第一部.定理13が正しいとすると?
物質どころか、物質を拡張したもの(この世のありとあらゆるもの)もやっぱり分割できない。
おまけ
物質が分割不可能だということは、次の説明でもっと簡単に納得してもらえると思う。物質の本質は(これまでの話しから)無限だとしか考えようがないよね。でも物質から「部分」を見出そうとすると(部分ということは有限なんだから)どうしたって「有限な物質」なんて珍妙なものになってしまう。これじゃ第一部.定理8と完全に矛盾してしまう。
ここまでの話しを、「そんなの現実には何の関係もない抽象的なたわごとだ」と切り捨てたり、「ふん」と鼻で笑うひともいるだろう。
でも科学の基礎は、実は知らず知らずのうちに(きっと知っているはずだけどね)、この「物質の性質を分割することはできない」ということを前提にしてるんだ。ぼくが話す物質と、物理学者が話す物質は当然違うので、そのことを念頭においといて。
だって、たとえば実験室で扱う鉛と、自然界に存在する鉛がまったく関係ない(=分割されている)ものだったら、そもそもどんな実験だって成り立たない。宇宙の果てからやってくる光のスペクトルは、地上にある元素を熱して出てくる光のスペクトルと同じだと仮定しないと、宇宙論を組み立てることも地上で実験することもできやしないんだから。
ぼくらには、たかだか地上の物体と、ほんのわずか月から持ち返った石と、宇宙からふりそそぐ光線(電磁波)ぐらいしか手材料がないんだってことを思い出してほしいな。そんなちっぽけな手材料から宇宙の姿を想像するには、物理学で言う物性(ずばり物質の性質のことだね)は宇宙のどこにいっても変わらない(分割できない)と考えないと、何にもできやしないんだよ。
そして、信じられないほどの高温高圧の世界で表れる物性は、この地上での実験も宇宙の始まり(ぼくスピノザ自身はビックバンがあろうとなかろうとどっちだっていいんだけどね。だってそれは単に性質の問題なんだから)でも変わらないはずだと仮定しなきゃ、意味がないはずだ。
それ以前に、もしこの世にある物体が分割されていて、互いに何の関係もなかったら、一瞬先のことすら予測がつかない、とてつもなく混沌とした世界になっていただろうと思うんだ。