・七夢魔の一人フィリオリ・テリブルドリームの活動記録。
・冥帝のチェス盤も参照のこと。
3 :フィリオリ・エルツ・アムネロール ◆gRpviV0C0M:2010/12/09(木) 23:39:12
わたしは夢売り。夢と言っても悪夢かもしれませんが。
それでも、わたしは街路でアムネロールという夢を売っている。
わたしの見せる夢は、幸せだった頃の記憶。望みの叶った世界。
その代償は、現在の消失と希望に満ちた未来。
夢魔の夢に囚われるということは、過去に囚われるということ。
第八層は昼なお薄暗い。
層天井の照明だけじゃない。下層はその雰囲気だけでも人間を陰鬱とさせるのに充分。
冷酷な都市法の下で貧困と暴力が蔓延し、人々は絶望と狂気の中で生きている。
繁華街といえるこの通りも、人々は多く行き交うが、買い物を楽しんでいる人は稀。露天や屋台などの隙間に、襤褸のように浮浪者が蹲っている。
わたしはそんな街路の端で、場違いなドレスを着てぽつねんと行き交う人々を見やる。
薄汚れた作業着を纏った男が、雑踏に立つわたしの名を呼んだ。
わたしの名前を知っているのなら、その目的は一つだ。
わたしの名前は、フィリオリ・エルツ・アムネロール。
エルツというのは、~の出身や~の領主という意味。貴族のようなもの。
奇しくもわたしが扱うドラッグの名前と同一の名前。
おかねはあるの? 顧客はわたしの問いに対して、嬉しそうに自らの犯した強盗殺人を告白し、その戦利品だという支払い保証済み少額チケットを財布から取り出す。
わたしは驚かない。下層ではドラッグはもとより、その日の食事のために人々はためらいもなく犯罪を犯す。そうしないと生きていけないから。
だから、わたしは微笑んで、「えらいね、ご褒美をあげる」とほめてあげる。
チェッカーに通してチケットの残高を確認すると、わたしは懐から注射剤を数本取り出し顧客に渡した。顧客はそれを大切にしまい込み、雑踏の中に消えていく。
わたしは知っている。あの顧客が殺した犠牲者は、顧客の母親であることを。
アムネロールは現在の記憶を奪う。顧客は若かりしき頃の母親の姿しか覚えていなかったのでしょう。そしていつか思い出すの。自分の罪とともに。
これで22人目。今日のお仕事はこれでおしまい。
5 :フィリオリ・エルツ・アムネロール ◆gRpviV0C0M:2011/02/10(木) 23:04:58
下層第九層。ここには絶望しかない。
天井の照明がつくのは中央の工場群だけ。
層全体は薄暗く、汚れた空気と機械の騒音、道にはゴミと腐臭にまみれている。
都市計画の失敗によって空き屋となった集合住宅には不法居住者が棲み着き、
大企業の工場で彼らは日雇いの過酷な労働を対価に僅かな賃金と貧しい食事を得る。
「こんばんは」
助けを求める声が聞こえた気がして、わたしは薄汚れた集合住宅のひとつの部屋に入った。
消耗した電池式ランプに照らされた、暖房もない狭く寒い部屋。
身体を壊し、咳き込み苦しみながらベッドに横たわる母親と、力なくうなだれる幼い子供達。
突然入ってきたわたしに驚き警戒する母親に、わたしは微笑みかけた。
「薬はいりませんか?」
母親の衰弱が激しい。きっと何も食べていない。
食べるものは働かなければ手に入らない。
だから、一度身体を壊してしまったらこの層ではおしまい。
餓えて死んでしまうか、それとも犯罪を犯して生き抜いていくか。
でももう、この人は助からない。枕元に黒い吐血の痕がある。
クリスタル精製工場の煤煙に肺を冒された症状。喘息と吐血を繰り返し、苦しみ抜いた末に死に至る。ごくごく一般的な病。
母親は弱々しく助けを請うた。
わたしはスーツケースからティーセットを取り出し、イーゼンステイン産の紅茶とともにアムネロールの粉末を処方する。
そして母親の上半身を助け起こし、適度な温度の紅茶を彼女の口に運んだ。
ゆっくりと、小さく咳き込みながらも紅茶を嚥下させる。
紅茶に溶け込んだアムネロールが胃から身体中に浸透し、彼女をあらゆる苦痛から解放する。
安堵の微笑みを浮かべる彼女に、わたしは囁いた。
「貴方は死にます」
彼女は頷いた。既に自分の死を覚悟していたのでしょう。
そして、残された子供が不憫でならないと。
「大丈夫。わたしがこの子達を連れて行きます。だから、安心しておやすみなさい」
紅茶には致死量のアムネロールを処方しました。次第に虚ろになる彼女の瞳。握られた手が緩んでいく。そして彼女は安らかなる永遠の眠りへ。
今日は、二十二人の死を看取る。あと、十三人……。
【エラキス干渉戦争の悲劇 クラルヴェルンside-5外伝 恐怖の夢のお店】
96:くらるべるーん : 2011/07/26 (Tue) 23:11:05
メッサーナの伝統あるショッピングモール「月の回廊」の一角に、風変わりな店がひっそりと開店していることを知るものは少ない。
店の名前は「お面屋」。ショーウィンドウには様々なお面が、それも玩具ではない、変装にも使えるような本格的なものが展示されている。一般的な市民にとって、需要の全くないこのお面屋だが、この店を必要としている人間が一定数この時代にはいた。
「いらっしゃいませ」
客の全くいない閑散とした店。壁や棚にひたすら面が飾られている店内は不気味ですらある。店の入り口に設置されていた鈴が可愛らしく鳴り、読書していた店主が客を迎える。
「……」
帽子を目深に被ったその客は押し黙って店内を見渡す。そして人間にしては儚く美しすぎる店主を見やった。
「…夢魔様」
「はい、テリブルドリームと申します。お客様」
「お任せします。顔を下さい」
「はい。それでは試着室へどうぞ。鏡は…処置のあとでよろしいでしょうか」
「はい」
客が帽子を外す。北部戦線帰りの、火炎放射器と榴弾で火傷し欠損したおぞましい顔が明らかになる。テリブルドリームは気がついた。彼の左腕は、肘から先が無い。
「お気の毒に。苦労なされたでしょう」
「はい…」
涙を堪える客を、夢魔はそっと抱きしめる。
ここは顔を失った人々が訪れる店。
夢魔は過酷な真実を覆い隠し、幸福な虚偽で世界を満たす。