生まれ
きょうごくただたか
1593年
1637年
どんな人?
江戸時代前期の大名
若狭国小浜藩第2代藩主
京極高次の長男として生まれる。ちなみに母親は側室。
16歳の時に父親が死んだため若狭一国を相続した。
21歳の時に大阪の陣に徳川方として参加した、
その後、毛利家に対する押さえのために出雲に行く。
正室の初姫と仲が悪かったので、子供が生まれなかった。
そのまま45歳で死んでしまったので、京極家は改易されそうになったんだけど、今までの京極家の功績を考慮してもらい甥っ子の京極高和?が京極家存続を許された
逸話
●正室との仲は悪かった。初姫が死んだ時にはなんと相撲見物に行っちゃってた。そのためお父さんの[[徳川秀忠[[がめっちゃ怒った
●徳川家の娘を迎えたため、かなり優遇された
●徳川秀忠は京極家の人々を初姫のお葬式に出させなかった
関連のある人々
父親・・・京極高次
正室・・・徳川秀忠の四女・初姫
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