松倉重政

Last-modified: 2009-11-24 (火) 11:40:55

生まれ

まつくら しげまさ

1574年生まれ
1630年没

どんな人?

戦国時代の武将
筒井家の家臣の家に生まれる
筒井順慶が死ぬと、豊臣家の家臣となった
関ヶ原の合戦では東軍に入り、大阪の陣でも徳川方についた
そのため、有馬晴信の領地であった場所をもらえることに

1618年になると石高に見合ってないすっごい規模のお城を建てようと、領民からめっちゃめちゃ税金を搾り取った。
それが島原城。
でもって有馬晴信はキリシタン大名だったんだけど、それがイヤだったのでキリシタン弾圧をスタートさせる。
最初はその弾圧もゆるかったんだけど、三代目将軍徳川家光が1625年に「ちょっと弾圧が甘いんじゃないの?」と言ったため、すっごく厳しくなる。
その弾圧たるや徹底的で数々の拷問を行った。
有名なものでは雲仙の熱湯をかけるなど・・・
さらにさらに、キリシタンの根源はルソン(フィリピン)だ!!と考えて江戸幕府に訴えたりした。
でもって幕府の中でも「そりゃナイスな意見だ!」と賛成派も出てきて、遠征準備まですることに。
この遠征準備はもちろん領民の税金。
が!!兵を出そう!!ってトコで、いきなり松倉が死んでしまった
どうやら毒殺という噂がある

逸話



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