目次
プロローグ
高い山地に位置する草原、ほとんど人の手が加えられておらずただ1つ古びた祠だけが置かれている。涼しい風がそよぎ、草花は風に掬われる。何一ついつもと変わりないただの草原だ。1つの存在を除いては。
草原の中心に白い何者かが居る。緑一色で覆われている草原では非常に目立つ。その人物はただ草原に座り込み、風を感じていた。背と頭から満遍なく羽を広げ、白く美しい衣と白く長い髪を靡かせながら。
白い者は人間ではなく、精霊。この草原がお気に入りで、人々に見つからないよう普段は姿を隠している。今日もいつものように風を感じている。
しかし、精霊の中には少し気に掛るものがあった。精霊と同じく草原に佇む祠だ。人が居ない美しい自然を感じるために降りてきたというのにいつもこの祠が透き通るような気分を妨げる。とはいえ、祠は本来人々が精霊に祈りを捧げるために作られたもの。自分のために作られたものだから邪険に扱うことができず、いつも祠を見守るだけでいた。
今日も祠と共にただ自然を感じるためにこっそり姿を現したが、ふと祠に興味が湧いた。今まで祠を見るばかりでよく調べたことがなかった。祠は精霊へ祈りを捧げるためもの、自分のために作られたのだ。あまり中身には期待していないが、精霊である私が直に見てやろうと思い、祠についている扉を開いた。中には真っ暗で何も見えない穴があった。それだけならまだ良かったのだが、この祠は極めて小さい。光が差し込んで、底が見えてもおかしくない大きさだ。奇妙な穴を不思議に思い精霊は石を落としてみた。一度壁に当たり、瞬く間に闇へと消えていった。石と地面がぶつかる音は響かない。精霊の好奇心は増し、ついに手を突っ込んでみる。しかし底に手は着かない。闇は精霊の白い手さえも包み込み、輝きを奪っていく。怖くなり手を引こうとした途端、穴から奇妙な音が流れてきた。人知を超越した音楽のような、虫が死ぬ超音波のようなわけのわからないもの。精霊の脳に届いた途端、精霊は気を失ってしまった。その拍子に穴の上の虚空に半分身を委ねていた小さな体は、無抵抗なままに闇へ放り込まれていった。
CHAPTER1
1話【堕落】
目を覚ますと洞窟のような空間。精霊は自分の身に何があったのか考える。穴に手を入れ、怖くなったところから記憶が無い。周りを見渡してもさっきの祠では無いことは明らかだ。ではここはどこなのか、精霊が考えられる唯一の可能性は、穴の中に落ちたことだ。あの時周りに誰も居なかったのだから攫われたとは考えにくい。そもそも精霊は誰にも気づかれないよう過ごしてきたのだ。尚更人為的な原因は考えにくい。
そう考えながら上を見上げると確かに上が見えない。やはり穴に落ちたと考えるのが妥当だろう。少々狭いが、小柄な体格をした精霊なら羽を広げても問題ない広さだ。精霊は飛び立った。
しかし、何故か飛べない。すぐさま背中の羽を見てみる。羽自体に異常は無い。何故飛べないのだろう。再び考えてみる。こんなことは今まで一度も無かった。羽に不備があって飛び方が不安定になることは度々あったが、今は羽自体に不備は無い。今この問題を考えても無駄だと思い、別の方法を模索してみることにした。周りを見渡してみると1つの扉が目についた。他に手がかりが無いか見てみるが特に何も無い。仕方なく扉に手をかけた途端、不安が込み上げてきた。この扉を抜けるともう戻って来れないのではないか。そんな考えが頭をよぎった。とはいえ精霊には扉を開く以外の選択肢が無い。恐怖を押し殺すようにして扉を開く。
扉の先は人工物で固められた空間。四角く切り出された岩が地面のようになっている。中央の妙に深い凹んだ部分には、並べられた木の板の上に乗せられた細長い鉄がずっと続いている。
空の色は雲に覆われていて分からない。しかし、曇りにしては周りが暗い。まるで夜のように黒い世界だった。
以前旅人に聞いた人の世界というのはこういうものだろうか。文明が発達していて、我々自然に囲まれた精霊たちには理解できないものが沢山ある世界。普段大自然の中を生きている