榊原康勝

Last-modified: 2010-01-13 (水) 16:14:13

生まれ

さかきばらやすかつ
1590~1615

どんな人?

江戸時代前期の武将
上野国館林藩の2代目藩主

徳川四天王の一人である榊原康政の三男として生まれる

三男なんだけど、長男の榊原忠政が大須賀家に養子に行き、次男は早死にしたため家督を継ぐ

16歳の時に父親が死ぬと上野国館林藩10万石の大名になった

25歳の時に大阪冬の陣があり、徳川方として参加

ここで佐竹義宣を助けるなど活躍をした

26歳で大阪夏の陣が始まり、大阪方の木村重成と戦った

が、大阪夏の陣が終わって京都に引き上げる途中、病死してしまった

逸話

●どうやら痔がひどかったらしく、痔が破けたため大量出血して死んだらしい

●子供がいたんだけど、まだ小さかったので家老たちが「これじゃ俺達出世できない」と考えたらしく、徳川家康に跡継ぎがいないから、長男の大須賀忠政の息子・忠次を榊原家に戻して家督を継ぐようにした。でもこれがバレてしまい、三人の家老は処罰されてしまった

関連のある人々

父親・・・榊原康政

正室・・・加藤清正の娘

子・・・榊原勝政榊原忠次が榊原本家を継いだので、幕府から1000石もらって旗本になった)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