一般展覧が行われた。
また、昭和18年、宇都宮陸軍飛行学校校長に就任した加藤敏雄少将は、本機を自ら操縦し"自家用機"として使用した。

 

出典
F2A Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/F2A_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

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