松永久秀

Last-modified: 2009-11-11 (水) 14:21:42

生まれ

1510年生まれ(諸説あり)
1577年没

どんな人?

戦国時代の武将。梟雄の代表各

おいたち年表

生まれは不明

今まで何をしていたのかも謎。出てくるのは1451年ごろから

 

1541年ごろ・・・32才
阿波国の三好長慶の祐筆として頭角をあらわす。
ちなみに弟の松永長頼は三好家の先手を務めるほどの実力

 

1553年・・・44歳
三好家の畿内平定とともに、摂津国の半国を支配下おく

 

1559年・・・50歳
三好長慶に大和国平定を命ぜられ、大和国の信貴山城に移る。

 

1560年・・・51才
まだ幼かった大和国の筒井順慶を追い出し、大和国を平定。そのまま大和国を支配。

 

1562年・・・53歳
多聞山城を築城し、嫡男の松永久通を入れる。

 

1564年・・・55歳
主君の三好長慶が精神的に異常をきたして死ぬ。
理由は嫡男三好義興の死や長慶の弟安宅冬康の死、同じく弟十河一存の急死が原因
どうやら久秀が謀殺したという説もある

その後、十河一存の子・三好義継が後を継ぐが三好家の実権は久秀や三好三人衆(三好長逸三好政康岩成友通?)が握る

 

1565年・・・56歳
足利義栄を傀儡将軍にして幕府の実権を握ろうとする。
三好三人衆とともに、13代将軍の足利義輝を急襲し殺害する。これが永禄の変

が、この後三好三人衆との権力争いがスタートする

 

1566年・・・57歳
上芝の戦で三好義継と三好三人衆に負ける。
畿内は三好三人衆が平定するように
久秀は和泉国堺に逃れ、懇意だった堺の会合衆の斡旋を要請し、三好義継との和睦に成功、大和国に残る。

 

1567年・・・58歳
東大寺の戦で三好三人衆に勝利。
このとき、大仏殿が炎上してしまう

 

1568年・・・59歳
足利義栄を14代将軍につかせることに成功
が、すぐに織田信長が上洛してくる
久秀は織田信長に従い、大和国と河内国半国を安堵してもらう

 

1571年・・・62歳
甲斐国の武田信玄と通じ、織田信長織に反旗を翻す

 

1573年・・・64歳
上洛途中に武田信玄が死んだため、織田信長に降伏。

 

1575年・・・66歳
織田信長に大和国の支配権を剥奪され、佐久間信盛の配下に入れられる
許してもらっただけすごい

 

1577年・・・68歳
再び織田信長に反旗を翻す
織田信忠勢に信貴山城を囲まれ、とうとう自害(信貴山城の戦)
このとき、織田信長が欲しがっていた名茶器「平蜘蛛」とともに爆死

逸話



関連のある人々

兄弟・・・松永長頼

正室:三好長慶の娘

長男・・・松永久通
長女(伊勢貞良?の妻)
養子・・・松永永種

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・結構好き。極悪なところが(笑)

祐筆

●一番手・・・