生まれ
どんな人?
戦国時代の武将 織田信長の次男。ちょっと複雑な家庭内状況があった
おいたち年表
年 | 0歳 | 誕生! |
年 | 歳 | |
年1 | 歳 | |
年 | 1 歳 | |
年 | 歳 | |
年 | 歳 |
信長の三男は信孝だなんだけど、実は信雄より信孝の方が20日間早く生まれていた
が、信雄の母が生駒吉乃という信雄の母より身分の高い女性だったため、信雄を次男にしちゃった
そのため、次男信雄と三男信孝はめちゃくちゃ仲が悪くなっていく
その後信雄は北畠家へ養子に行くが、ここで「いっちょお父さんにイイトコ見せてやりたい!」と、思い、信長にナイショで勝手に伊賀攻めをした
が、ボロ負け
信長は激怒して「もう親子の縁を切ってやる!」とまで言った
そうこうしているうちにお父さんの信長が本能寺の変で死んじゃった
信長後継者争いで、秀吉推薦の三法師が選ばれ、それに怒った柴田勝家と秀吉がバトルをおっぱじめる
戦いは秀吉が勝ち、柴田勝家は自刃
さらに柴田勝家に味方した三男・信孝を殺すことができてウッキウキ
これでオレ様の時代到来だぜ!と思ったが、うまいことやって出てきた秀吉がすでにイイトコ取りしまくり
「なんだよアイツ!オレのオヤジの草履取りだったくせによ!」とムカついた信雄は、なんとお父さん信長の同盟者だった徳川家康に「秀吉どうにかしてよ!」と相談
秀吉のことを快く思っていなかった家康は「よし、まかせろ!」と、小牧・長久手の戦いが始まる
ここで家康が勝ちそうになったんだけど、焦った秀吉が得意の人たらし作戦にでる
なんと信雄に「ごめんって!機嫌なおして!」とごますり作戦
気をよくした信雄は、家康にナイショで勝手に仲直り
それを後で知った家康は呆れまくった
こうして信雄は秀吉にうまーーーく利用されまくる人生を送るが、いつまでも殿様気分が抜けず、秀吉に追放されてしまった
信雄は信長時代の栄光が忘れられない悲しい人生を送ったのでした
逸話
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その他
嫌いな人・・・人生の前半は信孝 後半は秀吉
聞くとムカつく言葉・・・「太閤様」
悔しかったこと・・・「オレって秀吉よりエライはずだよね?なのに秀吉の御伽衆をやらされるなんて!」
感謝してる人・・・家康 「このオレを秀忠の後見人にしてくれると言ってくれたんです。優しい人です」
信長談・・・「ワシの息子はバカばっかじゃ!」
キャッチフレーズは「ホントの敵がわかってなかった男」
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祐筆の人物批評
ハガクレ・・・信長の息子ってどうしてこうアホなんだろう??父親がすごすぎたのかな
祐筆
●一番手・・・ハガクレ