生まれ
たにもりとも
1563年生まれ
1627年没
どんな人?
戦国時代の武将
播磨平田城主・谷衛好?の三男として誕生
最初は織田信長に仕え、その後は豊臣秀吉に仕える。
播磨の三木城攻めにおいては、敵に討たれた父の仇をその場で討ち、遺骸を奪い返す等の武勲を立てた。
秀吉の主なる合戦に参加していて、特に九州征伐の時の豊前巌城攻めでは一番乗りの功名をたてた。
関ヶ原の合戦では、丹波福知山城主小野木重次らと西軍に入り、細川幽斎の田辺城を攻撃。
が、細川幽斎は歌道の師匠だったので、攻撃はせず見ていた
そして密かに東軍に内通して細川幽斎や本多正純の仲介によって所領を安堵してもらう
大坂の陣に参加したあとは二代目将軍徳川秀忠の御伽衆をとなり、65歳で死去した
逸話
●豊臣秀吉から感状と家紋「五三の桐」をもらった
●
関連のある人々
谷衛好?
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