伊26

Last-modified: 2024-03-19 (火) 11:39:20
No.283
あたし、伊26潜水艦。ニムでいいよ、よろしくね!伊26(い26)巡潜乙型 7番艦 潜水艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久14火力2 / 9
装甲4 / 18雷装32 / 75
回避13 / 37対空0
搭載0対潜0
速力低速索敵10 / 39
射程14 / 51
最大消費量
燃料10弾薬20
装備
未装備
装備不可
装備不可
装備不可
改造チャート
伊26伊26改(Lv50)
図鑑説明
呉生まれの伊号だよ!
ねえねえ*1、あたしのことも覚えていてね!
通商破壊戦はもちろん、巡洋艦や空母だって食っちゃうから!
まかせておいて!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:小倉唯、イラストレーター:くーろくろ (クリックするとセリフ一覧が開きます)

CV:小倉唯、イラストレーター:くーろくろ

定型ボイス一覧

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追加
入手/ログインねえねえねえ!貴方が提督なんだ!あたし、伊26潜水艦!ニムでいいよ!よろしくね!×編集
ねえねえねえ、提督、今日も元気?あたし、伊号26潜水艦ニムは、もちろん元気ー!今日も一緒に行っちゃおー!×編集
母港*2編集
母港1詳細ん?ニムのこと、呼んだ?編集
母港2なになになに?出番?…通商破壊戦?任せてよ、提督!編集
母港3え? ニーナ、じゃないよ。ニムだよ。提督、私の名前ちゃんと覚えてよね? 結構やるから、私!編集
ケッコンカッコカリ提督、なになになに?ニム、呼んだ?…ん?何、その箱と顔。へ、もしかして、もしかして?もしかするの!?ねえねえねえ!…そうなんだぁ。ありがと、嬉しい編集
ケッコン後母港ふわぁ、今日も働いた働いた。ん、あれれ?どうしたの、提督?なになになに?元気ないねー。よーし、ニムの膝枕で、ちょっと休むといいよ。はい、ここここ!編集
放置時魚雷積んで、燃料もオッケーっと。馬鈴薯や玉ねぎも、積んで積んで…っと。よし、これでいつ出番が来てもだいじょぶ!編集
編成出撃編集
編成伊号、第26潜水艦。出撃、します!編集
出撃潜水艦隊旗艦伊26、ニム。抜錨です!編集
開戦・攻撃*3編集
戦闘1昼戦開始敵艦発見!潜望鏡深度、魚雷戦、よーい!編集
戦闘2昼戦攻撃1番2番、発射管用意!てー!編集
戦闘3夜戦開始伊26、残敵を追撃します! 逃・が・さ・な・いー!編集
戦闘4夜戦攻撃よーし、いっけー!編集
戦闘時ステータス*4編集
小破きゃっ、やばっ! 潜航! 潜航急げ!編集
や、やー! 水が、やばーい!編集
中破/大破や、やられた…!急速浮上、まだやれるから! 浮上砲撃戦、用意して!編集
轟沈や、やられた!急速浮上、水上へ!…あれ、浮上しない?沈んでいく…。うそ、うそぉ…編集
戦闘終了*5編集
勝利MVPえ、うそ?ニムが一番戦果を挙げたの?やったぁ!よーし、次は空母とか、大物食っちゃうからね。提督、期待してて!編集
旗艦大破や、やー! 水が、やばーい!編集
装備・改修*6編集
装備1改修/改造わぁ、この装備いいねー。ありがとー編集
装備2ねえねえねえ、聞いて! この兵装、良さそう、やったぁ!編集
装備3改修/改造/開発/バケツ/遠征/発見キタキタキタっ!編集
その他編集
帰投ふー、帰ってきましたー! みんなお疲れ、私もお疲れー!編集
補給うんっ ありがとー!編集
入渠(小破以下)お風呂入ろうっと編集
入渠(中破以上)ごめんねー、ニム、長風呂頂きます編集
建造完了ねえねえねえ! 新しい娘、来たよ?編集
戦績表示なになに? 情報が見たいのね? はい編集

各ボイス項目の詳しい説明はこちらをご覧ください


時報ボイス一覧

時刻セリフ改装段階備考追加



 
 




 
追加
00午前零時になったよ。提督、今日はあたし、ニムが一緒にいてあげるね。嬉しい?×編集
01マルヒトマルマルでーす!あ、深夜なのに、声大きかった?ごめんね×編集
02マルフタマルマルでーす。こんな感じでいいですかー?×編集
03マルサンマルマルでー…あ、こんな小さな声じゃなくていい?うん、わかったー!×編集
04マルヨンマルマルでーす。提督、もうすぐ朝だよ。少し眠いけど、頑張ろー!×編集
05マルゴーマルマルでーす。ほらほらほら、ね、朝日!綺麗だよねー。提督、今日が始まるね×編集
06マルロクマルマルでーす。提督、総員起こし、だよね?任せて、みんな起こしてくる!…朝だよー、朝ー!×編集
07マルナナマルマルでーす。提督、朝ごはん置くね?ほかほかの銀シャリに、お味噌汁、あとお漬物。ねえねえ、美味しい?×編集
08マルハチマルマルでーす。さあ、おなかもいっぱいになったし、出撃しますかー!今日はどの辺攻めますかねー。ねー?×編集
09マルキューマルマルでーす。あ、そっか、任務かぁ。任務の確認ね?やりましょー×編集
10ヒトマルマルマルでーす。あ、空母ですか?はい、なんとなく、得意な感じがします!いけます!やっちゃいますぅ?×編集
11ヒトヒトマルマル。あ、もうすぐお昼だー!提督、ニム、お昼ご飯炊くね。待ってて!×編集
12ヒトフタマルマル。お昼ご飯の時間でーす。お昼は豪華です!銀シャリに牛缶、そして、乾燥野菜の煮物でーす!さあ、召し上がれ×編集
13ヒトサンマルマルでーす。提督、お昼ご飯どうでした?豪華だったでしょ?そうでしょ、そうでしょ?うんうんうん!×編集
14ヒトヨンマル…あ、あれは…あれはもしかして、レキシントン級?もしかしてサラっちかな?サラっちー?×編集
15ヒトゴーマルマルです。うーん、人違いっていうか、艦違いかな?似てたなー、まーいっか!×編集
16ヒトロクマルマルでーす。提督、どうする?南方海域とか、激戦区だけど、哨戒しちゃう?ねえねえ、行っちゃう?×編集
17ヒトナナマルマルでーす。ねえねえねえ、見て見て見て!提督、夕日が落ちるよ。綺麗だよね?戦ってるの、忘れちゃうね…×編集
18ヒトハチマルマルでーす。さあ、夜ご飯は更にさらに豪華にいきますよー!ニムの究極奥義。提督、楽しみに待ってて!×編集
19ヒトキューマルマルでーす。提督、見てみてー。じゃーん!夜ご飯は超豪華に、ニム特製のカレーでーす。ほら、馬鈴薯大きいでしょ?×編集
20フタマルマルマルでーす。さあ提督、洗い物片付けたら、夜の出撃しちゃいますかー。夜の獲物は、どれかなー?いるかなぁ?×編集
21フタヒトマルマルでーす。夜の出撃、いっちゃいましょー!魚雷も準備万端、はりきっていきましょー!×編集
22フタフタマルマルでーす。ふわぁ、夜のお勤め、おしまいです。今夜もばっちりでしたね。提督もお疲れ様でしたー×編集
23フタサンマルマル提督、今日も一日、大変たいへんお疲れ様でした。明日も、ニムと一緒に頑張ろー!おー、おー!×編集


