第二部.定理11

Last-modified: 2007-08-04 (土) 12:29:27

第二部.定理11

現実の人間の「こころ」を最初にかたちづくるのはほかでもない、現実に存在している身近なものごとについての思いだ。

じゃーん、驚いた? ...そうでもない?あっそう。こうやってやさしく書くと、「だからどうしたの?」って言われるかもしれないね。でもこれは具体的にどういうことなのか、まだみんなはきちんと説明できないはずだ。まずはぼくの説明を読んでみてよ。

理由

  1. 第二部.定理10が正しいとすると?で、ぼくたち人間の本質は、たかだかのある性質化身したものでできあがっているってことを説明した。これはいいよね?
  2. それから、第二部.ルール2では、ぼくたち人間の本質っていうのは具体的には「考えてしまうものだ」ってことを決めてあった。
    1. まあ人間の本質のすべてじゃないけど、すくなくとも「考えてしまう」というのは人間の本質の一つなんだ。今は「こころ」がテーマだから、この「考えてしまう」という本質が人間にセットされている、このことだけに着目する。これもいいよね?
  3. それから第二部.ルール3では、「思いが最初にないと、【考える】ことはできない。だって考える相手がいないんだから」ってことを説明した。つまり、何よりも最初にまず思いがなきゃおかしいってことだ。
  4. おなじく第二部.ルール3から、「思い」と、「考えの化身」はおんなじところ(ささいなものごと、つまり人間の身体)に入っていないとおかしい。

まずここまでの4つのことから、少なくとも人間の「こころ」を最初にかたちづくるのは思いだってことははっきりした。じゃあ今度はその思いの相手が誰かってことだ。

  1. 普通に考えても、一番乗りにできあがった思いの相手は、ありもしない幻覚のようなものであるはずがないんだよね。だって、第二部.定理8が正しいとすると?の後ろ半分はこのために書いたようなものなんだけど、たとえ生まれたての赤ちゃんがありもしないものについて突然天才的にひらめくようなことがあったとしても、相手が実際にいなければあっと言う間に消えてしまう。思いがしばらくの間でもそこにあり続けるためには、少なくとも相手もしばらくの間実際に存在しないといけないはずだ。だから、思いの相手は少なくとも現実に存在しているに違いないはずだ。
  2. じゃあ相手は具体的には誰なんだろう。もしかすると(笑)?残念ながら違うんだ。へ理屈に聞こえるかもしれないけど、思う相手が無限で永遠だったら、思いそのものだってやっぱり無限に永遠にないとおかしいでしょ?もし生まれたての赤ちゃんが天才的にについて思うなんてことがあったら、その赤ちゃんは生まれる前から(笑)永遠について思っていないとおかしいもんね。第二部.ルール1で書いたように(書くまでもないんだけど)、人間ははかなくて頼りない存在なんだから、生まれる前からについて考えられるわけがない。
    だから、思う相手だってささい身近な、まあさすがにあっと言う間に消えてなくなったりしない程度のものごとしか選択肢がなくなってしまう。

というわけで、めでたく定理が正しいことがはっきりした。現実に存在する人間の「こころ」を最初にかたちづくるのは、まぎれもなく身近なものごとについての思いだってこと。おしまい。