※この項目は動画のネタバレを含む可能性があります。注意して御観覧ください
ゆとり炎上史
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 第二次しんすけ活動停止
- コンセンサス爆誕
- 2011年
- しんすけコミュ誕生
- 第二次ヤス復活
- しんすけ関連動画一挙非公開
- しんすけコミュ解体宣言
- しんすけ関連動画削除
- そして農地消滅へ
2007年10月08日 ゆとりが始動した日
- 実況プレイ動画黎明期、「ゆとりの友人に無理やりFF4実況させてみた」で実況デビューを飾る。
(プレイヤー:しんすけ うp主・アドバイザー:ヤス 録音補助:加藤) - part3からはタカとしんすけとの二人実況になり、このコンビは次第に人気を獲得していく。
2007年11月25日 「うそよね~ん」
- 人気が出るとともに動画は荒れ始め、その状況を憂いた彼らは11月25日早朝、FF4 part31のうp主コメント欄において活動の休止を宣言。
- 騒然とする視聴者だったがその日の宵のうちに主コメ欄が更新され、とある動画へのリンクが貼られていた。
- 「フルボイスでいっき」。のちの「農地」である。
- 動画冒頭にある「うそよね~ん」の釣り成功宣言は、心配していたファンたちの間に安堵をもたらしたものの、同時に物議をかもすことにもなった。
- またこの動画はFF4に続く2作目の動画であり、初の単発実況動画である。以降のゆとり実況の多様な広がりを予感させた。
- 現在は主コメ欄において新着動画の確認用として用いられており、600万再生の怒濤の勢いをみせている。
2008年05月29日 いっき売却!?
- 「二っ期」(現「農地」)にて、しんすけが実況の一時停止を宣言。しばらくしてタイトルが「二っ期」から「売地」に変えられ、「再開の予定はなし」とのコメント。視聴者は騒然とする。
- 次の日タイトルが「説得中」に再変更。そしてそのまた翌日「発起」となり、近々に説明会を開くこと、また、実況は続けられる事がコメントされた。
- 「説明会場」が上げられ、しんすけ本人の口から説明が行われる。
- しんすけの個人ブログが探し当てられ、掲示板に晒されてしまったという。他にもそういった信頼を傷つけるような行為を受け、失望の末に実況停止の判断が下されかけたようだ。
- また、「あなたたちも(「聖剣伝説2」において)似たようなことをしてたじゃないか」という意見のメールがきたことを告げ、「聖剣伝説2」の削除が発表された。
- 続いてしんすけ以外の三人によって上げられた「裏説明会場」で、タカは今回の騒動について謝罪(その横でヤスはスペランカーで死に芸を披露、加藤はそのヤスにデレるという、カオスなありさまであった)。それを見たしんすけは発奮し、「いてよし」を上げる。「オレひとり火ダルマ!」、「絶対あやまらねぇ!」と炎上の申し子としてのキャリアを順調に積み重ねていく。
- ちなみに、「説明会場」には人気実況者はるしげが聞き役として出席し、動画の後半はしんすけとフリートークをしている。これは当時としては画期的なことであり、この後、ゆとりが他の実況者たちと積極的に関わっていくことを示唆している。
2008年07月29日 ルーツとコラボ
- ルーツの実況動画「クロノトリガーを実況プレイするぜ part14~17」において、ルーツ・しんすけのコラボ実況が実現。(タカとイボーンもガヤとして参加。)
- しかし、コラボ実況の難しさか、二人のテンションの低さ、ルーツのいわゆる「ルーツ節」が影を潜めてしまったこと、クロノ既プレイのしんすけによるネタバレなどで動画は大荒れ。
- こうした流れの中、謝罪動画(?)としてうpされたのが、「風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参! 実況プレイ」であり、永久機関よろしくいまだ絶賛炎上中。
- 有名実況者同士のコラボは当時はまだ少なく、この試みは実況界に新風を吹き込んだと評価する向きもある。
2008年08月6日 炎JOY!
