第二部.定理6が正しいとすると?
「考え」の化身でないようなものごとが神の本性から生まれてしまった理由は、どう考えても「神がそのものごとについてあらかじめ先づけで何か知っていた」とは思えない。
「考え」が、ほかのものごとより特にエラいというわけではなさそうだ。
結局、どんなにくっだらないものごとから生まれたようなものごとであっても、(ちょっと見には立派そうな)思いが「考える」という性質から単に(そして必ず)生まれてしまうものごとと同じように、何か別の性質から単に(そして必ず)生まれてしまうってことがわかってしまった。
ぼくら同業者ですら、このことはなかなか納得できるもんじゃない。ぼくたちはどうしても、「考える」という作業が、肉体労働やその他の作業と比べて特別で、立派で、尊くて、自慢できるものだとついつい思い込んでしまう。ぼくスピノザにとっても面白くないよ、正直言って。でも、自分で証明してしまったからなあ。
だから「考える」という作業は何一つ特別でもないし、人間だけがものを考えられるわけでもないし、実にありふれたささいなものごとなんだ。これはぼくスピノザとしても認めるしかない。同業者のメシのたねを奪ったようなものだから、ちょっと気が引けている。同業者といっても、もちろん全部ではなくて「考えることができる」ってそのことだけでお金をもらっているような人に限るけどね(笑)。