季節ボイス一覧


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追加
桃の節句編集
春の訪れ編集
ホワイトデー編集
春でぇ~す! ねぇねぇねぇ、提督。潜水艦隊で、大鯨も誘って、皆でお花見行かない? ねぇ、行っちゃおう?編集
春本番編集
梅雨編集
初夏編集
編集
盛夏編集
夏祭り編集
あ~、夏が終わちゃった~。秋かぁ。この季節はねー、う~ん…あ、扶桑さん? え、突入訓練ですか? あ、う~ん、えっとぉ…。編集
秋刀魚くんくんくんっ♪ この匂いは、もしかして秋刀魚? 秋刀魚焼いてるの?! 食べたい食べたい食べたーい♪編集
晩秋編集
ハロウィン編集
秋のワイン編集
編集
師走編集
クリスマスはぁ~、これがクリスマスってもんか。ねぇねぇ、サラっち。あんたんとこ、本場はもっとすごいの? あ、そう。へぇー!編集
年末編集
新年提督、あけましておめでとっ♪ 今年も、ニムや潜水艦隊をよろしくねっ♪編集
節分ねえねえねえ! あ、なになに? あ、節分? なるほどねぇ。で、あたしたち潜水艦隊の鬼は? んぇ? 大鯨……。大変、だねぇ……編集
バレンタイン編集

四周年記念ねえねえねえ! 提督、四周年じゃない? ねぇ、すっごいね。ニムもお祝いするね。おめでとう♪編集
五周年記念ねえねえねえ! 提督、五周年じゃない? ねぇ、すっごくない? おめでとう。本当、ありがたいね、感謝だね♪編集
六周年記念編集
七周年記念編集
八周年記念編集
周年記念ねえねえねえ! 流石にすっごくない? こんなに続くなんて。本当、感謝だね。ありがとう、そして、おめでとう♪編集



決戦前夜あ、西村艦隊の皆だ。やっほ~! ねぇねぇねぇ、どこ行くの? え? えぇっ!? うそ、ほんとに? ん~、来年にしない?編集


ゲームにおいて

  • 2016/8/12アップデートで新規実装。
    • 同日から始まった2016年夏イベント『迎撃!第二次マレー沖海戦』のE-1,3,4のボスマスでドロップした。
    • 2016年夏イベントでは2隻目以降のドロップ報告が無く、1隻限定だった模様。
    • 通常海域でのドロップや建造では入手不可のため、通常は新規/追加入手の方法が無い。入手後はロックを忘れずに。
  • U-511以来、約1年半振りに登場した潜水艦娘。
    日本生まれに限るなら伊401以来、約2年8か月ぶり。
    • これで伊号潜水艦のみで6隻艦隊を組めるようになった。
  • グラフィックでは水上機が描かれているが装備不可、改造後の潜水空母になると装備できる。

キャラクター設定について

  • 性格は小悪魔な潜る18禁と比べると、無知無邪気系と言え、その様は小動物めいている。
    癖なのか、「ねぇねぇねぇ」「なになになに」「きたきたきたー」など愛玩艦のように同じ言葉を繰り返すことが多い。なおこちらの方が一回多い。
  • 時報によると、すぐに悪戯してくるとは違い、甲斐甲斐しく提督の世話を焼いてくれるし、料理も三食作ってくれる……が、潜水艦の食事事情が窺い知れるメニューとなっている。
  • 総評すると、ナイスバディだがそれをわかっておらず無自覚に誘惑してくるお兄ちゃん大好きな妹系といったところ。
  • 背中の艤装に装備された14cm単装砲と右手側艦首艤装のカタパルトには着脱可能なギミックがあり、
    中破時には分離した14cm単装砲とカタパルト部を合体させ、ピストルカービンのように肩付けで構えている。

小ネタ

艦歴

艦歴

19396.7呉海軍工廠において「伊27」として起工
19404.10進水
194111.1「伊26」に改名
11.6竣工。横須賀鎮守府籍。第4潜水隊に編入
11.19横須賀より出撃。アリューシャン方面の偵察を開始
12.8米国貨物船「シンシア・オルソン」を撃沈
19423.4K作戦*7に参加
6.7米国貨物船「コースト・トレーダー」を撃沈
8.31米空母「サラトガ(CV-3)」に雷撃を行い1本を命中させ修理に3か月を要する損害を与える
11.13第3次ソロモン海戦・第1夜戦で米軽巡洋艦*8を撃沈
19433.3ダンピール海峡海戦で全滅した船団の救助を命じられる
3.474名を救助しラエへ揚陸
4.11QC68船団を攻撃、ユーゴスラビア貨物船「レシア」を撃沈
4.24豪貨物船「コワーラ」を撃沈
11.15第8潜水戦隊に編入
12.28米貨物船「ロバート・E・ホーク」を雷撃により撃破、大破擱座させる
12.31英タンカー「トーナス」を撃破
19441.2米貨物船「アルバート・ギャランティン」を撃沈
ガダルカナルへの輸送任務を行った後、モルディブ諸島方面へ進出
3.13米タンカー「H・D・コリアー」を撃沈
3.21諾タンカー「グレナ」を撃沈
3.29米貨物船「リチャード・ホベイ」を撃沈
4.2第6艦隊に編入
10.24レイテ沖海戦に参加すべくフィリピン東方海面に進出するが、この日以降連絡無く、消息不明となる*9
11.21亡失認定
19453.10除籍
艦長

