第一部.定理17
神は、神自身の本性ただそれだけをベースにして活動する。神は誰の言うことも聞いてくれないし、神にお願いしたり指図したり縛りつけたりすることなんかできっこない。
理由
- 神の本性から必然的にというか、神の本性をベースにした法則によって、無数のものごとから途方もなく無数のありようが生まれるってことはついさっき第一部.定理16で説明したよね。
- それに、第一部.定理15で、神抜きではどんなものもそこにあることもできないし、神抜きのものごとというものを考えることすらできない、すべては神の中にあるんだってことも証明した。
- ということは、神の外にはなんにもないってことだよね。
- だったら神に指図したり神を思うがままにこきつかえるようなものも当然あるわけない。
- だから、神は神自身の本性ただそれだけをベースにしてのびのび活動するし、どこの誰だろうと神に指図したり縛りつけたりなんかできなくてあたりまえ。おしまい。
お祈りは人間のためのもので、神に言うことを聞かせるためのものなんかじゃない(笑)。ましてや、「神よ、あいつを殺してください」なんて呪いのお願いをするなんてね(うぷぷ...爆)。