生まれ
1510年生まれ(諸説あり)
1577年没
どんな人?
戦国時代の武将。梟雄の代表各
おいたち年表
生まれは不明
今まで何をしていたのかも謎。出てくるのは1451年ごろから
1541年ごろ・・・32才
阿波国の三好長慶の祐筆として頭角をあらわす。
ちなみに弟の松永長頼は三好家の先手を務めるほどの実力
1553年・・・44歳
三好家の畿内平定とともに、摂津国の半国を支配下おく
1559年・・・50歳
三好長慶に大和国平定を命ぜられ、大和国の信貴山城に移る。
1560年・・・51才
まだ幼かった大和国の筒井順慶を追い出し、大和国を平定。そのまま大和国を支配。
1562年・・・53歳
多聞山城を築城し、嫡男の松永久通を入れる。
1564年・・・55歳
主君の三好長慶が精神的に異常をきたして死ぬ。
理由は嫡男三好義興の死や長慶の弟安宅冬康の死、同じく弟十河一存の急死が原因
どうやら久秀が謀殺したという説もある
その後、十河一存の子・三好義継が後を継ぐが三好家の実権は久秀や三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通?)が握る
1565年・・・56歳
足利義栄を傀儡将軍にして幕府の実権を握ろうとする。
三好三人衆とともに、13代将軍の足利義輝を急襲し殺害する。これが永禄の変
が、この後三好三人衆との権力争いがスタートする
1566年・・・57歳
上芝の戦で三好義継と三好三人衆に負ける。
畿内は三好三人衆が平定するように
久秀は和泉国堺に逃れ、懇意だった堺の会合衆の斡旋を要請し、三好義継との和睦に成功、大和国に残る。
1567年・・・58歳
東大寺の戦で三好三人衆に勝利。
このとき、大仏殿が炎上してしまう
1568年・・・59歳
足利義栄を14代将軍につかせることに成功
が、すぐに織田信長が上洛してくる
久秀は織田信長に従い、大和国と河内国半国を安堵してもらう
1571年・・・62歳
甲斐国の武田信玄と通じ、織田信長織に反旗を翻す
1573年・・・64歳
上洛途中に武田信玄が死んだため、織田信長に降伏。
1575年・・・66歳
織田信長に大和国の支配権を剥奪され、佐久間信盛の配下に入れられる
許してもらっただけすごい
1577年・・・68歳
再び織田信長に反旗を翻す
織田信忠勢に信貴山城を囲まれ、とうとう自害(信貴山城の戦)
このとき、織田信長が欲しがっていた名茶器「平蜘蛛」とともに爆死
逸話
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関連のある人々
兄弟・・・松永長頼
正室:三好長慶の娘
長男・・・松永久通
長女(伊勢貞良?の妻)
養子・・・松永永種
祐筆の人物批評
ハガクレ・・・結構好き。極悪なところが(笑)
祐筆
●一番手・・・