京極高次

Last-modified: 2009-10-30 (金) 16:37:28

生まれ

1563年生まれ
1609年没

どんな人?

お家存続することができた戦国のラッキーボーイ

おいたち年表

1563年0歳京極家の嫡男として小谷城京極丸にて誕生
幼少時代北近江の浅井長政の勢力に押されていた
1568年6歳足利義昭に仕えていた父・京極高吉が、対立していた織田信長に臣従し隠居したことから、
家督を継ぐ。そして同時に織田信長の人質となる。  
1573年11歳織田信長に攻められ、浅井長政が自害し浅井氏滅亡。これによって近江国高島郡に5千石を貰う。
1581年19歳伊賀攻めでは、織田信雄の下で従軍   
1582年20歳本能寺の変。高次は妹の竜子の夫である武田元明?とともに明智光秀軍に入り、
秀吉の居城・長浜城を攻めるが、明智光秀が敗れたため武田元明?は自害し、
高次は柴田勝家のもとに逃れる   
1583年21歳賤ヶ岳の戦では柴田勝家方につくが敗戦。
が、竜子秀吉の側室になったことから許され、秀吉に仕えるように
1587年25歳秀吉の九州攻めに参陣
1587年25歳織田信長の妹・お市の方の次女・お初と結婚する  
1590年28歳近江国に2万8千石を拝領し、八幡山城主に   
1595年33歳近江国に6万石を拝領し、大津城主に   
1598年36歳秀吉が死ぬと徳川家康に接近し始める   
1600年38歳関ヶ原の戦でも徳川家康側に入り、西軍相手に大津城に籠る。
が、戦の前日開城してしまい、高野山に逃れる。
その後、西軍をひき付けた功績から、若狭国一国8万5千石をもらう  
1609年47歳死去  

逸話

●高次の出世は自身の功では無く、妹や妻の尻の光のおかげと噂され、陰で蛍大名と囁かれた

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京極高吉・・・父

京極マリア・・・母

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