用語解説

Last-modified: 2024-03-02 (土) 12:11:50

被虐AAキャラ登場時期早見表
2000年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
関連モナー板新設
初登場丸耳モナーモララーしぃ ちびギコダマレコゾウジサクジエン
2001年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
関連モナー板ID導入ひたすら虐殺・虐待虐殺スレの勃興
初登場カメモナービーグルぃょぅちびフサおにーに(ニータン)ちびしぃでぃ
初登場おにーに(元祖)ワッシィ
2002年1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
関連AA長編板新設 虐殺ブーム旧アブ板新設
初登場ベビギコびぃ、ベビしぃカッパッパー
アスタリスク
  • アスタリスク.png

記号文字の一種「*」の事である。
作品上の用途としてはAAキャラの体の一部、エフェクト等使われ方は様々であるが
アブ板では主に上記のAAのような「顔の一部」か「尻の穴」を指す事が多い。

「顔の一部」の場合、「感情や状態」を表すパーツとして使われている。
(例:上機嫌な時、普通の状態であるしぃやベビしぃ等、♀キャラを表す時)

また「顔の一部」に使われてる「*」の事を「顔肛門」と呼ぶ事もある。
これは便宜上の呼称や「尻の*」との区別、もしくは蔑称(主に「しぃ顔の*」に対する)として
作品上や掲示板で扱われることが多いアブ板独自の俗語である。

加虐と被虐
  • 加虐と被虐.png

加虐(かぎゃく)の意味 - 他をしいたげること。虐待を加えること。
被虐(ひぎゃく)の意味 - 残虐な取り扱いを受けること。いじめられること

虐殺作品の基本構成。
被虐側単独で成立している作品も多い

虐殺AAの黎明期

2000年6月~2001年11月まで

2000年にはすでに虐殺されるAAは存在したがそれが専用の虐殺スレとして発展する事はなかった
ただし虐殺スレがなかったわけではない(モナー、しぃはすでにあった)

2001年になると初期に「カメモナー」が叩かれ被虐キャラ化
「ビーグル」「ぃょぅ」はスレ住人の諍いで荒らしを招き荒れた結果本来のキャラの趣旨とは逸脱し被虐化
夏を過ぎた頃にひたすら虐殺・虐待が出来、10月に丸耳モナーやちびギコ、しぃが本スレでも被虐キャラ化する。

2001年11月に各キャラの虐殺スレが立てられこれが後々まで継続していく。
この時期を境に虐殺作品はキャラスレの叩き用、煽り用という枠組みを超え一ジャンルとして作品が作られ黎明期が終わる。

しかし後に最大手と化す「しぃ」は11月の時点ではまだ本スレ進行で継続的な虐殺スレは立てられておらず
その後2002年2月まで「しぃ」虐殺スレは定まってなかった。

本格的な虐殺ブームは2001年11月の時点ではまだ起きていない。

虐殺ブーム(期)

2002年2月~2003年9月まで
月々の作品生産ペースが約150作品前後の期間

これ以降この数を出す月は無くなり徐々に作品数は減少する。

この期間内でも2002年2月~5月までを「モナー板の虐殺スレ全盛期」とし
独自・議論スレ、外部板が作られモナー板の虐殺スレが内外に与えた影響は大きい

作品数値上では2003年がピークであるが2004年には虐殺コピペが大いに蔓延したり
悪い意味で虐殺ブームがおさまった後も余波は残った。

旧アブ板と新アブ板の設立

2002年春のモナー板虐殺スレ隆盛により元々抱えていたモナー板での
虐殺系に対する議論が過熱する。その渦中の5月に旧アブ板が作られる。

当初は無視され議論が続けられていたが当時主力の職人達が移動した事で認知される。
しかし掲示板内でのルールが曖昧であり文字レスへの対処や課題を残す事になる。

2003年3月に管理人の諸事情により旧アブ板閉鎖が決定する。

閉鎖が決まったことを受け、有志による次の掲示板への引継ぎが開始する。
複数人による管理や旧アブ板からの経験による明確なルールが設けられ
2003年3月に現アブノーマルネタ専門モナー板(アブ板)の運営が開始される。

こちらは20年以上経った今でも閉鎖されず続いている。

虐殺厨

・虐殺コピペを使ってスレを荒らす厨房の事
・スレ内で虐殺を容認する者の事
・虐殺AAスレに関係している職人・住人含めた関係者全員の総称(レッテル貼り)
 等モナー板だけでも議論・対立煽り・侮蔑で使われ様々な意味が含まれている俗語である。

虐殺厨もしくは虐厨はモナー板だけに留まらずキャラクターが被虐化する度に
各所でこの言葉が使われてるので広義的となり様々な解釈があるが総じて対象を貶す時に用いられる

