180キロ

Last-modified: 2024-01-05 (金) 20:45:20

故・金田正一氏が現役時代に出していたとされる球速。ただし自己申告


概要

初出は2014年2月28日号の週刊ポストのインタビューから。
https://www.news-postseven.com/archives/20140223_242013.html

──現役時代の監督(本誌記者は金田氏のことをこう呼ぶ)の球はどれぐらい速かったんですか?

金田正一(以下、金田):180キロは出ていたんじゃないか

このインタビュー以降も金田は現役時代の球速を訊かれると180キロと答えることが多く、一種の持ちネタとして定着している。
なんJでもこれを基に、球速に関する話題が挙がった場合にネタにされる場合が多い。

実際の球速

金田の現役時代にはスピードガンが存在しなかったため、正確なデータとしての記録は残っていない。*1
しかし連続写真による(擬似的にではあるが)映像的検証では「170キロは出ていたのではないか」という結論になったり、「周囲の投手より直球が図抜けて早かった」と伺わせるエピソードが多く残っていたり、そもそも通算400勝という今後まず破られないであろう大記録の保持者*2であったりするため、(実際に180km/h出ていたかはさておき)当時のプロ野球界において群を抜いた剛速球の持ち主であったことは確かのようである。

金田正一と大谷翔平

大谷翔平登場以前は160キロや170キロと豪語しており、金田の球速は加速し続けている「その内200キロ出てたとか言い出しそう」などと予想された。

一方で金田は打撃面でも優れており、通算で.198(2054-406)、38本塁打(内代打2)、177打点という成績*3を残している。
このため打撃面、ひいては二刀流の話題でもネタにされることがある。

打ち止め

金田は2019年10月6日に死去したため、180キロで打ち止めになった。

関連項目


*1 スピードガンが導入されたのは1979年から。ちなみに、1999年オフに放送された『勇者のスタジアム』ではスピードガン導入前に活躍した名投手たちの球速をコンピューターによって検証する企画もあり、1958年の開幕戦にて巨人の長嶋茂雄に対して投じたボールの球速は154.3km/hと算出された。
*2 この他、通算で298敗、4490奪三振、5526.2投球回、1808与四球、22078対戦打者数、365完投(いずれも勝利数を含め歴代1位)を記録している。
*3 加えて投手でありながら8度も敬遠されたことがある他、プロ初本塁打の最年少記録(17歳2ヶ月)も保持している。