織田信忠

Last-modified: 2010-03-03 (水) 11:53:49

生まれ

おだのぶただ
1557-1582

どんな人?

戦国時代の武将

織田信長の長男

おいたち年表

1557年1歳織田信長嫡男として生まれる。奇妙な顔だったため、信長が奇妙丸という名前をつける
1567年10歳武田信玄の娘・松姫と婚約する   
1572年16歳元服 
1573年17歳小谷城の戦い  
1574年18歳第三次伊勢長島攻めで勝利する   
1575年19歳岩山城攻め。武田家部将の秋山信友に勝利する  
1575年19歳長篠の戦いで[[武田家]に勝利する 
1575年 歳織田信長より家督を譲られ、岐阜城主となる  
1577年21歳雑賀攻めに勝利する  
1577年21歳織田家を寝返った松永久秀を攻め自害させる  
1578年22歳上月城をめぐり毛利家と戦う。総大将となる  
1580年24歳家臣の佐久間信盛織田信長に追放される  
1582年26歳武田家を攻める。滝川一益が補佐し先鋒となる   
1582年 歳本能寺の変。父の信長が明智光秀に殺害される。
駆けつけた村井貞勝とともに戦うが明智勢に攻められ自害  

逸話

●母親は生駒吉乃と言われてるが、不明
●小さい頃から織田信長に特別扱いされていた
●自害後の首が出てきていない

関連のある人々

父親・・・織田信長

祐筆

●一番手・・・愛 「生きていたらいい武将になったんでしょうね。豊臣秀吉が天下を取れなかったでしょうねぇ」