中華独立戦争

Last-modified: 2023-10-09 (月) 19:31:33

概要

中華独立戦争は2027年から2034年に勃発した内戦である。
中台戦争に敗北した中国から経済的又政治的に独立するための運動。またそれに乗じた紛争。
かつての中共では「第二次国共内戦」と呼ばれていた。

経緯

中国の一人っ子政策による大規模な少子高齢化や中国バブルの大崩壊により人民政府は台湾へ侵攻。だが大敗してしまい経済が停滞したことによる国民の怒りにより発生した。
2027年 4月12日-上海事件?が起きる
2027年 6月1日-香港事変?が起き、香港共和国連邦?として独立宣言をする。
2027年 8月20日-独立派の中華独立民主軍?が天安門に爆弾を仕掛けて爆発した。
2027年 8月21日-中華人民軍と中華独立軍との間で衝突が起き北京事変?が起きた。
2027年 8月23日-旧満州地域と外満州が西側諸国の支援により
満州民国として独立した。
2027年 9月5日-第二次北京事変?が起き中華人民軍と中華独立軍との間で戦闘が開始した。
2027年 10月2日-新疆ウイグル自治区烏魯木斉市にて習近平国家主席)72歳)が何者かによって殺害される事件が起き、それに対して人民国はウルムチ市に軍を進軍させた。

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進軍する中華人民軍

2027年 10月14日-中華独立軍?により三峡ダムを破壊した結果、武漢市南京市の大部分が水没したものの、上海市には被害が少なかった。

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水没した中国の村

2027年 11月14日-本格的な内戦に突入し、ウイグルやチベット、広東が独立宣言する。
2028年 1月18日-中華人民軍領と中華独立軍領との領域の大体が決まる。

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領域(青が中華人民軍、赤が中華独立軍)

2028年 8月3日-内蒙古がモンゴル国に編入される
2028年 10月2日-北京暴動?が起きる

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北京暴動の様子

2028年 11月10日-中華人民軍は香港へと侵攻を開始した(詳しくは中華人民軍による香港侵攻?をご覧ください)
2028年 1月28日-中華人民軍?中華独立軍?との間に休戦協定が結ばれ、武装地域が設けられた。*1
2028年 4月14日-満州民国と中華人民軍との国境で中華人民軍が満州側へ攻撃をした。そのためAPECやNATOに加盟していた満州国は宣戦布告と見做し満州の経済を破壊することとみなしたため、西側諸国が人民軍領に攻撃を開始した。

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中満国境付近での戦闘

2028年 5月8日-日本の尖閣諸島にある魚釣島にて中華人民軍によるミサイル攻撃があったため、日米側は在日米軍を派遣する事態になった。(詳しくは尖閣事件?をご覧ください)
2028年 7月10日-今までは内戦だったものの、世界を巻き込んだ大戦となったため満州国の葫芦島市以南に住居していた国民を避難させ、中満国境間に存在する鉄道や道路を破壊した(詳しくは中満危険地帯?をご覧ください)

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|中満国境付近>
2028年 7月12日-NATOと中華人民軍による戦闘が西安市で起きた(詳しくは西安の戦い?をご覧ください)
2028年 7月18日-中国大陸での各国の勢力がほとんど決定したようなものとなる

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勢力図

2028年 7月28日-チベット共和国?としてチベットが独立を宣言した。
2028年 8月10日-中華独立軍?により中華人民軍?の総書記である林 允明が乗っていた列車が重慶付近で爆破され総書記は死亡した。

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重慶事件?の様子

2028年 9月6日-香港侵攻?は失敗に終わり、香港共和国?の領域が拡大した。
2028年 10月16日-中華独立軍領?南京市にて空襲が起きる(詳しくは南京大空襲?を)
2028年 10月24日-南京大空襲?の報復で中華独立軍?中華人民軍領?東重慶市?にて空襲を起こす。(詳しくは中華人民軍領重慶大空襲?をご覧ください)
2028年 12月18日-中華人民軍領?昆明で戦闘が開始される。それが今後の昆明の戦い?となる。
2028年 12月23日-中華独立軍領と中華人民軍領との間で停戦交渉が行われ、12月25日クリスマス宣言とも言われる武漢宣言?が締結された。
そのため領土は