艦長

艤装員長横田稔 中佐1941年7月15日~1941年11月6日
第1代1941年11月6日~1943年9月18日
第2代日下敏夫 少佐1943年9月18日~1944年8月1日
第3代西内正一 少佐→(中佐1944年8月1日~1944年11月21日戦死認定
  • 実は伊19と同じ巡潜乙型で、同型艦である(伊15型潜水艦で、伊19が3番艦、伊26が7番艦)。胸が大きいのもお姉ちゃん譲り。
    • 桃井涼太氏の公式4コマ初登場の145話は、伊19のキラ付けカットから始まるが、彼女が伊26を潜水艦初の姉妹艦と説明している。直後に伊26が伊19を後ろからプールに引きずり込むという潜水艦ならではのじゃれあいを(これを見た吹雪曰く「このじゃれあいは水上艦には刺激が強い」)。作中で伊26は「通商破壊」と称してアイオワサラトガに後ろから抱きついてお菓子をねだる。という行為をしている。
      • 余談だが、この145話が収録されたコミックス10巻が発売された週の「吹雪、がんばります!」のweb掲載回が、くしくもサラトガ初登場回となった169話で、同話でもサラトガは伊26の通商破壊に見舞われている。
    • 巡潜乙型は、伊19や伊26を含め20隻(改良型の乙型改一や乙型改二を含めれば29隻)建造された。
      航続力が大きいために、東はアメリカ西海岸から西はアフリカ東岸を活動範囲とし、さらに大西洋へと渡った艦もあり、日本の潜水艦の中でも特に活躍した形式である。
      しかしそのために損耗も激しく、終戦時残存していたのは伊36のみであった。
    • 活躍した艦には、アメリカ本土を最初に砲撃した伊17、砲撃に加えてさらに史上唯一のアメリカ本土空襲も行った伊25、そして日本海軍では2番目に多い13隻、72,449トンの撃沈記録を持つである伊27などがいた。久しぶりの新規潜水艦娘となった伊26に続き、彼女たちも今後の実装が期待される。*10
      また、長大な航続力を活かして、伊29、伊30、伊34は遣独潜水艦作戦に起用された。ただしそのいずれもが往路または復路の途中で撃沈され、伊8のように日本までの完全な往復に成功した艦はない。
    • このように活躍した姉妹が多い巡潜乙型だが、その陰で「あの」伊33のように尋常ではない不運の連続に遭った艦もあり、また戦果のないまま消息を絶った艦もいる。
  • 進水時には”伊27”と命名されていたが、就役直前の1941年11月1日に、現在の名前に改名された経歴を持つ。*11彼女が「ニーナじゃないよニムだよ」と発言するのはそういう理由である。*12
  • 真珠湾攻撃により開戦した1941年12月8日、伊26はサン・フランシスコの西方約300海里の東太平洋にて、米オリバー・J・オルソン社貨物船「シンシア・オルソン」を警告射撃により乗員を退去させた後、撃沈した。
    これは開戦後、日本潜水艦による初のアメリカ船撃沈記録である。
    • 開戦時直前に就役した本艦は主力の九五式魚雷の割り当てが間に合わず、やむなく大正時代に採用された旧式の六年式魚雷を10本、何とか用意して出撃している。(伊26の魚雷定数は17本)
       この後も慢性的な魚雷不足だった日本海軍では終戦までに六年式魚雷は特四式内火艇や魚雷艇、射堡(魚雷の砲台)と終戦まで使用された。
  • 真珠湾の成功で勢いに乗った日本軍は、アメリカ国民の士気をさらに削ぐべく、巡潜乙型潜水艦計9隻によるアメリカ本土攻撃に着手した。
    伊19らと共に本土攻撃に参加した伊26は、アメリカ西海岸において通商破壊戦に参加し貨物船を撃沈する。さらに1942年6月20日、バンクーバー島のカナダ軍無線羅針局へ30発の砲撃を実施した。
    • 2016年8月現在実装の日本艦で、連合国の本土に艦砲攻撃を行ったのは伊26が唯一である。*13
  • 一度本土に戻ったのち、8月からトラック・ガダルカナル方面に出撃。8月31日には第二次ソロモン海戦後に重巡ミネアポリスらに護衛された米空母サラトガへの雷撃を成功させる。
    • 一度は至近距離に迫ったものの、うっかり魚雷の発射体制が整っておらず失敗、その後もう一度攻撃態勢を整えて攻撃をやり直し、6本中1本を命中させた。
    • 魚雷1本が命中したサラトガは航行不能に追い込まれ、懸命な救助活動によってなんとか戦線を離脱、真珠湾で2ヶ月にわたってドック入りすることになった。またこの時指揮官フレッチャー少将も負傷した。
  • その後も伊26は、オーストラリア近海、インド洋を中心に通商破壊で大暴れした。就役中の撃沈成果は商船9隻+軽巡1隻、総トン数56,226トンに及ぶ。これは日本潜水艦でも3本の指に入る大戦果である。
    • この伊26が撃沈した米軽巡洋艦ジュノー*14にてサリヴァン家の5兄弟(全員が同じ艦に乗組んでいた)*15が全滅したことが、のちに米軍がソウル・サバイバー・ポリシー*16を導入する契機の1つとなった。
      • アメリカ海軍内部でもこれ以降、兄弟は別々の艦に乗務させるという慣習が生まれている。
      • なお、米軍はサリヴァン兄弟を称え、43年進水のフレッチャー級駆逐艦の一隻(DD-537)を「ザ・サリヴァンズ」と命名した(複数人由来の艦名としては初という)。この名は引き継がれ、現在もアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の二代目(DDG-68)が就役中である。*17
      • これとは逆に真珠湾攻撃では米戦艦ネバダと珊瑚海海戦では米空母レキシントンに乗艦して全員生還したパッテン6兄弟がいた。
    • 「空母だって食っちゃうから!」と言っているが、実際に空母を撃沈した潜水艦は伊168伊19と伊175(艦これ未実装)の三隻だけである。
      • もっとも日本の潜水艦で敵軍艦に魚雷を当てた事自体が数少ないので、自慢していい功績である。
  • 初代艦長である横田稔中佐(伊26着任当時)は、海軍解体の3日前である1945年10月2日、鹿島最後の艦長に着任することになる人物である。
    • 12月に鹿島が復員船指定された後も、横田復員官は鹿島の艦長を引き続き担当し、復員輸送に従事する。鹿島最後の活躍を見届けたのである。

  • 「馬鈴薯や玉ねぎも、積んで積んで…っと」
    • 馬鈴薯とはジャガイモのこと。常温で長期保存のきくジャガイモと玉ねぎは、今も昔も潜水艦にとって重要な食糧である。
      特に生でも食べられる玉ねぎは、平時のギンバイ対象なのは言うに及ばず、生鮮食料品が不足してきた頃になるとまさに垂涎の的。
      生鮮品が尽き果てて食卓が保存食と乾燥野菜と缶詰一色に染まる頃、古参乗員たちはおもむろに私物ということになっている出処不明のタマネギをナイフでスライス。
      醤油と味噌を絶妙な配分で混ぜて添え、とっておきの鰹節を削ってまぶした一品は、初めて潜水艦乗員になった者たちの心をかき乱すに十分であった。
  • 艦内神社の分祀元は兵庫県神戸市の湊川神社である。この神社は伊26以外にも伊202の艦内神社元であったり境内に軍艦山城凱旋記念石碑があったりと海軍との関連が深い

戦歴

折りたたみ
  • 大日本帝國海軍が建造した伊15型(巡潜乙型)潜水艦の7番艦。1941年11月6日竣工。通商破壊で活躍し、軽巡洋艦ジュノーを含む10隻(5万6226トン)を撃沈、米空母サラトガを撃破する戦果を挙げた。レイテ沖海戦中の1944年10月26日に対潜攻撃により沈没。
     
  • 1939年度海軍軍備充実計画にて、乙型一等潜水艦第139号艦として建造が決定。当初は伊27という名前が付けられていた。1939年6月7日に呉工廠で起工、1940年4月10日に進水し、1941年7月1日に横田稔中佐が艤装員長に着任して7月5日に艤装員事務所を設置。11月1日に伊26に改名し、11月6日に竣工した。初代艦長に横田中佐が着任するとともに横須賀鎮守府第4潜水隊に編入。
    • 要目は排水量2198トン、全長108.7m、全幅9.3m、喫水5.14m、出力1万2400馬力、最大速力23.6ノット(水上)/8ノット(水中)、重油774トン、乗員94名。武装は40口径11年式14cm単装砲1基、九六式25mm連装機銃1基、九五式53cm艦首魚雷発射管6門、九五式酸素魚雷17本。水上偵察機1機を内包する。安全潜航深度は100m。
       