- 実況神、ジャック・オ・蘭たんが伝説の24時間連続ラジオ配信を敢行するさなか、突如しんすけが、裏番組ラジオ(炎JOYラジオ)の開始を2chに告知した。
- 参加者は、しんすけ、タカの他にたろちんやイボーン。あと加藤。
- そこで語られた事実に視聴者は驚愕した。
- *注意* 以下には動画を楽しめなくなる恐れのある重要なネタバレが含まれます。それでもよろしければドラッグで反転してください。
- 内容は、「しんすけは引退します」「(このとき初プレイとして実況していた)ドラクエ4は5回くらいクリアしてる」「FF4は10回くらいプレイ済みだった」という驚くべきものだった。
- 内幕を明かした理由は、しんすけの2chにおける過去の発言が掘り起こされ、そこから推測される「既プレイ」という事実が公になりつつあり、先手を打つ必要があったから、という説が有力である。(しんすけ曰く、「もうメンドくせぇんだよ」)
- ここからしんすけとしての更新は途絶え、彗星の如く現れたパールライス山下という新人に道を譲ることになる。
- しかし、しばしの時を経て、新機軸を打ち出した動画を立て続けにうp(新作「ロックマンX2」、また「ドラクエ4」を既プレイとして再開)。逆境の中、新たな実況スタイルと「信じる心」を手に入れ、問答無用のエンターテイナーっぷりを見せつけた。
2008年09月21日 超魔界村実況対決祭り
- ルーツと藤原が、個別に超魔界村を実況プレイし、9月23日の22時までにマイリスト数の多かった動画が勝ちとするゲームを始める。
- 当初は、のちのち大規模な実況対決祭りを企画するつもりで、今回はその試金石というようなつもりだったらしい。
- だが、この対決にパールライス山下というしんすけにそっくりな大型新人が参戦、パー下に続けとばかりに他の実況者たちも動画を上げはじめ、実況対決は加速、いつしか祭りと呼ばれるようになる。最終的には大きな盛り上がりを見せて終結した。
- 結果は、藤原とルーツの友人でもある実況者小林が1位、パールライス山下は2位であった。
- 対決後、ルーツと藤原が配信した結果発表ラジオには、途中からパールライス山下も参加。
- ぽっとでの新人のくせに、「ラジオをのっとるな」と言われるほど喋りまくった。それに飽き足らず、火を放ち、薪をくべ、ガソリンをぶちまけるなど、完全にスレの流れを支配していた。
- なおこの時、実況対決以前にあげられた無関係の動画、「ヤスの超魔界村実況」を一位にしようとする動きがファンの間で見られ、マイリスト数が急上昇。全く関係のないヤスも巻き込まれた。
2008年11月20日 フリーゲームの大海原へ出航そして座礁
- ほとんどのRPGは既プレイであると豪語するしんすけであるが、たまには初プレイ実況をやりたいとフリーゲーム界に足を踏み入れる。そこでチョイスされたのが人気フリーゲーム「シルフェイド見聞録」であった。
- 初回からしんすけの荒くれなプレイスタイルは火種を撒き散らし、あっと言う間に動画が炎上。
- Part2になり、ゲーム実況の調子はあがっていったのだが、炎は作者HPにまで飛び火するほどの勢いを見せ、結局全焼、「焼け野原」となる。(うpからわずか一日にして削除)
- この後の「ゆめにっき」(28日~)も同じく人気フリーゲームの初プレイだが、こちらは同じ轍を踏むことなく無事に終了。
- 動画を大幅にカットしたり、一部の場面では編集を駆使して大胆な演出をするなど、以前とは違うしんすけが開花していくのを見ることができる。
2008年11月22,23日 羅刹たちのラジオ
- さかのぼること一週間前の11月15日午前1時過ぎ、しんすけのブログに「けさ 5じ なにかがおこる」と謎の書き込みがある。
- 5時にうpされた動画は、実況者を集めて大規模なラジオ配信をすることを発表するものであった。
- その豪華な面子に視聴者たちは驚き、当日までお祭り騒ぎになる。
- なお、この動画は参加する実況者たちのPVという体裁をとっており、実況者紹介動画としても見ることができる。しんすけのプロデュース・センス、タカの編集技術、さらに全アドリブで行われたルーツの印象に残るナレーションなど、見るべき点の多い動画である。
- ラジオの模様は後日、ニコニコ動画に(一部をのぞき)うpされた。
- 参加者、タイムテーブル等、詳細は羅刹ラジオにて。