虐殺作品内では主に「叫びや悲鳴」「恫喝やヘイトスピーチ」として使われている。

  • かき氷.png

被虐側が使う事が多く「コノ ギャクサツチュウ!」等連体詞を用いる事もある。

虐殺厨という言葉は2001年頃からすでに確認されているが
wiki作品内で引用が確認されたのは2002年1月の虐殺AAはフィクションですが初である。
その後2002年6月頃から普及し始め、「しぃ」に至っては「ダッコ」「マターリ」に続く常套句になっている。

初期の3大被虐AA

「カメモナー」「ぃょぅ」「ビーグル」の事を指す。

  • 3大キャラ.png

2001年上半期の代表的な叩かれAA
詳しい事は各キャラの項目参照

テンプレチャット

テンプレートAAを使ったチャット形式の会話

  • チャット。.png

2000年から2001年のモナー板はこれがメインでストーリー形式が稀
2002年になるとAA長編板が新設されストーリー形式が増える一方
モナー板のチャット形式の既存スレは徐々に廃れたり、ストーリー形式に路線変更をした。
2001年に人気だったおにぎりワッショイスレも2002年には路線変更が図られた。

テンプレチャットそのものがなくなったわけではなく現在も普通に使われている。

マ虐論争

マターリ派と虐殺派の縄張り争いである。
勃発すると相容れない主張の繰り返しで水掛け論となり対立煽りも行われ必ず荒れる。

あくまでこの争いは一部のマターリ派と虐殺派の水掛け論争であり
純粋に作品を楽しむマターリ派と虐殺派はこの争いに辟易としている。

モナー板では2002年春の虐殺ブームの時期が最高潮であるが2001年からすでに各所で行われていた。
旧アブ板が作られ虐殺派が移動した事でモナー板ではある程度緩和されたがその後も事ある度に勃発している。
代表的な論争対象は「しぃ」

AA以外でもキャラが被虐化するたびに論争が始まるので数十年経っても終わりは見えない模様。

マターリ

「まったり」を変化させた語。 主にインターネットスラングとして用いられる標記。

  • またーり.png

元々モナー板ではスレが議論や荒れた時に「マターリしようよ」と「モララー」が諫めるテンプレAAとして使われていたが
虐殺作品では主に「死亡フラグ」として用いられる。

加虐側には煽り言葉として活用され、被虐側が喋ると大抵マターリできなくなることが多い。

また「しぃ」の場合、作品によっては「マターリ」が信仰の域に達する事もある。
それは「ダッコ」と「コウビ」を規範とする「しぃ」だけの「マターリ」であり非常に身勝手なものとして扱われる。

AA虐殺禁止スレの事を「マターリスレ」と呼ぶ事や総合スレ等虐殺作品とそれ以外の作品が入り交じっている場合
区別するのに便宜上「マターリ作品」と呼ぶ事もある。

モナー板の虐殺スレ全盛期

2002年2月~2002年の5月までの2002年春頃を指す

2002年2月すでにあったちびギコ虐殺スレやぃょぅ虐殺スレ等に加え
乱立されたしぃスレの虐殺スレ確立やでぃの独立、べびしぃ誕生等
モナー板において虐殺関連で最も発展・隆盛した時期。

2002年5月、虐殺スレのAA長編板移転を端とする議論の最中
したらばで旧アブ板が創設された事で当時のAA職人がモナー板から旧アブ板へ徐々に移動。

この結果を受けモナー板の各虐殺スレは勢いを無くしモナー板での全盛期は終わる。

以後したらばの旧アブ板やアブ板がメインの活動場所になるがモナー板のおにーにスレや
AA長編板の総合スレ等その後活発化した2chの虐殺スレも少なくはない

kamomeサーバークラッシュ

2010年9月4日に発生
2ちゃんねる(現5ch)のサーバーの1つ「kamome」サーバーがダウンする。

これにより2chの掲示板が多数スレッドごと消滅。AA板のスレッドも全て消滅した。
モナー板やAA長編板は2010年当時、数年前の放置スレや年単位で投下される低進行スレが
数百スレ存在していたがこれが全て吹き飛んだ事によりスレッド数ゼロからのスタートとなった。

しかし復興されたスレは少なく、そのまま消えたスレがほとんどであり
2010年のAA板はすでに過疎化著しい板ではあったがこの鯖崩壊でより鮮明となった。

虐殺スレも例外ではなくモナー板やAA長編板に残っていた虐殺スレは消滅。
数年後に復興されるが2年ほどは後沙汰がない状態が続いた。

AA板の歴史においてはこの事件を境に復興前、復興後と1つの節目とすることが出来る。
(中国史の前漢後漢のようなものかもしれない)