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のようになった。
2029年1月10日-1月10日より国民が東西中国に自由に往来できるようになった。
2029年3月8日-この日の午後突然人民軍領(中華人民共和国?)側から東側の独立軍領(中華民主共和国?)側への自由に往来が不可能になる。
2029年3月10日-中華人民共和国?チベット共和国?にあるNATO軍の簡易駐屯地に向けてミサイルを発射させた。幸いにも直撃はしなかったものの、NATO側は宣戦布告と見做し中華人民共和国?との戦闘を開始した。
2029年4月2日-両軍は武威市にて戦闘を開始した。(詳しくは武威の戦い?をご覧ください)
2029年4月23日-中華人民共和国?軍は国民皆兵を行い男女関係なく戦場に行かせることとなった。
2029年5月7日-武威の戦い?にて中華人民軍は敗北した。
2029年5月10日-停戦協定を締結していた中華民主共和国?に向け軍を展開し武漢や南京にミサイルを100発近く発射した。
2027年5月12日-中華人民共和国側は誤って台湾海峡にミサイルを着弾させてしまう。
2029年5月13日-日本国金馬県の全住民に緊急事態宣言を発令しほとんどが台湾本土に避難した。
2029年5月16日-ウイグルがウイグリスタン共和国?として独立を宣言した。
2029年5月19日-中華人民軍は昆明市近郊六街鎮付近で核実験をする。この実験は仮に街に落としたらどうなるかというものだったため、住民を避難させずに鎮中心部に投下させ住民のほとんどが死亡した。
2029年5月20日-中華民主共和国?は来る核戦争に備え各都市に核シェルターを建設することにした。この頃は公には発表していないが現在把握できる核シェルターのほとんどは2036年現在ほとんどの地域と繋がっているとのこと。
2029年6月2日-森の息吹作戦?と言われるものが開始する。そのため中華民主共和国?軍は西安へ攻撃を開始する。
2029年6月13日-煙台市が未明に中華人民共和国?による大空爆を受け死者が5000人以上出る。空爆による光は青島市まで見えたという
2029年6月16日-中華人民軍?黄河の戦い?と称し済南市に侵攻を開始する。
2029年6月18日-中華独立軍は西安へ軍を展開する。
2029年6月22日-中華人民軍が独立軍を支援しているとして、日本国にある沖縄県の粟国村を空爆し、69人の死者、198人の怪我人を出した。
そのため米軍は危機的状況と判断し、米軍の進撃が開始する。
2029年6月29日-独立軍は商洛市を占領し、断头台市と名称を変更した上で、対人民軍用の大きなギロチンを用意した(詳しくは商洛ギロチン?をご覧ください)
2029年7月2日-中華独立軍は、米軍などと極秘で共同して、北京攻略を図るべく黄河沿いの浜州や、海を越えた先にある天津などに軍を展開していった。これは黄色の花吹雪作戦?と言われている。

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黄色の花吹雪作戦中の空中からの様子

2029年7月19日-天津のほぼ全域の占領が完了した。
2029年7月26日-北京への軍事展開がほぼ可能となったため、彼岸花作戦?を決行、それと同じくらいに中華人民軍は重慶へ一斉攻撃を開始する。
2029年8月3日-社会主義国であるニャンマーでクーデターが起きたが、中国軍の比例などにより南北が分担された。(くわしくは南北ニャンマー?をご覧ください)
2029年8月12日-北京市の目の前である廊坊市を占領した。
2029年8月13日(?)-重慶市にてミサイルが何百発近く打たれ、100万人以上の死者が出る。
2029年8月18日-北京市最南部である通州区で戦闘が開始する。
2029年8月25日-天安門広場の跡地に造られていた[[毛沢東人民勝利広場)にミサイルが着弾し、広場にあった1m超えの毛沢東像が破壊された。
2026年8月29日-上海港が何者によって爆破される。その影響で物流がストップし、世界的に大きな影響を与えた。
ちなみに現在では人民軍の工作員が行ったという説が強い
2029年9月19日-中華人民共和国?側は停戦交渉を行いたいと表明する。
2029年9月24日-石家庄条約?が締結される。

