第二部.定理6
今の話をもっと押し進めれば、こうなる。
神の化身の特定の性質だけに着目している限り、その化身がそこにあるのは、やっぱり神のおかげ(原因)だ。でもこのとき、その化身のほかのどんな性質であろうと、このことに関係なくなってしまう。いちどにかかわることができる性質は、一つだけだ。
逆に言えば、神の化身のある性質に着目している時に、その化身の中にほかの性質をも同時に見い出しながら神のことを考えることなんかできないし、その化身にほかの性質を宿すこともできっこない。
理由
- 第一部.定理10をもう一回引っ張り出すけど、どんな性質であっても、ほかの性質について考えながら同時にその性質についても考えることができないって言ったよね。
- 当然、どんな化身であっても、もとになる性質を宿している。
詳しく言うと、化身はもとになる性質の「概念」を宿していて、それ以外の性質の「概念」はこれっぽっちも宿さないことになる。 - ここでまたしても第一部.ルール4を持ち出せば、もうほかに宿しているものがないんだから、
- 今定理として言ったように、ある化身の性質にもとづいて、ぼくたちが神のことを研究しているのであれば、神の、ある性質の化身には、必ずその性質だけを宿す、ってことがはっきりとわかった。
おしまい。
後で詳しく話すし、第一部でももう話したんだけど、ものごとが一見別々に、何の関係もないように見えることについて、ぼくスピノザはこんなふうに考えていたんだ。
結局違って見えるのは性質だけで、しかも一つの神が、お互い何の関係もない性質を多数同時に備えていて、しかもある化身は一度に一つの性質しか宿すことができないからだ、とね。