2008年12月23日 70万円を失った日
- 10月に立ち上げた自身のブログにて、しんすけはアフィリエイトの収支を公開すると宣言。
- 11月初め、たった10日間でミステリードール約1000体分ほどの収入を得たと報告。
- 12月2日、振り込みがきたとの書き込み。さっそく散財し、コンビニで募金(20円)、ロイホに入店、さらにはモスで晩餐をするなど豪奢の限りを尽くす。
- そして12月23日。しんすけブログと加藤とヤスのブログからアフィが消えた。
- どうやらグーグルのアカウントが停止されてしまい、11月分と12月分の収入をふいにしたようである。
- この時のラジオ動画では、久々にゆとりの4人が揃い踏みした。
2009年01月31日 新メンバー登場
- 以前から話に出ていた百姓が1月1日のしんすけの生配信にゲストで登場する。
- その後1月31日にニコニコに投稿された床の見えないドンキー実況で正式に「ギム」としてデビューする。
- ギムについての詳しい紹介はこちらを参照。
2009年04月01日 「実況野郎文芸部(B-TEAM)」Webマガジン幻冬舎で連載開始
- 加藤・Revin・ルーツ・たろちんの4人が、Webマガジン幻冬舎に「実況野郎文芸部(B-TEAM)」と題して連載開始。
- 加藤は視聴者からのQ&Aに答える企画を担当
- それまでは、実況者が公のメディアに露出すると言うことはあまりなかった
- ITmediaから取材受け、mixiニュースにも取り上げられるなどメディアからも注目を受けることになった。
2009年04月14日 しんすけ活動停止
- しんすけが自身のブログにて「声をメインにした動画は作らない」と事実上の実況引退宣言。
- 動画の作成、うpなど、ニコニコでの活動は続けるが、その際にも「しんすけ」という名前は使わないとのこと。
- 4月5日には活動の一時休止を、9日にはUstream配信からの撤退を表明していて、今までの引退騒動のように急な出来事ではなかったものの、それがかえって事の重大さを浮き彫りにさせ、視聴者からは驚きや悲しみの声がもれた。
- またこの件について、4月いっぱいまでメールでの質問に返信するとした。「返信は9月までかかりそうだ」ということなので、相当数のメールが来たようだ。(※多すぎて対応しきれず、その後、「声明文」にて再募集をかけることとなる)
- そして2009年の5月4日、しんすけのブログが消去され、ゆとりの活動は残りのメンバーへ託されることとなった。
2009年07月24日 ヤス活動停止
- この数日ほど前から、ヤスの個人ブログと彼の友人のブログにDQ9のネタバレコメが書きこまれはじめ、被害は徐々に広がっていった。
- 22日にヤスは「加藤とヤスのKYブログ」でいら立ちをあらわにした文章をうp。(その後、その記事は何度か差し替えられ、現在はAAと共に「おわり」という一言になっている)
- 24日のKYブログ更新で、突然の実況引退表明。前々から引退は考えていて、今回のことはちょうどいいきっかけになったかもしれないと述べている。
2009年08月09日 しんすけ・タカ・加藤、ニコフェス出演
- 2008年の炎JOYラジオからちょうど一年の8月6日午前0時すぎ。藤原の生配信にいきなりしんすけが凸。
- 二日後にせまっていたニコフェス(ニコニコ実況サマーフェス2009)のMCとしてオレを使うように言ってほしい、などの無理難題を突きつける。実際は藤原・タカの枠にサプライズで出演することは既に決定していた。にも関わらずのこの言動に、ニコフェス側は難色を示し、また頼みの藤原にも愛想をつかされ、しんすけの出演は見送られたかに思われた。
- 一方、これをしんすけ再始動の兆しとみたのか、農地はにわかに活気付き、ニコフェス当日に向けて祭りの様相を呈し始める。
- 8月8日、ニコフェス当日。ルーツ作のオリジナルアニメ「するめいか・第五話」がうpされる。そのアイキャッチにしんすけ、加藤のほか、人気実況者たちが出演。そしてその動画の主コメには「学園祭の時、俺たちは空き教室でずっとトランプしてるぜ!」とフラグともとれる言葉があり、視聴者の期待はさらに高まる。
- ニコフェス本番、8月9日早朝。藤原とタカの枠で加藤、ルーツ、まお、たろちん、ケイらが出演。ちなみにタカは焼酎をあおって泥酔、爆睡中であった。
