FF10
シーモアの母。名前は不明。
ヒトだがグアド族長であるジスカルと結婚し、シーモアを授かった。
ザナルカンド遺跡のエボンドームに満ちた幻光虫が映す記憶映像の中に登場し、
彼女がシーモアの究極召喚として生贄になったことがわかる。
初めてシーモアの悲劇が描かれるシーンであり、同時にマザコン疑惑までつけられる瞬間。
- FF10-2では彼女は召喚士であったとされている。
- マザコン疑惑てあの年齢ならしかたないんじゃない?
それにシーモアの生い立ちには悲惨な面が大きいし。
…って庇ってやる気が微塵も起きないシーモア、哀れ。 - シーモアの生い立ちを考えればマザコンになるのは無理もない、ずっと母と二人きりだったのだから。
異種族の族長と結婚してヒト差別の激しいグアド族の中に身を置き、
結局愛する夫にかばいきってもらえず、バージ島に息子と一緒に流され、
そこからガードとして一人で幼いシーモアをザナルカンドまで導き、
更に自ら究極召喚として命を投げ出すという壮絶な人生を送った女性。
これだけの肝っ玉母ちゃんなら、シーモアがマザコンになるのも肯ける。
- マザコンも何も、周囲がみんな敵なようなものだから仕方ない気もする。
シーモアが究極召喚を手にしながら『シン』に立ち向かわなかったのは、
母を『シン』にするのが忍びなかったからなのかもしれない。
召喚獣の姿は召喚者の意思や心理に関係なく、祈り子になった者の見る夢が反映される筈。
愛しい我が子を守るためにあのような姿をイメージしたのだろうか…それにしても想像力が豊かすぎやしまいか。
- 自分たちを蔑み、排除しようとした世間への恨みも入ってると思う。
グアド族からもヒトからも阻害された訳だから。
デザイン的にゼノギアスの主人公のお母さんに似てると思った。
シーモアの母は「私を召喚して『シン』を倒しなさい。そうすればみんな貴方を受け入れてくれるはず」と言っていた。
この台詞は「私を召喚して、『シン』を倒して、貴方も死んで、みんなから受け入れられなさい」ということだろう。
死んでしまったら受け入れるも何もなかろうに…。
そう考えるとシーモア母子はどう転んでも幸せにはなれなかったということか…。
- 当然だがシーモアは母が究極召喚の祈り子となるより、普通に死ぬまで傍にいてほしいと願っていた。
しかし命の限界が迫っている事を悟った彼女は、同じく死ぬなら息子の力となり、彼の名誉回復の手段にもなり得る究極召喚獣となる道を選んだのである。死ぬ事でしか救われなかった母を目の当たりにし、
シーモアが「死は永遠の安息」という持論を持つに至ったのは当然の帰結だったのかもしれない。 - シーモアは、母子心中の生き残りみたいなもんなんだな。そりゃ歪みもするか。
祈り子となった姿が、生前の姿をかなり留めているのが切ない。
見ようによっては、食虫植物に襲われている女性のようにも見えるが。