  • 伊26が誕生した時には既に戦争の足音が目前にまで迫っており時間的猶予は残されていなかった。竣工した日に呉を出港して本籍地の横須賀に回航され、11月8日に到着。すぐさま慣熟訓練を行う。九五式魚雷の在庫が無かったため、伊26側は八九式魚雷の搭載を希望したが、これも在庫に無かったので旧式の六年式魚雷7本を持たされる羽目になった。またこの時に零式水上小型偵察機を受領している。11月10日、ハワイ作戦を支援する先遣部隊に編入され、旗艦を務めると同時に北太平洋方面の要地偵察任務が言い渡された。11月15日、横田中佐は第6艦隊旗艦香取に召集され、真珠湾攻撃の説明を受ける。長期の活動が出来るよう格納庫にまで食糧が詰め込まれた。
  • 11月19日15時、伊10とともに横須賀を出港して北方のアリューシャン方面へと向かった。竣工後間もない艦であったため航行中にも乗組員の訓練を行った。ハワイ方面に長駆する南雲機動部隊が敵に発見されないよう、伊26は米船舶を発見すると、その行き先を事細かに報告。アリューシャン列島まで600マイルを切ると夜間のみ水上航行を行った。11月27日、アリューシャン列島線に到着。アッツ島を南側から偵察し、次にキスカ島を潜航偵察。11月29日にアダック島を潜航偵察した。いずれも敵影が見られなかったため、敵の拠点であるダッチハーバーに移動。ここでは大胆にも港内に侵入して潜望鏡で見張り所を偵察。日向ぼっこしている兵士の姿を確認したが、停泊中の艦船は無かったため、見つからないよう静かに去っていった。要地偵察を無事終えた伊26は一路南下してハワイ・アメリカ本土の間に移動。12月2日、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の暗号電報を受信。対米戦は8日と下令された。12月7日にハワイ東方700海里へ進出。23時、小雨が降る中で米陸軍輸送船シンシア・オルソンを発見。ワシントン州のタコマからホノルルに向けてアメリカ陸軍用の木材を運搬しているところだった。しかし真珠湾攻撃よりも前に攻撃してはいけないと考え、追跡だけに留める。暗くなった後に浮上して航路上に潜み攻撃位置へついた。
     
  • 1941年12月8日、ついに真珠湾攻撃が行われて大東亜戦争が勃発。このとき伊26はハワイの北東1000海里に位置していた。午前3時30分(現地時間午前9時)、開戦前より狙いを定めていたシンシア・オルソン(2140トン)の近くに浮上して14cm砲弾で威嚇射撃を加えるも、敵船は警告を無視して走り続けたため魚雷を発射。命中こそしなかったが今度こそ停船させるに至った。乗組員は2隻のボートに乗って脱出したが、一部は電信室に残ってしきりにSOS信号を打っているようだった。伊26は910mの距離から14cm単装砲18発を後部船腹に撃ち込んで炎上させ、電信員を追い出した。20分後、伊26は攻撃成功を伝える「トラトラトラ」の電文を受信。最初は砲撃だけで沈めようと考えていたがシンシア・オルソンは一向に沈まず、やむなく魚雷を使用するべく潜航。410mから魚雷1本を発射するも射出したのが旧式の六年式魚雷だったため、右へ左へふらふらした挙句、船尾すれすれを通って外れてしまった。伊26は再度浮上して2時間に渡って47発の14cm砲弾を発射し、シンシア・オルソンを撃沈した。日本潜水艦が最初に敵船を沈めた例となり、伊26最初の戦果にもなった。
    • 海上に脱出したシンシア・オルソンの生存者33名と軍人2名は伊19と遭遇して食糧と水を提供されたが、救助される事無く全員行方不明となった。ちなみにSOS信号は米遠洋定期船ラーラインが受信していたものの入港先の真珠湾が大変な事になっていて救助どころではなかった。
  • 12月9日、僚艦の伊6がオアフ島東北東でレキシントン級空母を発見。第6艦隊司令部はハワイ近海に展開中の潜水艦に追撃を命じ、伊26も捜索に参加したが発見できず。12月13日、大本営はクリスマスの夜に14cm砲弾30発をアメリカ本土に撃ち込む計画を立て、伊26、伊9、伊10、伊15、伊17、伊19、伊21、伊23、伊25にアメリカ西海岸沖への進出を命令。伊26はシアトル西方フラッタリー岬方面に配備され、12月20日にフラッタリー岬沖へ到着した。クリスマスまでに時間があったため通商破壊を開始するも、帝國海軍では足の遅い輸送船の襲撃訓練を行っておらず、荒天も手伝って発見した1隻の商船を相手に苦戦。やっとの思いで発射した魚雷は横に外れてしまった。第6艦隊は「商船相手には魚雷を1本しか使ってはならない」と命じており外してしまった以上は見逃すしかなかった。横田艦長は「現実から遊離したバカな戦策」と通商破壊を甘く見る上層部を忌々しげに語った(この戦策は約1年後に撤廃されている)。12月22日、山本五十六長官は「クリスマスの日に犠牲者を出すと敵の戦意を煽る」として一斉砲撃を12月27日に延期。しかしその日が訪れると沖合いに展開していた潜水艦の大半が燃料に余裕が無くなってしまい、敵哨戒機の出現頻度も増えてきたため砲撃中止。シアトル近海から撤収してマーシャル諸島クェゼリン基地に向かった。
     
  • 1942年1月1日、ハワイ東方で新年を迎えた伊26。間もなく敵空母発見の報を受けてジョンストン島南方を索敵しながら帰投するよう下令される。だが敵空母と会敵する事無く、1月11日にクェゼリンへ帰投した。ここで第1潜水戦隊に編入され、次期作戦に備えて燃料補給と整備休養を実施。1月27日、二式飛行艇によるハワイ空襲を企図した「K作戦」への参加が決定。しかし2月1日、敵機動部隊によるクェゼリン空襲が行われ、環礁内に敵艦上機46機が出現。伊23の隣に係留されていた伊26は25mm対空機銃で応戦しようとしたが故障してしまい、潜航して敵機をやり過ごした。攻撃から2時間後、僚艦8隻とともにウォッゼ方面に向けて索敵を実施。翌2日からはハワイ方面まで敵空母を追いかけて行ったが捕捉には至らず、帰投を命じられる。2月5日、クェゼリンに入港。「K作戦」に備えて伊15や伊19とともに二式飛行艇用の給油装置6基を搭載する工事を受け、2月14日に工事完了。翌日に「K作戦」が発動され環礁内で二式飛行艇と合同訓練を実施。
  • 2月22日15時30分、ヤルート島南方を出撃。マーシャル諸島の東方を通って目的地を目指す。元々伊26は予備の存在で沖合いに待機する予定だったが、2月24日に敵機動部隊のウェーク島来襲に伴ってフレンチフリゲート礁西方への配備が決定、3月3日に配備地点に到達する。翌4日13時50分、飛来した二式飛行艇2機に給油。飛行艇が飛び立つのを見送った後、礁内を出て西方に移動しながら南鳥島を襲撃した敵機動部隊を捜索。3月13日、敵機動部隊を警戒するM散開線への配備を下令され、3月16日に到着して索敵と哨戒を実施。翌17日午前6時にM散開線から撤収し、帰路につく。3月21日、3ヶ月ぶりに横須賀へ帰投。第5船渠にて整備を受ける。4月18日、ドゥーリットル空襲が発生。横須賀に1機のB-25が襲来し、改装工事中の大鯨に爆弾が直撃するところを乗組員が目撃している。第1潜水戦隊は急速出撃準備を命じられ、23日を出撃予定日としていたが、4月19日に中止となった。5月8日、第北方部隊に編入された事でアリューシャン方面の偵察任務を帯びる。
     
