京極忠高

Last-modified: 2009-11-19 (木) 11:44:02

生まれ

きょうごくただたか
1593年
1637年

どんな人?

江戸時代前期の大名
若狭国小浜藩第2代藩主

京極高次の長男として生まれる。ちなみに母親は側室。
16歳の時に父親が死んだため若狭一国を相続した。

21歳の時に大阪の陣に徳川方として参加した、
その後、毛利家に対する押さえのために出雲に行く。

正室の初姫と仲が悪かったので、子供が生まれなかった。
そのまま45歳で死んでしまったので、京極家は改易されそうになったんだけど、今までの京極家の功績を考慮してもらい甥っ子の京極高和?が京極家存続を許された

逸話

●正室との仲は悪かった。初姫が死んだ時にはなんと相撲見物に行っちゃってた。そのためお父さんの[[徳川秀忠[[がめっちゃ怒った

●徳川家の娘を迎えたため、かなり優遇された
徳川秀忠は京極家の人々を初姫のお葬式に出させなかった

関連のある人々

父親・・・京極高次

正室・・・徳川秀忠の四女・初姫

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