生まれ
つだのぶすみ
1555年生まれ
1582年没
どんな人?
お父さんが2歳の時に信長とケンカして殺されてしまう
信澄はまだ小さかったのと、信長&信行の母である土田御前が命だけは助けてくれとお願いしたため、柴田勝家に預けられ、育てられた
信長がぐんぐんと勢力を拡大していくと、政略の一つとして磯野員昌の養子に出された
信長にとっては憎い弟の子だったんだけど、信澄が賢く武勇にも優れていたためとっても気に入っており、自分の息子たちと同じような待遇をしていた
19歳の時に、信長の仲介により家臣・明智光秀の娘と婚約した
その後は、柴田勝家とともに鳥羽城を攻略したり、明智光秀の丹波攻めの援軍に行ったりと活躍を続けた
23歳の時に、義父である磯野員昌が織田家を出て行ってしまったため、近江高島郡を与えられた
27歳の時、信長が三男・織田信孝を大将とした四国征伐を命令すると、副将の一人となった
が、本能寺の変が起きてしまい、信長が殺されてしまう
信澄は明智光秀と内通をしているんじゃないかと疑われ、織田信孝と丹羽長秀によって殺されてしまった
逸話
●自分に背いた人にはものすごく怖い信長が、二度も自分に背いた信行の実子・信澄には破格の待遇をしていた
●勇敢だけど残酷といった噂もある
●明智光秀と内通していたかどうかは不明
関連のある人々
●
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