日本 RankIII 高速魚雷艇 Type 7, PT-808 / 7号型魚雷艇 魚雷艇8号
概要
Update 2.29 "Sons of Attila"にて追加された海上自衛隊の魚雷艇。
「ランクが下がった代わりに船体が細くなって速度と魚雷が弱体化した11号型魚雷艇」といった具合の船であり、前後2門のボフォース40㎜L/60機関砲は寄せ来る小型ボート相手に千切っては投げできるだけの能力を持つ。
艦艇情報(v2.25.0)
必要経費
必要研究値(RP) | 61000 |
---|---|
艦艇購入費(SL) | 230000 |
乗員訓練費(SL) | *** |
エキスパート化(SL) | *** |
エース化(GE) | *** |
エース化無料(RP) | *** |
バックアップ(GE) | *** |
護符(GE) | *** |
BR・報酬・修理
項目 | 【AB/RB】 (初期⇒全改修完了後) |
---|---|
バトルレーティング | 3.3 / 3.3 |
RP倍率 | 1.6 |
SL倍率 | 1.1 / 1.9 |
最大修理費(SL) | 2210⇒2740 / 2805⇒3478 |
艦艇性能
項目 | 数値 |
---|---|
【AB/RB&SB】(初期⇒全改修完了後) | |
艦橋装甲厚 (前/側/後)(mm) | Steel, 4 mm |
船体装甲厚 (前/側/甲板)(mm) | Steel, 8 mm |
主砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 0 mm |
排水量(t) | 135 |
最高速度(km/h) | 63⇒*** / 63⇒*** |
乗員数(人) | 27 |
レーダー
なし
武装
種類 | 名称 | 砲塔 | 搭載基数 | 弾薬数 | 購入費用(SL) |
---|---|---|---|---|---|
主砲 | 40mm Bofors L/60 Mark 3 | 単装 | 2 | 4000 | *** |
弾薬*1
機銃
武装名 | ベルト名 | ベルト内容 | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | |||
40 mm Bofors L/60 | 汎用 | AP-T/HEFI-T | 80 | 70 | 66 | 57 | 50 | 45 |
AP clips | AP-T/AP-T/ AP-T/HEFI-T | 80 | 70 | 66 | 57 | 50 | 45 | |
HE clips | HEFI-T/HEFI-T/ HEFI-T/AP-T | 80 | 70 | 66 | 57 | 50 | 45 |
追加武装*2
分類 | 名称 | 搭載数 | 費用 (SL) | 搭載条件 |
---|---|---|---|---|
魚雷 | 533mm Type 54 model3 | 4 | 25 | - |
魚雷 & 爆雷投射機 | 533mm Type 54 model3 | 4 | 70 | 爆雷投射機 |
T37 | 8 | *** | ||
爆雷投射機 | T37 | 8 | 50 | 爆雷投射機 |
魚雷
名称 | 重量 (kg) | 爆薬量(kg) | 水中最大速度 (km/h) (初期⇒改修) | 射程 (km) (初期⇒改修) |
---|---|---|---|---|
533 mm Type 54 model 3 | 1600 | 100 | 44 | 6.00 |
爆雷
名称 | 重量 (kg) | 爆薬量 (kg) |
---|---|---|
T37 | 29 | 25.44 |
カモフラージュ
研究ツリー
解説
特徴
海上自衛隊が初期に建造した魚雷艇。魚雷は弱いもののその砲兵装は他国を相手に十分戦える。
【火力】
ボフォース40㎜L/60機関砲を前後に1基ずつ搭載しているため、同格や格下のボート相手であれば容易く打ち勝てるだろう。
一方魚雷は試製54式魚雷を4本装備しているが、この魚雷は元々対潜用に作られた誘導魚雷であり、魚雷の誘導能力の無いWTにおいては射程が短い・速度が遅い・威力が弱いの三拍子が揃った不遇なものとなってしまっている。とは言え小型艦艇相手なら爆散、駆逐艦であっても当たり所が良ければ轟沈させられるだけの力は持っているため隙を見てどんどん使用しよう。
【防御】
特に装甲はない。他の魚雷艇と同様に大口径砲1発で沈む上に機動力で避けるといった事もできないので、他の艦艇に姿を見られないよう注意しなければならない。
【機動性】
日本海軍時代の魚雷艇よりも強力な機関を搭載してはいるのだが、サイズも大型化しているためそれ程良いと言えるものではない。
史実
(画像元:海上自衛隊の艦艇と航空機 (coocan.jp))
7号型魚雷艇は海上自衛隊が昭和29年度に2隻設計・建造した魚雷艇。そもそも海上自衛隊は国産艦艇建造再開初年度にあたる昭和28年度より丙型駆潜艇の計画名のもとで対水上・対潜用に魚雷艇の整備に着手し、建造経験豊富だが吸水で性能が落ちる木製の1号型・建造経験はないが軽量で高性能な軽合金製の3号型・建造経験が豊富だが重い鋼製製の5号型の3種を建造しており、それぞれの運用実績を比較した結果
