第二部.定理7が正しいとすると?

Last-modified: 2007-07-16 (月) 09:44:33

第二部.定理7が正しいとすると?

の「考えるちから」は、がものごとを現実に生み出すパワーとまったく同じだということになる。この世の中で、の無限の本性から生まれてくるものごとというのは、(思いだろうと物体だろうと)おなじように積み重ねたり並べたりつなげたりできて、しかもそれはすべてが「この世の中」というものを「他人ごとのように」思い浮かべたことから生まれてしまうんだ、っていうことがわかる。

だってが自分のことを思い浮かべたって、もう自分はとっくに存在しているんだしね(ちょっと不機嫌)。とにかく、ぼくスピノザにとって「がこの世を作り出す」ってことはこういうことなんだ。これまで教わった「天地創造」(笑)みたいなの奇跡とやらについて、自分で考えた結果がこうだったんだ。少なくともこれで、いいかげんぼくが不信心でも何でもないってことぐらいはわかってもらえると思う(笑)し、旧約聖書から出発していることもわかってもらえると思う。ぼくも、どう転んでもヨーロッパの人間だし、アリストテレスの影響から逃れることもできないんだ。

..驚かして悪かったね。ぼくが「思いは現実の物体のように並べたりつなげたりできる」って言ったのは、実はこういうことだ。
現実の物体は、それが原因になってほかの物体を動かしたりすることがあるわけなんだけど(玉つき衝突みたいにね)、思いも、同じようにその思いが原因になってほかの思いに働きかけることがある、そういうことが言いたかったんだ。
難しい言葉で言えば、「因果関係」、つまり「原因があって、結果が生まれる」という点では思い物体も変わらないってこと、要するにそれだけなんだ。第二部.定理7は本当はこう書くのが正しい。
ぼくスピノザとしては「こころ」と身体について、みんなに一度真向から考えてみて欲しかった。それでわざとあわてふためいたりしてみたんだけど、間違いなく同じなのはこの「因果関係」がどっちにも同じようにあるってことで、それ以外の何もかもがそっくりだということじゃないんだ、本当のところは。
だから、ここから先に進む時には、「思いにも因果関係があるんだ」ってことだけが結論として頭に残っていてくれればいい。あんまりフェアなやりかたじゃなかったかもしれないけど、ぼくスピノザがたどった道をちょっとでもリアルに感じてくれることができれば、これほどうれしいことはない。これで成仏できる(笑)と言いたいところだけど、まだまだ説明は続くからね。さあ行ってみようか。