第二部.定理9が正しいとすると?

Last-modified: 2007-07-28 (土) 10:17:56

第二部.定理9が正しいとすると?

思う相手がどんなにささいつまんないものごとであろうと、その相手の中で起こることについての知識(思いも含めた情報)も、これまた自動的にすべての中にあるってことになる。この世の中のどんなものごとでも、だよ。

それは、がそのささいなものごとについて思ってくれているからなんだし、それだけでいいんだし、それしかありえないんだ。思っているのは誰かと言えば、自分じゃない、すなわち物質だ。

理由

  1. これはどう考えても「思う相手、つまりが無限であるかどうか」ってこととはとっくに関係なくなっている。
  2. 逆に原因になるのは、「が、相手についての思い化身した」ってことの方なんだって考えるしかなくなるよね(第二部.定理8を読もう)。
    1. もうちょっと精密に言うと、「(相手についての思いから生まれてしまった)また別の「思い」、こいつもまた、化身したものだからなんだ」
  3. ところで、第二部.定理7でぼくが説明した通り、いろんなものごとが原因と結果の玉つき衝突を繰り返すのとまったく同じように、思いもまた原因と結果の玉つき衝突を繰り返す。つまり、ある思い(だけ)が原因になってほかの思いが生まれてしまうんだ、ってことはもう完全にはっきりさせてあるよね。
  4. となれば、相手についての知識(思いも含めたあらゆる情報)も、その相手がどんなにささいつまらないものであろうと、これまたの中にあるってことは、もうとってもあたりまえだという結論が出せるわけだ。
    1. 相手についての思いが、の中にあるからこそ(思いのものだからこそ)、こうなるんだけどね。
      おしまい。

何だか寝言のように聞こえてしまったかもしれない(笑)けど、ここには後で必要になるようなすごく大事なことが書いてあるんだ。つまり、「思いから生まれてしまった思いには、思いを生み出すパワーという点では何の違いもない」ってことなんだ。つまり、化身してできたっていう点では、もとの思いも生まれてしまった思いもまったく対等なんだよってこと。思う相手が立派だろうとくだらなかろうと、思いから思いが生まれてしまう、その動作を変えることはできないんだってこと。ここが肝心なんだ。すぐに使うわけじゃないけどね。を持ち出したのは、思いのそういう性質が変わらないってことを説明するのに使っただけで、自体は重要でも何でもない(笑)。