[添付]
条約締結時の様子

2029年9月28日-中華人民共和国?チベット共和国?満州民国国境付近で軍事展開をし始める。
2029年10月13日-満州国は、日本海(黄海)への軍事展開を阻止すべく米国や中華民主共和国?などの西側諸国と安全保障を危惧した日本国やモンゴルなどが対中華人民多国籍軍?として天津などへ侵攻する。
詳しくは連合諸国の対中華人民政策?又は対中華人民多国籍軍?をご覧ください
2029年12月10日-多国籍軍は天津を中心とする黄海周辺を約2月で占領し、西側諸国の傀儡国である黄海沿岸共和国?を建国した。

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黄海沿岸共和国の領域

そのため満中貿易がしやすくなり、人民共和国への配慮などが必要なくなり、首都の天津方面への旅客鉄道の運行も頻繁に行われるようになった。
2029年12月29日-軍事的緊張激化による影響で長春駅?ソウル駅?海参崴駅?発の北京行きのすべての列車の運行を停止。
2029年12月30日-武清駅?から1km離れた付近で鉄路が爆破された。
そのため京津城際線?は武清を境に分断された。
そのため黄海国鉄?は路線名を天武線?と名前を変更した。

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武清駅?

2030年1月8日-東西中国が協議していた国民の一部避難が行われ先に北京発上海行きの京滬高速鉄道?が運行された。
2030年1月9日-東中国から西中国への鉄道として上海発北京行きの京滬高速鉄道?が運行されたが廊坊駅?付近で車両ごと爆発し、乗客の全員が負傷した。(廊坊事件?)
2030年1月15日-両国の関係は一気に悪化し、唯一走っていた北京方面への物流列車の運行が停止した。
2030年1月18日-中華民主共和国?が国名を中華民国?へ名前を変えた。
2030年2月14日-西安事変?が発生し西安中華共和国?が建国された。

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西安中華共和国の領域

2030年2月20日-トゥヴァ地方が中華民国?の傀儡国であるウリアンカイ共和国?(乌里安凯)として独立した。
2030年2月23日-中華民国?の傀儡國であるウリアンカイ共和国に対抗すべく、アルタイ地方に[(阿爾泰解放人民共和国]]を建国した。
2030年3月3日-中華人民共和国?中華統一?をすると宣言し大華毛沢東線?を掲げた。内容は簡単に述べるが、清と元の影響下にあった地域全域を掲げており
沖縄や朝鮮、台湾、満州やベトナム、樺太、モンゴル、中央アジア、インド、北海道などがある。
2030年3月12日-対華多国籍連合?を設立し、中華人民共和国?の完全解体を目標とする連合を設立した。
加盟国として中華民国?日本国、アメリカ合衆国、満州民国などある。
2030年3月15日-対中華多国籍連合軍?に対抗すべく中華人民共和国?対民主主義連合?を設立。加盟国の中にはイランや阿爾泰解放人民共和国?などの味方の国である。
2030年4月10日-中華人民共和国はベトナム南部にて軍事工作を行う。
2030年4月16日-南ベトナム人民共和国?を建国した。
2030年4月18日-当時西中国の主将であった林房英が乗った船が華湾沖で爆破され沈没した。(華湾沖事件?)
2030年6月14日-中華人民共和国?黄海沿岸共和国?に突如侵攻し、首都天津市は落とされなかったものの、天津首都省?以南の全域を人民軍が占領する。