  • 5月11日16時30分、伊15、伊17、伊25、伊26、伊19の順に横須賀を出港。工廠の岸壁に並んだ工員や学徒動員の女学生たちの声援を受けながら単縦陣で東京湾を航行し、伊25とともに野島崎南方20海里で北東方向に舵を切る。5月15日にカムチャッカ付近に到達。北洋は霧深い海域であり艦尾で翻っているはずの軍艦旗すら見えず、空も晴れているのか曇っているのか分からないほどの視界不良であった。また先に進めば進むほど気温は低下していく。5月16日には艦内の温度が2℃にまで下がった。5月21日にコジアク島近海に進出し索敵に従事し、5月27日にコジアク島南方のトリニティ諸島を偵察して隼鷹率いるアリューシャン作戦部隊に情報を提供した。一方、僚艦の伊25のダッチハーバーを航空偵察しており、万が一の際は伊26が偵察機を回収する事になっていたが、何事も無く母艦の方に回収された。その後の5月31日、バンクーバー沖に進出して通商破壊を行う。
  • ミッドウェー海戦が行われている6月6日、ファンデフスカ海峡沖で米貨物船コースト・トレーダー(3286トン)を発見。潜望鏡深度のまま追跡を開始する。サンフランシスコに向けて白紙の新聞紙を運搬中の敵船は本土に近いためか敵船はジグザグ運動をしておらず、護衛も無しと格好の獲物だった。約1000mまで距離を詰めたのち八九式魚雷1本を発射。右舷船尾に魚雷を喰らったコースト・トレーダーは1.8mもの破孔を開けられて急激に浸水し、機関室浸水に伴って航行不能に陥る。間もなく乗組員は救命艇2隻に分乗して脱出、コースト・トレーダーは40分後に沈没して大量の荷物だけが残された。
    • ちょうどこの頃、アメリカ東海岸ではドイツ海軍のUボートによる通商破壊が活発化しており、アメリカ海軍の公式委員会は西海岸に日本の潜水艦が出現した事を認めたくなかったようでコースト・トレーダーの喪失を「内部爆発による沈没」と発表している。
  • 6月21日夜、伊26はコロンビア州バンクーバー島冲3.7kmの地点からカナダ軍の無線羅針局へ17発の14cm砲弾を撃ち込んだ。これは1870年のフェリアン襲撃以来のカナダ本土攻撃となった。しかし殆どの砲弾はエステバン灯台まで届かず、約1年後に1発の不発弾が回収されている。伊26による砲撃は地元住民に目撃されていたが「巡洋艦2隻による砲撃」と誤って報告した事からアメリカ軍の混乱を招き、西海岸全域に灯火管制が敷かれて沿岸海運に悪影響を及ぼすという副次効果が発生した。その後、ウニマク水道東方に移動して獲物を探したが発見出来なかったため、アダック島方面に移動。7月3日にアダック島南方へ到着した。アリューシャン列島に差し掛かった頃、カナダ海軍の艦艇5隻とスーパーマリンストランラー飛行艇が伊26を捜索したが、攻撃されずに虎口を脱した。7月11日に横須賀へ帰投。
  • 予定ではインド洋方面での通商破壊作戦に参加するはずだったが、8月8日に敵軍がガダルカナル島に襲来したため急遽取りやめとなる。8月10日、第4潜水隊は解隊となって第2潜水隊に転属する。8月12日、元山航空隊が本土東方の洋上で不時着水した敵軍の水上偵察機を発見。これを受けて伊26は8月15日に伊9、伊15、伊17、伊19と一緒に横須賀を出撃し、本土東方の索敵を実施する。だが敵情を得なかったため夕刻に中止となりそのままソロモン方面に向かう。続いて散開線への配備を命じられ、敵艦隊の捕捉を試みる。8月20日早朝、ガダルカナル島近海を偵察した九七式飛行艇が敵空母を発見。サンクリストバル島沖を哨戒していた伊26は僚艦とともに敵空母撃滅を命じられたが捕捉出来なかった。8月23日、ソロモン諸島南東に到着。夜間にのみ浮上してバッテリーを充電する。8月25日16時、潜航中の伊26は1隻の空母と10隻の駆逐艦で構成された敵艦隊を発見。20時には重巡洋艦1隻と空母1隻を発見しているが、いずれも攻撃には至らず。翌26日午前0時20分、1隻の空母、2隻の戦艦、複数の駆逐艦で構成された敵艦隊を発見。同日、旗艦潜水艦が被弾損傷したため、一時的に第3潜水戦隊の指揮下に入る。時同じくして敵の損傷空母がショートランド近海にいるとの情報が入り、伊19とともにバニコロ島南方を捜索したが8月29日に中止、散開線への復帰を命じられた。8月30日午前2時40分、2隻の戦艦を基幹とした敵艦隊を発見。
     
  • 8月31日未明、エスピリトゥサント島の北西で浮上した伊26は充電を開始。すると水平線の向こうにライトのようなものを確認し、敵機動部隊と確信して水深81mまで潜航。しかし米戦艦ノースカロライナのレーダーに捕捉され、駆逐艦ファラガットが迎撃に向かってきたため攻撃を中止して息を潜める。やがて敵艦は触接を失って去っていった。約3時間後、敵をやり過ごした伊26は浮上。敵機動部隊の捜索を再開する。午前3時53分、サンクリストバル東方260kmの地点で見張り員が夜間双眼鏡を使って南東方向に動く影を発見。サラトガ型空母が大小の護衛艦を伴って移動しているようだった。直ちに潜望鏡深度に潜航して襲撃運動に移り、4ノットの速力で攻撃位置を目指す。間もなく敵艦隊は針路を変えてこちらに接近してきた。距離1000m、サラトガは右船腹をさらけ出している。思わぬ好機に恵まれたが、魚雷装填作業が遅れて機会を逸してしまった。それでも諦めずに追跡を行い、潜望鏡観測によりサラトガが米駆逐艦マクドノーと並んだのを確認して午前4時46分、6本の魚雷を発射。すぐに100mまで沈降した。護衛の駆逐艦から潜水艦警報を受け取ったサラトガは全速力で回避運動を取ったが、このうちの1本がサラトガの右舷艦尾に命中。機関室一箇所に浸水が発生し、衝撃により電機回路を故障させて中破に追いやる戦果を挙げた。さっそく敵駆逐艦マクドノー、フェルプス、モンセンの3隻からの爆雷制圧が始まり4時間に渡って攻撃を受ける。敵は潜水艦を沈めたと思い込んだが、伊26は損害皆無で離脱に成功した。この損傷でサラトガは作戦行動が困難となり、艦載機をヘンダーソン飛行場へ送った後に真珠湾に向かった。
  • 9月13日午前9時30分、偵察の二式飛行艇がツラギの南南東639kmに敵機動部隊が潜んでいる事を突き止めた。この海域には伊9と伊31しかおらず、直ちに当該海域への進出を命じられる。翌14日、伊26の進出が完了。伊9、伊15、伊17、伊21、伊24、伊31、伊33からなるK散開線に加わる。9月15日に索敵機が敵輸送船団を発見。ガ島への増援輸送を遮断すべくインディスペンサブル海峡南方に移動。雷撃の機会を虎視眈々と狙っていたが獲物とは巡り合えず、9月20日にトラックへの帰投を命じられて帰路につく。9月25日、トラックへ入港して整備を受ける。
  • 10月5日、伊15や伊17とともにトラックを出撃。ガダルカナル島沖で甲標的に燃料を補給するのが今回の任務であった。10月10日にカミンボ沖に到着し無事甲標的に燃料を補給。その後は索敵に従事する。翌11日19時27分、近距離に敵影を発見し潜航退避。22時26分、ガダルカナル島南西で敵の巡洋艦が北上しているのを発見。伊26は潜航するも上手く攻撃位置につけない。やがて追跡を断念し、23時41分に浮上してトラック基地に情報を送った。10月17日、伊15と任務を交代し、インディスペンサブル礁で小型偵察機に対する補給任務を受け持つ。10月18日にインディスペンサブル礁に到着して零式水上偵察機の飛来を待った。10月21日午前8時49分、ショートランドからレカタを経由して飛来した3機の水偵が到着。燃料補給を施し、作業が完了した1機が飛び立った。この水偵は敵戦艦ワシントンが北方に向かっているとの情報を送信している。続いて2機目に燃料補給を行おうとした瞬間、敵の哨戒機が環礁上空に現れたため残りの水上偵察機はすぐさま離水、伊26は急速潜航を行った。その際にリーフに座礁して下部の艦首魚雷発射管3門が損傷・使用不能になる。何とか離礁には成功して補給任務を続ける。10月23日、敵の輸送船団を発見した別の零式水偵が礁内に着水し燃料補給を施す。翌24日にも補給任務を遂行したが、午前5時15分と午前10時29分に敵飛行艇が出現。急速潜航により攻撃を回避したが「以降は補給が難しくなる」と報告。10月25日、B-17が出現して礁の上を旋回。伊26は潜航を強いられ、この日は補給が出来なかった。10月31日、サンクリストバル島南西にて敵増援の阻止を命じられる。
     
