クッキー☆実況とは

Last-modified: 2017-07-14 (金) 18:58:30

クッキー☆実況とは、なんでも実況J板で行われる、対象となる動画の台詞や感想をリアルタイムで書き込む行為である。

概要

クッキー☆実況(以下ク実)は2011年4月、「1人で見るのはつらいからみんな一緒に見よう」と提案した、現在では巻き込み型ガイジと定義されるなんJ民の行動に由来する。その後「贔屓球団が負けたから」「実況したいから」「キチガイを気取りたいから」といったなんJ独自の思想を示す理由付けにより定期的にスレッドが立つようになった。

本行為は特に会期は定められておらず、年間を通して実況を行うことができるが、「プロ野球の中継時間は実況スレを立てない」という不文律が存在するため、それを踏まえた配慮を必要とする。一方でオールスター、日本シリーズ、国際試合をはじめとする催事においては、ク専という形式を用いた実況が行われることがある。

野球がストーブリーグに移行し、動画の投稿や発掘が充実する12月以降はク実の主戦場となる。例年クリスマスイブから新年にかけて大型実況が敢行され、その後も局地的に実況が活発化するため、冬場のク実を「レギュラーシーズン」と呼称する住民も多い。それに伴い3月末の春の到来、野球の開幕と同時に「閉幕」として実況に別れを告げることが慣例化しているが、前述のとおり年間を通して実況を行っているため、次の日にはふたたび実況を始めている場合が多い。むしろ、実況が停滞する傾向が見られるのは、夏の終わりから冬の初頭にかけての期間である。

実況方法

住民が動画番号と開始時刻を指定し、その時刻になると一斉に動画を再生する古典的な方法で実況を開始する。

まずスレッドを立てた>>1が最初の指定を行うことでク実が成立し、指定された動画の終了に伴い次の指定に移行する。それをバトン形式で繰り返していき、次スレが立たなくなるまで実況を行う。指定は動画の終了5分前を目安に可能となり、それより前に指定した場合はフライングと見なされ、無効となる。

指定を行った当人は、その動画を実況している間は一定のやる気を見せることが求められる。レス数が少ない場合はしばしば軽蔑の対象となり、当人がほとんど実況に参加しない場合は指定が取り消されることもある。また、音MADが指定された場合は「実況範囲外」として無効となる。ク実と関係ない動画に関しても実況範囲外として無効が適用されるが、大半が受け入れ厨であり「この動画を実況した」という既成事実を悪用する住民がいないような緩い実況の際は、指定が受理されることもある。

かつては「動画が終わる頃に指定する」という住民の道理に委ねた非常に弾力的なレギュレーションだったが、5分前ルールが明文化されたことにより、5分前と同時に複数の住民が指定を試みる「指定競走」が繰り広げられるようになった。このことで「即座にクソ動画爆弾を投下する」「相手のクソ動画爆弾を防ぐため自分がクソ動画爆弾を投下する」といったフェアな爆弾&ブロック行為が可能となり、指定に戦略性(思考的とは言ってない)が生まれている。

時刻の確認は、回線や端末によるズレが生じず、UTC+9に基づいた正確な時間合わせが可能なtime.isが用いられる。かつてはクッキー☆に関連したスレッドにtime.isのURLを書き込むことが実況の狼煙となっていたが、現在は乗っ取り文化の減少が顕在化しているため、この方法を見る機会は著しく少ない。

黎明期

黎明期のク実は言葉通りクッキー☆のみの実況であり、その刺激の得られない内容から精神の鍛錬と揶揄されることが多かった。しかしその退屈さの共有こそがク実の目的であったため、退屈を理由に逃げる住民に対し強い引き留めが行われており、次第に実況熱に火がついた住民によって引き留めではなく実況の“強制”がされるようになった。この考えは勤行に近く、一見無駄な行為でも、回数を重ねることで精神的な側面で何らかの意味を生み出すものであり、これに神聖視を加味したものが大峯や比叡山の回峰行である。いわゆる苦行ごっこ、ファッションキチガイの展覧会という根本は現在と変わっていないが、当時のほうがよりその色の強さを伺うことができる(事実、2011年の時点で「クッキー☆実況は苦行ごっこ、馴れ合いだ」という旨のレスを確認できる)。