[添付]
領域

2030年7月10日-人民軍は中華民国?領として国際的に認められている山東半島に侵攻し始めた([[詳しくは山東侵攻?をご覧ください)
2030年7月14日-人民政府は大華毛沢東主義帝国?をかかげ北は北極海、南はシンガポール、東はハワイ、西はサウジアラビア
までを我らの本来の領土とし奪還戦争を持ちかけると公式発表した。
その夜清華領であった威海市が人民軍により占領された。(詳しくは威海人民政府?をご覧ください)
2030年7月22日-人民軍の突然の攻撃に清華政府はすぐに対応することができず山東省?威海市?の他にも青島市?煙台市?が占領された。
2030年7月24日-山東省の中でも山東半島の全域が人民軍に占領された(詳しくは山東人民政府?をご覧ください)
2030年8月10年-人民軍の猛攻は止まらず国家会議にて2ヶ月以内に民国の首都である上海を落として民国を我が国のものにし、1年以内に沖縄と台湾を我が国の領土にすると発表した。
その影響で世界的にも緊張が走り、日本国でも緊急会議が行われることとなった。
2030年8月14日-清華軍は山東半島の奪還戦争を開始。多国籍軍も参戦し1日で重要拠点である青島を奪還した。
2030年9月10日-市街地の大半は破壊され市民1万人が死傷したが無事山東半島の全域を奪還した。
2030年9月18日-マレーシアの首都であるクアラルンプールにて日本、アメリカ、フランス、イギリスなどの各国が中華民国?と通称クアラルンプール会議?を行い、日中同盟?米清同盟?仏清同盟?英清同盟?などを締結した。(詳しくはクアラルンプール会議?をご覧ください)
その他にも人民国の戦後処理や統一時の話などが行われた。
2030年9月22日-中間民国は世界各国の力を借りて2031年までには戦争を終結させると提言し、停戦を破棄すると発表。
2030年10月10日-人民軍が西安政府?に宣戦布告をして攻撃を開始。2030年10月14日に西安政府の首都西安は陥落してしまい上海市にて西安臨時政府?が設立される。
2030年11月18日-人民軍は突如重慶へ侵攻を開始し第二次中華戦争の開戦が行われた。
2030年11月21日-中華軍などの多国籍軍は黄海沿岸共和国?天津首都省?以南の地域の奪還をするため戦闘を開始。
人民軍は海に出る唯一の地域のため人民軍による総攻撃が行われてた。
その隙を狙って満州民国方面の多国籍軍は北京攻略を開始し
ちょうど重慶の占領を阻止したため、南から北側へ侵攻を開始し、挟み撃ちにした。
2030年12月20日-人民側は最悪の場合核を上海や長春、東京に落とすと警告し危機的状況に陥った。
2031年1月14日-北京攻略を開始し栄庄鎮の奪還に成功する。
2031年2月8日-北京攻略にて高碑店区の全域を解放する。
2031年2月14日-内北京と呼ばれる市中心部を解放する
2031年3月4日-天安門事変が発生し、天安門広場が破壊される
2031年3月18日-永定河などの大きな川にかかる鉄道橋を含む橋を全て破壊し、人民軍の移動を遅れさせたため、この日に人民軍は北京にて中華軍などと戦争状態になり、北京の戦い?が開始する。
2031年3月21日-危機感を感じた人民政府は首都を秘密裏に[石家庄市]]に移動させる。
2031年3月29日-首都である石家庄に中華軍を含む多国籍軍が侵攻を開始し、この日を境に西中国側の制空権を確保する。
2031年4月18日-インドネシアにて毛沢東主義のものが反乱を起こし、第二次インドネシア内戦?が勃発する。
西中国は本土占領時の臨時政府移転地を確保するという建前からも毛沢東主義側の軍と協力関係を結び、ジャカルタ島を占領して2031年5月20日-東インドネシア社会主義共和国?を建国。
民主政権はジャワ島に避難し西インドネシア民主主義共和国?を設立した。この日を境に東西は停戦体制に入り、ジャカルタ海峡での冷戦が開始する
2031年6月10日-河北省北部の地域を中華軍が占領した。
2031年7月8日-「西中国出兵」が開始

影響

その他にもチベットやウイグル、内蒙古がモンゴルに編入された。
そして日本や韓国、満州民国などの経済が大発展した。その他にも東中国では新たな都市が生まれ、戦後産業として工業なども発展していった。


*1 詳しくは南京条約をご覧ください?