・船質としては軽合金が最善
・運用内容に対して船体が小さすぎる
・船底中部に設置したソナードームから発生したキャビテーションが予想以上に抵抗となる
という事が判明したため、「主機を1機増やした上でソナードームを改善し、船体も拡大した軽金属艇」が後継として建造される事となった。これが7号型魚雷艇の魚雷艇7号・魚雷艇8号である。なお建造当時は世界最大のアルミ合金艇であった。
主機関は三菱YV20ZC15/20型 V型20気筒ディーゼルエンジンを3機搭載、これで3軸を駆動する方式である。この機関は元々大戦中に開発が着手された三菱ZC型を元にしていたのだが、実用試験を経ずにいきなり実用機として開発したため当初初期不良が多発、さらに気筒数も多い(20気筒×3機=60気筒)事から整備は大変骨が折れたという。しかしこれとドームを改善した事により前級では設計速力すら出せなかったのが一転し計画速力を上回る程の性能を記録して見せた。なお1968年には、次年度計画の11号型でCODAG主機の搭載が予定されていたことを受けて、7号の中央機をIM300ガスタービンエンジン(航空機用ゼネラル・エレクトリック T64ターボプロップエンジンの舶用版)に換装して、1969年まで運用試験を行なっている。
装備面でもおおむね3号型が踏襲されたが、魚雷発射管は2門、Mk.3 40mm単装機銃は1機それぞれ装備数が倍増している。
建造後は2隻とも第2魚雷艇隊に配属され、同船質の3号型と行動を共にすることになった。同隊は当初横須賀地方隊の隷下にあったが、1961年9月1日に呉地方隊に、1972年3月31日にはさらに舞鶴地方隊に編成替えとなった。除籍は7号が昭和47年、8号が昭和49年。なお7号は上記の通り一時期ガスタービン主機の実験艇として改装されていたこともあって、海自魚雷艇では一番最初に運用を終了することとなった。
(参照:7号型魚雷艇 - Wikipedia)
小ネタ
史実でも紹介したYV20ZC15/20は三菱日本重工製のV型20気筒2サイクル単動・過給・逆転装置付きディーゼルエンジンで、定格出力2,000馬力 (1,500 kW)、回転数1,600rpm、重量6.6トン、馬力あたり重量6.6kg/PS。元々の設計は優れていたが、こなれるまでの間初期不具合が多発してしまったのは前述の通り。
本機の優秀さを物語るものとして、派生型のYV10ZC15/20がある。これは掃海艇用に改造された機関であり、10気筒化・非磁性化が行われている。採用艦は1955年6月22日起工のあただ型掃海艇2番艦いつきから1967年起工のかさど型掃海艦26番艦かつらまで28隻(掃海艇は掃海発電機として主機以外にも機関を積むため、機関の数で言うと56機!)、戦後直後から冷戦終結までの長い間休むことなく日本の海に沈む機雷や不発弾の処理を支え続けてきた名機関であった。なお掃海艇用機関において重要となる非磁性化率はいつきで重量ベース52%、かつらでは88%にも達したという。
あやなみも装備する試製54式魚雷は、日本の魚雷としては珍しい鉛蓄電池と直流モーターによる電動魚雷である。そもそもこの魚雷は上記の丙型警備船(魚雷艇1~5号)に搭載する為の音響標的型長魚雷として1953年に開発が始まったものであり、当時の保安庁技術研究本部主導のもと帝国海軍の時から魚雷開発を行っていた三菱重工を中心に誘導システム担当のNECや蓄電池・電動機大手の国内主要メーカーのほとんどが参加する一大プロジェクトとなった。なお開発に当たっては、ドイツのG7シリーズの音響誘導魚雷がモデルとし、アメリカ製のMk.32短魚雷の誘導システムも参考にされている。
まず魚雷艇向けとして、誘導装置を持たない直進式の試製54式1型が開発された。が、いざ魚雷艇で実用試験をしてみると、射点沈没(発射地点での海底突入)や魚雷亡失などの致命的な問題が続発してしまう。これの改善と水平ホーミング誘導装置の導入をした試製54式2型が開発されたが、今度は魚雷本体の強度不足や誘導性能の不十分さが指摘される。更なる改善として開発した3次元パッシブ・ホーミング誘導装置導入の試製54式3型が採用されあやなみなどに積載されたが、やはり魚雷亡失等の問題は残っていた。
後に誘導システムの信頼性向上などを行った潜水艦用の試製54式3型改1が1966年に開発された。これは潜水艦のみならずきたかみ型護衛艦にも搭載され試製54式シリーズでは最多数が生産されたのだが、この頃になると潜水艦もどんどん高速化しており、開発時に敵として第二次大戦レベルの潜水艦を想定していた試製54式シリーズでは性能不十分となってしまっていた。
外部リンク
コメント
【注意事項】
- 誤解や混乱を防ぐために、使用感を話題にする際はゲームモード(AB/RB/SB)の明記をお願いします。
- 荒らし行為に対してはスルーしてください。不用意に荒らし行為に反応し、荒らしを助長した場合は、荒らし共々BANされる可能性もあります。
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