  • 11月13日深夜、ガ島近海に進出していた伊26は島の反対側から戦闘の光が発せられているのを目撃する。ちょうど島を挟んだ先では第三次ソロモン海戦が勃発しており、伊26のもとにも陸上の友軍が発した「敵大巡轟沈」の電文が届いている。同日早朝、ガ島とサンクリストバル島の間に進出して獲物を待ち伏せる。すると伊26の前方より、ゆっくりと近づいてくる敵艦隊を発見。昨晩、比叡率いる挺進部隊と交戦した敵の残党であった。駆逐艦2隻を前衛とし、その後方から重巡1隻と軽巡2隻が進んでいる。夜明けだったため太陽が低く海面を透視しにくいという絶好の襲撃チャンスであった。潜望鏡を上げ、雷撃の機会を窺う横田艦長。午前8時59分、敵重巡洋艦サンフランシスコ目掛けて、無事だった発射管から3本の魚雷を発射。魚雷のうち1本はサンフランシスコ付近を、1本は軽巡ヘレナの横をすり抜けていったが、1分後に最後の1本が大破した軽巡洋艦ジュノー(6000トン)の左舷に直撃。船体を真っ二つに折って20秒後に撃沈し、600名中485名の乗員が被雷の際に戦死した(最終的に救助されたのは僅か10名)。伊26では2回の爆発音を聴音している。間もなく敵の駆逐艦がすっ飛んできて2時間半に渡る爆雷制圧を受けるも脱出する事に成功。ただ戦果の確認は出来なかった。11月14日未明、伊26は2隻の駆逐艦を視認して報告するが直後の午前6時54分に敵機が出現して潜航を強いられる。同日夜遅く、敵駆逐艦フレッチャーに追跡されるも振り切った。11月22日にガ島近海から撤収し、11月29日にトラックへ帰投。12月3日、損傷した魚雷発射管を修理すべくトラックを出港して横須賀に向かった。12月9日に到着し、入渠修理を受ける。
     
  • 1943年1月15日、横須賀を出港。1月20日にトラックに到着し、潜水艦によるモグラ輸送に備えて特型運貨筒の装備を行う。この時点で既にガ島からの撤退が決定していたが敵軍に撤退を悟られないためと、飢餓に陥っている将兵を元気付ける目的で輸送が続けられていた。1月23日、特型運貨筒を曳航してトラックを出発。1月28日夜、ガダルカナル島西端エスペランス岬に到着。艦尾を海岸に向けて特運貨筒を射出し、浜辺に打ち上げさせた。作業が終わると伊26は迅速に潜航して退避し始め、30分後に2隻のPTボートが駆け付けた頃には伊26の姿は無かった。輸送任務完了後はレンネル島北部に向かい甲散開線に参加。その30分後に2隻の敵巡洋艦を発見したが攻撃は出来なかった。1月31日、いよいよガ島からの撤退作戦が開始され、作戦の援護に回る。
  • 2月2日、伊26はレンネル島南東190kmにいる敵空母の迎撃を命じられるが、報告された敵空母は存在しなかった。翌3日、伊26は敵の駆逐艦を発見。2月8日、レンネル島南東150kmにアメリカ艦隊を発見したと偵察機が報告し、再度迎撃を命じられる。しかし懸命な索敵にも関わらず敵艦隊は発見できず、伊26、伊11、伊17に帰投命令が出された。2月9日にガダルカナル島撤退作戦は予想外の成功を収めて終了。こうしてガ島を巡る戦いは終結した。2月12日にトラックへ入港。2月27日、伊6とともにオーストラリア東岸での通商破壊を下令される。
     
  • 3月1日、オーストラリア東岸を目指してトラックを出撃。ところが道中の3月3日、ビスマルク海海戦で駆逐艦4隻と輸送船8隻が撃沈される大惨事が発生。伊26は帰投中の伊17とともにダンピール海峡南方へ急行するよう命じられ、3月6日に現場へ到着。折りたたみ式の救命艇に乗って揺られている20名を発見し、翌7日にラエへ送り届けた。3月8日、グッドイナフ島西方にあるサンゴ礁に上陸していた生存者54名を発見。救助を試みようとするが、生存者たちは一向に出てこようとしない。というのもビスマルク海海戦で敵機から執拗に銃撃を受けたため疑心暗鬼に陥っており、伊26からの呼びかけも罠ではないかと疑っていたのである。証拠を出すよう言われた伊26が日の丸を掲げた事でようやく信用し、54名を艦内へ収容。ラバウルまで移送された。3月9日、スルミ南方で漂流者10名を収容してラバウルに移送。同日中に出発し本来の任務である通商破壊に臨んだ。
  • 3月28日夕刻、ブリスベーン沖でオーストラリア空軍第71飛行隊のアブロアンソンに発見され、機銃掃射を受ける。敵機は伊26の位置を正確に掴むためわざと着陸灯を点けて射撃を誘発しようとしたが、この手に乗らずに静観。幸い日没が近かったため宵闇に紛れて潜航した事で敵機は伊26を見失った。4月11日、ビクトリア州ハウ岬沖南東19kmのタスマン海で、ワイアラからニューカッスルに向かって鉄鉱石を運んでいるQC船団に3本の魚雷を発射。14時1分にユーゴスラビアの武装貨物船レシーナ(4732トン)の右舷へ直撃させて沈没させた。乗員32名が死亡。オーストラリア海軍のスループ・モレスビーから7回の爆雷攻撃を受けたが離脱に成功。コルベット艦タウンズビルとベンディゴによる捜索をも振り切った。4月24日19時、クイーンズランド州サンディ岬北東65kmでオーストラリアの武装商船コワーラ(2125トン)を3本の魚雷で攻撃。うち1本が命中した事でボイラーが大爆発を起こし、船体を二つに折りながら僅か45秒で轟沈。積み荷の砂糖とともに沈んでいった。5月5日にトラックへ帰投。次なる任務として6月13日にフィジー方面での通商破壊を命じられる。
  • 6月14日、トラックを出撃して南東方向に向かう。6月25日にスヴァ南西330kmでニュージーランド空軍第4飛行隊所属のロッキード・ハドソンに発見され、4発の爆雷投下を受ける。3分後に油が浮いてき事で敵パイロットは撃沈を確信したが、伊26の被害は僅少だった。7月12日、エスピリットサント島方面に移動して遊弋するが戦果を挙げられず、8月7日にトラックに帰投。内地で本格的な整備を受けるべく8月17日に出発し、8月23日に横須賀へ到着。入渠整備を受ける。9月18日、二代目艦長として日下敏夫少佐が着任した。11月20日、第6艦隊から除かれて南西方面艦隊第8潜水戦隊に転属。戦場をインド洋へと移す事になり、ペナン進出を命じられた。11月22日、横須賀を出発してペナンに向かい、12月4日にペナンに入港。インドのゴアとコーチンの港を偵察する二式飛行艇へ燃料を補給する任務が与えられる。
     