- このまま一時間、亀戸・居酒屋中継が続けられるのかと思いきや、実は出番直前にしんすけの出演が決定していた。突然回線が切り替わり、しんすけの声が流れ出す。先日の藤原配信や出演の経緯、ニコフェスの所感などについてフリートークをくり広げた。6日の凸の影響もあり、少なからず火種をはらんでいたスレは一気に加速。最後は亀戸チームも再登場し、タカを叩き起こして終了。様々な問題を提起しながらニコフェスの盛り上げに一役買うも、騒動を巻き起こし、物議を醸す結果となった。
2009年09月20日 しんすけ活動再開
- この3日前に人生初だという失恋を経験し、うちひしがれたしんすけ。
- いろいろと思うところがあったようで、「涙飯」をうp、実況活動再開を高らかに宣言した。
- 翌21日にうpされた「ゆとりの友人に楽しくFF5実況させてみた」で本格的に実況が再開。
- 10月6日には今後の方針の報告動画、「瓦版」がうpされた。しんすけ個人の活動は農地で報告せず、「超魔界村実況対決(パールライス山下)」改め、「パールライス村」でするとした。
- だが10月7日の「喋り場」で改めて今後の方針についてタカたちと話し合いがおこなわれた。「パールライス村」は「ヤス墓村」と改名。鎮魂場であり、かつ贖罪の場とされた。また、しんすけの動画は農地でpart1だけが告知されることになった。
- ちなみにしんすけは贖罪として「ゆくすけ」という動画を上げている。
2009年12月31日 ヤス復活
- 遡ること10月6日、ヤスは"????"名義でKYブログを更新。実況再開への布石かと視聴者の期待は高まっていた。
- その翌日にうpされた「喋り場」にまおを通訳にし出演、自身の実況復帰について「望まれているのならば、考えなくもないっすけど」「復帰するかも???」などと復活をちらつかせるヤス。しかしその後動画を上げる気配はなく、ザオラルは失敗したのかと思われた。(この動画でヤスを復活させることをザオラルをかけると喩えられた。)
- そして大晦日。2009年も残りあと数分となり、2010年のカウントダウンに入ろうかという頃、ついに年越し動画「ゆくヤス2」がうpされる。約半年ぶりのヤス動画であった。こうして欠けていたピースが埋まり、ゆとりの2010年は幕を開けた。
2011年4月1日 第二次ヤス復活
- 大晦日恒例のゆくヤスシリーズはうpされ続けたものの、実況本編は2009年6月23日投稿のヤッスマン4 part2より凍結されていた。
- そこに突如現れた実況動画「ヤス倶楽部」、実に約1年10カ月ぶりのうpであった。
- このうpを機にヤスの実況が本格的に再開、翌々日には新シリーズ「がんばれゴエモン外伝2をヤスらかに初プレイ実況」がスタートとなる。
- ヤス「一度引退してなお優しく接してくれる人が多いのが嬉しくて、そんな皆さんのために何かしたいと思ったがきっかけです。」
- ※ヤスのTHE INTERVIEWS回答集から一部引用。
- ※ヤスのTHE INTERVIEWS回答集から一部引用。
2011年11月11日 しんすけ関連動画削除
- 2月3日のしんすけ関連動画の非公開予告、6月8日の一挙非公開から約5か月後、しんすけ自らの手によって投稿者削除が行われた。
- これにより、自身がうpしたしんすけ関連動画は羅刹ラジオ関連を除き、全て消滅した。
- そして上記とは無関係のはずの加藤とヤスの実況動画「ザ・グレイトバトル2 ラストファイターツイン」のpart1がしんすけのミスにより消されることとなった・・・
2011年11月11日 そして農地消滅へ
- しんすけ関連動画削除に伴い、長らく動画まとめサイトとして使われてきた農地が投稿者削除となった。
- 2011年11月11日(金) 01時15分削除。最終再生数7,135,973、最終コメント数752,479であった。
- 削除となった現在も亡き農地を惜しむ農民によって耕作(コメント)が続けられている。
- しんすけ ◆RGgAPiL0Mo「さすがに農地消す時は目をつぶったね」
- ※しんすけ自身と思われる発言をコミュニティ掲示板から引用。
- ※しんすけ自身と思われる発言をコミュニティ掲示板から引用。
農地300万再生記念MAD
- 農地の再生数大台突破を祝して作成されたMAD動画。
ゆとりの初めの一年間を手軽に振り返ることができる。ただしネタバレ注意。