第二部.定理10が正しいとすると?のおまけ

Last-modified: 2007-07-29 (日) 00:01:21

第二部.定理10が正しいとすると?のおまけ

これだけしつこく言い続けてきたんだから、もう誰も反対する人はいないと思うんだけど(笑)、もう一度繰り返すよ。いい?「はたった一つしか存在しない」「どんなものごとものおかげ(原因)だ」「ものごとが存在できるのも、そのものごとの本質すらも、やっぱりのおかげだ」「ものごとが生まれてしまうのも当然のおかげだし、生まれてしまったものごとがとりあえず存在し続けることができてしまうのも、これまたのおかげなんだ」ってこと。

ある意味、ぼくスピノザはみんなを洗脳しようとしているのかもしれない(爆)。そう思われても構わないし、それはむしろぼくにとってはうれしいことだ(後で説明するよ)。そこらの新聞や週刊誌じゃあるまいし、読んだ人に何の影響も与えない本なんか書く気はこれっぽっちもないんだから。でもそんなことより、とにかくこの先を間違いなく進むためには、今しつこく繰り返したことをどうしても理解しておく必要があるんだ。ここで基礎をさらに固めておかないと、この先でまごついたり道に迷ったりする可能性がある。少なくとも「こころ」の問題にいったんかかわってしまったからには、途中でみんなをおいてきぼりにするのはあまりに危険だからだ。そのための装備点検だと思っておいてくれればいいよ。ここでまだ、「暴力をふるうしか能がない、勘違いにまみれた」のことをちらっとでも思うようなら、悪いことは言わない、もう一度第一部の後半まで引き返したほうがいい。

ここまでついてきたみんなならもう大丈夫だと思うんだけど、世の中には、なしでは存在することも考え付くこともできないようなたわいもないことを指さして「これこそものごとの本質である!!」なんてことを力いっぱい叫んでいる人たちがまだまだいっぱいいる。

もう少し具体的に言うと二つのパターンがあって、「がおつくりになった(私たち人間を含めて)どんなものごとの本質にも、本質が100%もれなくセットされている=人間はである(爆)から何をやっても許されるのだ」か、「は動物の母親や人でなしの母親みたいに、つくりだしたものごとにいちいち本質なんかセットしてくれずに、冷たく見捨ててしまった。でもそれでもわたしたちは生きているし、ものごとの本質が存在していることも、それについて考えることもできる=はものごとをつくりだしたのかもしれないけど、もう関係ないや。捨てられちまったおれたちは好きにやらせてもらうよ」という感じかな。でもこの二つはまだいい方で、自分の言っていることにも確信が持てないほど混乱している人たちの方がほとんどだ。このことだけは少なくともぼくは確信が持てるよ(笑)。

でも、何でこんなことになっちゃったんだろう。たぶんこの人たちは、ものごとを順序だって考え続けるのにどこかで失敗したんだと思うんだ。だってぼくが思うに、ってのは最初に考えなきゃいけない相手で、最後に考える相手じゃない(日本人なら、今だけを「自然」とか「宇宙」に置き換えてみてもいいかもしれないね)。だって、の知識に着目しようと、の本性に着目しようと、を考えの出発点にするのが普通じゃない?どうやらこの人たちは、自分の「感覚」を出発点にして考え始めちゃったんじゃないかな。たかだか人間の、何とも頼りないへなへなの感覚から出発したもんだから、最後の最後にやっとにたどりつこうとしてもがくはめになったんだと思うんだけど。

だからこの人たちは、自然のあらゆる現象(それはそのものだ)を一生懸命観察しているつもりで、本質カンペキに見落としてしまった。宇宙のどんなところでも激しく現象が発生しているし、宇宙のどこでも現象が発生できる、ただそれだけのことがそのものなのに、どこに目をつけていたんだろうね(笑)。錯覚と本物を区別することもできないような頼りない人間の感覚から出発したばっかりに、ささいなことに目を奪われてたんだね。

しかも逆に、頼りない感覚から出発してやっとこさっとこのところまでたどりついて、いざについて考えようとするときには、今度は出発点である頼りない感覚、つまりただの憶測にしか過ぎないもののことをころっと忘れてしまっている。憶測の上に何を積み上げたって、そんなものはバベルの塔と一緒で、どう考えても正しくにたどりつけるわけがないよね。だいたい順番が逆なんだから(笑)。これじゃ積み重ねた説にどんな自己矛盾が起きたってほんと不思議でも何でもない。

まあでも、そんなことはどうでもいい(笑)。ぼくがこの「おまけ」を書いた理由はただ一つ、「ぼくたちが目にするものごとは、本質的にめちゃめちゃ頼りないものでできている」ってことを言っておきたかっただけなんだ。でもそうやってやさしく言わずに、あえてを持ち出して「なしでは存在することもそれについて考えることもできないような頼りないものが、ものごとの本質をかたちづくっている」し「本質は、ぼくらどころかどんなものごとの本質もかたちづくってくれない」と言わせてもらう。こっちの方を頭によーく叩き込んでおいてね。

ぼくスピノザがどうしても強調しておきたいのは、「あらゆるものごとに必ずかかわっている」「にもかかわらず、ものごとの本質はとっても頼りないものでできている」「本質は、ものごとの本質にこれっぽっちもセットされていない」ってことの方なんだ。これを強調するためにわざわざ、第二部.決めごと2でちょんまげ(笑)の話をしておいたんだ。つまり、「○○は××の本質だ」と言ったら、○○さえあればたちまち××が成り立つし、○○を外したとたんに×× は成り立たなくなるし、○○のない××なんてありえないし考え付くこともできない、そんな○○が××の本質をかたちづくっているってことだったよね。

こんなふうにぼくがってうるさく言うのは、ぼくに友達が少ないからでも(笑)ないし、環境のためなら人でも殺すような狂信的な環境保護論者(爆)だからでもなくて、今の結論はここから先に進む時に頼りにしないといけないものなんだから、それを揺るがせちゃいけないんだってこと。準備はいいかな?いよいよ、「こころ」について最初の驚くべき結論が出るからね。