生まれ
さかきばらやすかつ
1590~1615
どんな人?
江戸時代前期の武将
上野国館林藩の2代目藩主
三男なんだけど、長男の榊原忠政が大須賀家に養子に行き、次男は早死にしたため家督を継ぐ
16歳の時に父親が死ぬと上野国館林藩10万石の大名になった
25歳の時に大阪冬の陣があり、徳川方として参加
ここで佐竹義宣を助けるなど活躍をした
が、大阪夏の陣が終わって京都に引き上げる途中、病死してしまった
逸話
●どうやら痔がひどかったらしく、痔が破けたため大量出血して死んだらしい
●子供がいたんだけど、まだ小さかったので家老たちが「これじゃ俺達出世できない」と考えたらしく、徳川家康に跡継ぎがいないから、長男の大須賀忠政の息子・忠次を榊原家に戻して家督を継ぐようにした。でもこれがバレてしまい、三人の家老は処罰されてしまった
関連のある人々
父親・・・榊原康政
正室・・・加藤清正の娘
子・・・榊原勝政(榊原忠次が榊原本家を継いだので、幕府から1000石もらって旗本になった)
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