  • 12月8日、ペナンを出港してインド洋に進出。12月16日にモルディブ諸島ミラムズマル礁に到着し、17時にアンダマン諸島から飛来した二式飛行艇へ給油を行う。ところが作業中に天候が悪くなり始め、完了した時には海は時化ていた。飛び立とうとする二式飛行艇だったが大時化でフロートが破損して転覆。伊26は搭乗員10名を救助したのち鹵獲を防ぐため25mm連装機銃で飛行艇を破壊した。礁を出た伊26はアラビア海に向かった。12月21日、パキスタンのカラチ飛行場南東20海里付近に浮上。闇夜に紛れて陸地に接近し、光機関のインド人工作員12名と電信機、小型兵器を舟艇で上陸させる。それが終わるとオマーン方面に向かい、12月26日にオマーン沖へ到達。12月28日、マスカット南方ハドラマント海岸沖でアバダンからモンバサに向かっていたリバティ船ロバート・E・ホーク(7176トン)に3本の魚雷を発射し、第4船倉に命中させて大破へと追いやる。ロバート・E・ホークは曳船に曳航されてスエズまで辿り着いたものの、致命傷を負っていたため全損と判定された。12月31日、カラチ沖でイギリス油槽船トーナス(8054トン)を3本の魚雷で攻撃し、そのうちの1本を命中させたがトーナスは元気に反撃してきたため伊26は反対側へ移動、更に2本の魚雷を発射したが仕留められなかった。トドメを刺すべく浮上したのち砲撃で撃沈した。
     
  • 1944年1月2日、マスカット南方オマーン湾外にて伊26はリバティ船アルバート・ギャランティン(7176トン)に向けて4本の魚雷を発射するが、全て外れてしまう。すかさず浮上して14cm砲弾を叩き込んで致命傷を与えた。ギャランティンが沈没していく最中、イギリス空軍のブリストルブレニム爆撃機が出現し、伊26に向けて4発投弾。幸い至近弾で済んで艦内に若干の被害が生じた程度だった。伊26は急速潜航して敵から逃れ、1月15日にペナンへ帰投。整備を受ける。
  • 2月25日、ペナンを出撃してアラビア海北部に向かう。道中の2月27日にチャゴス諸島を偵察。3月初旬、カラチの西方に光機関のインド人工作員10名を上陸させたのち通商破壊を開始。3月13日、カラチの南南西610kmにて1万3000バレルの灯油を積んだアメリカ油槽船H・D・コリアー(8298トン)を雷撃。船尾が炎に包まれるとともに無線機を破壊して口を封じる。伊26が浮上するのを見た海軍武装警備隊員は砲塔を旋回して反撃しようと試みるが、運悪く伊26が死角に入っていたため砲撃できず、やがて乗組員は船体を放棄して脱出。残された無人船は沈没していった。3月21日、マスカットとオマーンの沖合い56kmでアデンからアバダンに向かうノルウェー油槽船グレナ(8117トン)を雷撃し、船体を真っ二つに引き裂いて撃沈。
  • 3月29日16時15分、アラビア海中央部にてアデンに向かっているリバティ船リチャード・ホベイ(7176トン)を3本の魚雷で雷撃。雷跡を発見したホベイは回避運動に移り最初の1本は回避できたが、続く2本が第4船倉と機関室に命中して左舷ボイラーや燃料タンクが破裂、爆発により操舵室と救命艇が粉砕された。16時40分、乗組員は船体を放棄したが海軍武装警備隊員は残って砲を操作。伊26に一矢報いようと試みるも、更なる魚雷を撃ち込まれて抗戦を断念して脱出。ホベイの左舷1海里に浮上した伊26は放棄されたホベイに14cm砲弾を撃ち込み火だるまにして撃沈。この時、救命艇に乗った生存者が伊26の甲板上にターバンを巻いたインド人がいたと証言している。第8潜水戦隊は同盟国ドイツから「人的被害を狙って欲しい」と要請を受けており、命令に従って伊26も生存者に向けて25mm連装機銃や14cm単装砲を発射。が、意図的に狙いを外していたのか砲弾も機銃も全てボートの周囲に着弾しており、唯一の被害は4号救命ボートの燃料タンクに流れ弾が1発命中して燃料がカラになってしまったくらいだった。ただ移動中の伊26と救命ボートの1隻が衝突して転覆させてしまっている。その後、ホベイの船長を捕虜にして救命ボートを牽引して東に向かった。4月18日、ペナンに入港。インド洋方面は敵の対潜対策が遅れており大戦果を挙げる事が出来た。4月20日に南西方面艦隊から除かれ、第6艦隊に復帰した。5月3日、ペナンを出発。5月15日に呉へ帰港した。6月20日、第15潜水隊に編入。瀬戸内海西部にて75mm砲を内包した運砲筒の曳航訓練を行う。
  • 6月27日、機銃、山砲、弾薬を満載にして呉を出撃。敵軍の包囲下に置かれているグアム島、テニアン島、サイパン島に運砲筒を揚陸し、搭乗員の退避させる任務に従事する。7月9日、グアム島到着。しかし既にグアム島は敵艦隊に包囲されており、接近は困難を極めた。どうにか敵の監視が緩い場所を探し当て、夜にアプラ港へ突入。ゆっくりと岸に近づいていたが、誤って艦首が座礁。後進をかけて離礁すると運砲筒を揚陸。120名の便乗者と搭乗員を収容した。翌10日、テニアン島への接近を試みたが、敵の警戒が厳しく断念。雷撃でもしようかと考えていると帰投命令が届き、撤退。7月22日、横須賀に帰投。伊45、伊54、伊55も補給任務に従事していたが、成功させたのは伊26ただ1隻だけだった。この任務を以って中部太平洋方面での潜水艦作戦は中止となり、全潜水艦に被害防止対策が実施された。ちなみに座礁の際に伊26の艦首はぐにゃりと曲がっており、もしテニアン沖で雷撃していたら自爆しただろうと日下艦長は語っている。9月より横須賀工廠で回天母艦への改装工事が始まり、9月29日に完了。10月9日、横須賀を出発して内海西部へ回航。訓練に従事する。
  • 10月12日、敵機動部隊が台湾を空襲して台湾沖航空戦が生起。大本営は敵艦隊に決定的痛打を与えたと発表し、敗走する敵艦隊を追撃するため翌13日に呉を出撃。伊45、伊53、伊54、伊56とともに甲潜水部隊を編成してイ散開線を展開。10月17日、偵察の陸軍機から西表島近海に敵の敗残艦隊が南東に向けて退避中との情報がもたらされる。甲潜水部隊はこれの撃滅を命じられたが、10月18日にアメリカ軍がレイテ湾スルアン島に襲来。そのまま捷一号作戦に参加する事になり、17時よりルソン島東北端から南下を開始。10月24日、伊26はレイテ湾の南東に配備された。
     