巻き込み型から始まったク実がファッションキチガイの巣窟になった理由として、「巻き込まれる過程でクッキー☆に対する耐性が生まれたことで、更なる刺激を求めるようになった」という意見がもっとも普遍的なものではないかと考えられる。その前提を踏まえた上でその他の考えを推測すると「キチガイごっこを繰り返すことでク実や自分の名を高めることに主眼を置いた」「単純に負けず嫌いでスレに屈したくなかった」「ごっこではなく本当に苦行として自らの仏性を目覚めさせようとした」「ク実の中で目標を設定し、それを超えるよう努めた」など様々な解釈が可能である。なんJにおけるクッキー☆研究家のフラン・ジェームスはクッキー☆実況について、「世の中に広く存在するB級映画・クソゲー・打ち切りマンガ愛好の伝統を踏襲した行動である」と捉えている。

発展と独自文化

黎明期以降、TIS作品のリリースによりクッキー☆本編でない動画に対する許しが与えられるようになった。そこから生み出された「キャラソン」と「親等理論」の2つは実況における非常に重要なファクターとして根幹を担っている。圧倒的なキャラソンの数量を持つぱせりが実況サーの姫として象徴づけられていることからそれが確認できる。また親等を利用することで、一般的にクッキー☆と定義される作品以外の動画の実況が可能となった。ニコニコ動画を始めとする他所のクッキー☆文化との間で大きな差異が生まれた理由がこれである(その結果、帰属意識の強い住民が他所の文化を叩く姿が見られる)。狭義のクッキー☆、広義のクッキー☆という言い方もできるが、ク実住民に「これは既にクッキー☆ではない」という意識が根付いているため、あまり意味のない線引きと言える。

それ以降、発掘した動画を実況しつつ、雑談に独自の言語を合わせるスタイルが主流となる。発掘された動画は時に強烈な抑止力として機能する場合があるが、動画にむりやり趣や情緒を見出すことに慣れた一部の住民が、どの状況においても風情を感じることができるため、より強烈な動画を求めるようになる現象が発生した。これがいわゆる受け入れ意識の向上である。自らの美学に反するとして拒む者も存在するが、適度な受け入れは現代実況の基層となる理念として既に浸透するに至っている。

形成された価値観

内輪ネタは内輪で完結させる
ク実を知る上で重要な価値観の1つである。建前としては、発掘した声優に必要以上の被害が及ばないようにするという道徳的な配慮を踏まえた規範意識、核心としては、単純にク実民の独占欲の強さと独自路線を好む気質に起因するものである(当然、前者を本意としている住民も存在する)。内輪ネタの意図的な外部流出は嫌悪感を持たれる行動であるが、明確な規制がされているわけではない。あくまでもその価値観を共有している住民が多いというだけであり、しばしば目の及ばないところでネタの持ち出しが発生する。その流れは諦念を表したうえで「玩具が取り上げられた」と形容される。
便宜としての無知
実況を通した東方、ボカロ、オタク系知識の集積に対し自虐的な反応を示す住民が多いことは、体裁であり、ある意味でク実の秩序である。黎明期の苦行一色を過ぎた現在のク実行為は、馬鹿馬鹿しい動画を別の視点から捉えて楽しもうという意図から生まれるものであり、東方やアニメ要素は動画を構成する因子の1つに過ぎない。よってそれを目的に見ている視聴者、特にYouTubeのコメントに対し定期的に反面教師的な視線が向けられる。そして、それが過度な1ジャンル依存にブレーキをかける自戒となっている側面が存在する。キャラソンにおいても同様であり、傍から見れば完全にボカロ厨であるク実民が「ボカロ厨くっさ」と罵り合う光景を日常的に目にすることができる。
淫夢の立ち位置
クッキー☆と淫夢は切っても切り離せない関係にあるが、「クッキー☆実況はもはやクッキー☆ではない」とする自意識の高まりと確立に伴い、ク実言語は新たな段階を迎えた。使う語録を自前で補う(時に住民自身のレスすら語録化し循環させる)文化が広まりを見せ、他所とは異なる独自の言語が形成された。その後は淫夢語録とのダイグロシアが図られていたが、2015年頃からとりわけ“外との接触”を拒む住民が言語の統一を求め、淫夢を排除しようとする動きを見せるようになった。結果的に淫夢は身を潜めることになったが、現在は淫夢ネタに対し「それマナインのヤジュセンじゃんwwwwwwww」というような、あえて外した、ある種の皮肉もしくは自嘲を込めたような反応を示す傾向が強まっており、接触言語としての淫夢が誕生している。

まとめ:実況とは?

ファッキチが馴れ合いやってるうんこスレ
しね