電話加入者人名表

Last-modified: 2009-03-02 (月) 15:53:03

明治23年。番号順に加入者が並び、住所はない。東京が269番まで、横浜が60番まで印刷されている。電話をかけると、まず交換手につながれ、交換手が加入者人名表「電話帳」を探して番号につないでいた。最初の交換手は東京で女性9人、男性2人、横浜は男性4人でスタートしたが、昼は女性、夜は男性が交換業務を行っていた。それが10年後には女性330人、男性100人と大きく増える。そして、このころ、男性交換手の愛想の悪さや、高給料だったせいもあり、交換手は女性に限られた。
一番東京府庁、二番通信省電務局、三番司法省、四番大蔵省総務局、五番文部省、六番帝国博物館、七番日報社、八番大同新聞社、九番朝野新聞社、十番改進新聞社、十一番報知社、十三番東京瓦斯会社、二十七番三井物産会社、二十九番日本銀行、三十九番沖電機工場。新聞社はわかい順。
最初の「人名表」は、業務用その他で残しておいたと思われる欠番が多く、正確な加入者は180人。この「人名表」にある企業は、このほか丸善、東京海上、帝国ホテル、鐘紡、日本郵船など今日に残る名も多い。
電話交換局は、東京、横浜から次第に西へ建設されていった。名古屋では明治31年10月、4台の交換機を設置、交換手は当初男性のみであった。アメリカと同じように、評判が悪くすぐに女子交換手に変えられた。
東京の加入者は、明治30年で、3370人にも及んだ。