  • 1944年10月25日、「4隻の敵空母発見」の報告を最後に消息不明となる。10月27日に第6艦隊からラモン湾への移動を命じられたが、以降は返答が無かった。伊26の喪失場所は未だ明らかになっておらず、その死も不明瞭である。有力とされているのは、10月26日に敵駆逐艦リチャード・M・ローウェルによるヘッジホッグ攻撃で撃沈された説である。11月21日にレイテ島東方で喪失と判定され、乗組員105名は全員死亡。1945年3月10日に除籍となった。スコアは10隻撃沈(5万6226トン)と撃破4万4054トンであり、帝國海軍第3位の戦果となった。東はアメリカ西海岸、西はオマーン湾という長大な範囲を狩り場とした武勲艦だった。

この艦娘についてのコメント

  • 沈黙の艦隊【やまと】や紺碧の艦隊【伊601】を考えたら、潜水艦が簡単に見つかって貰っては一大事でもある。 -- 2021-10-23 (土) 15:26:04
  • 2016年以来ずっとお迎えできてなかった子が今日やっと来たので記念カキコ -- 2021-12-01 (水) 17:57:14
  • E3-2でようやくお出迎え -- 2021-12-03 (金) 12:57:39
  • 素で既にいるものと思ってノーマークだった。今回E3-3でお迎え。 -- 2021-12-08 (水) 16:11:19
  • うちには絶対来たくないみたいです。居なくても困る事は無いけど、ピンポイントでこの艦だけ来ないからもう掘るのやめた。 -- 2021-12-10 (金) 14:53:36
  • やっぱり皆さん苦労してるようで。かく言う自分も実装から邂逅まで2年の歳月を要した。 -- 2022-07-06 (水) 02:15:12
  • E-3で邂逅。ありがたや -- 2023-03-20 (月) 09:14:03
  • 着任1年ちょいの者です。今回のイベで新艦娘掘に相当の上納金資源と時間を要したけど、やっと完了。過去の梅も相当でしたが、今回は比較にならなかった・・・。代わりなのか伊26を除く既出の未邂逅艦は、早めに来てくれましたが。あとは伊26、君だけだ!!E3-3で待ちくたびれたので、E3-1で待っている!! -- 2023-04-23 (日) 01:07:42
    • E3-1でやっと、お迎えできました。 -- 2023-04-26 (水) 21:01:24
  • ニムちゃんだけが置き去り・・・・。 -- 2023-07-07 (金) 09:36:45
  • 実装以来7年余り、やっと捕まえた。な~が~かっ~た~~~。 -- 2023-09-17 (日) 19:22:53
  • 伊401がドロップしたので潜水艦娘で未入手なのは伊26だけになった。残り時間はわずかだが・・・出る率は低そうだが・・・狙ってみよう、か。 -- 2023-10-09 (月) 18:32:17
    • 駄目でした。また次の機会で。 -- 2023-10-12 (木) 00:14:10
  • ようやく空気だった零式小型水上機が来たからうれしい。 -- 2024-03-07 (木) 21:10:32
  • 事前のレア艦ドロップ表に入ってなかったからスルーしてしまったが、E4-1でドロップするのか、、、今回の堀はE2だけにしようと思っていたが、どうしようかな、、、 -- 2024-03-10 (日) 19:07:39
    • 伊26なら、今回E1-2でも落ちるよ。伊36狙いしてるうちに2隻来た…10足して? -- 2024-03-12 (火) 07:44:46
  • ニムちゃん隠れてるだけで中破絵が1番大変なことになってない? -- 2024-03-12 (火) 03:14:10
  • 初版入手以来約7年でサブニム入手。今の所サブ艦入手最長インターバルだわ -- 2024-03-19 (火) 11:39:17

*1 ボイスでは「ねえねえねえ」。
*2 母港ボイスは各艦娘につき3つ割り当てられています。「詳細」ボイスは編成画面の「詳細」ボタンをクリックすることで聞くことが出来るボイスです。母港画面でも聞くことが出来ます。「母港3」ボイスは「母港画面でのクリック」もしくは「母港画面への遷移」でのみ聞くことが出来る、いわゆる「提督お触りボイス」です。編成画面での「詳細」ボタンでは聞くことが出来ません
*3 4つの基本ボイス(昼戦開始・昼戦攻撃・夜戦開始・夜戦攻撃)がありますが、各ボイスはその他の色々な場面でも使われます。各ボイスをどのフェーズ(航空戦/開幕雷撃/先制対潜/昼戦攻撃/各種CI...など)に割り当てるかは艦娘によって異なり、例えば開戦ボイスを攻撃でも使ったり、夜戦攻撃ボイスを昼戦でも使ったりします)
*4 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*5 「小破」ボイスの2つ目と戦闘撤退時の「旗艦大破」ボイスは共用化されています
*6 装備ボイスは3ボイスありますが、改修/改造ボイスと共用化されています。また、ボイス3は「改修/改造」「開発」「バケツによる即時修復」「遠征出撃」「アイテム発見」ボイスと共用化されています
*7 二式大艇によるハワイ空爆作戦。
*8 ジュノー(USS Juneau、CL-52)。
*9 「レイテ方面において米艦隊を攻撃するが、反撃により戦没」というのが有力な説である。
*10 ちなみに、日本海軍最多は伊10の14隻、81,553トンである。
*11 元々伊15以降の艦番号は奇数を巡潜乙型、偶数を同時に建造していた巡潜丙型(水上機運用機能を外し、代わりに魚雷発射管を増やしたタイプ)に割り振っていたが、巡潜丙型が伊24で一旦終了してしまったために27番以降の艦番号を26番から詰める事になったのである。
*12 注釈8からもわかる通り、伊29として計画された巡潜乙型8番艦が伊27として就役している。他の娘と間違えられたくないので余計に念を押しているのだろう。
*13 伊19は通商破壊のみで、本土攻撃には参加していない。
*14 実はこの時、伊26の魚雷発射管6門のうち、半分の3門は衝突事故のため使用不可になっていた。
*15 ジョージ、フランシス、ジョゼフ、マディソン、アルバートの5兄弟。スコット、ジョン、バージル、ゴードン、アランではない。
*16 兄弟が従軍している際に、全員を失わないよう、一人生き残った者を戦線から強制的に離脱させるという規定。映画「プライベート・ライアン」は、この規定をテーマとしている。
*17 両艦とも、モットーは"We stick together."(我々はいつも一緒だ) である。現在の横須賀海軍施設内にも、兄弟を記念した"The Sullivans School"という学校がある。