ペルシア帝国
いつの間にか内戦が終結していたセレウコス朝。
内戦終結と同時に国名をペルシア帝国に改めていました。

ペルシア(=ラテン語)と同じ地名を意味するペルシス(=ギリシア語)が別の国として存在しているあたりに
かすかな引っ掛かりを感じますが、こちらも中身がエピルスなマケドニアなので細かいことは気にしない。
エジプトと休戦期間に入った今、再び東を目指すためにペルシア帝国と一戦構える予定なのですが、その次は再度のエジプト戦。
シリアから陸路でエジプトを目指すのには時間がかかりすぎる。
どうするか。
と、視線を南に向けると、エジプトの本拠地の真横に何ともおあつらえ向きなペルシア帝国の飛び地が・・・
ここを奪取して次回エジプト戦での橋頭保としましょう。
そうと決まれば上陸用の艦隊を整備します。
575年7月
準備に少々時間がかかりましたが、ペルシア帝国に開戦。

ペルシア帝国の本拠地とも言えるバビロニア地方は既にこちらが押さえているためか、
広い国土の割には兵力が不足しているようです。

と、そんな中エジプトで反乱が。
このタイミングで攻撃出来ればベストだったのですが、ちょうどペルシア帝国との戦いを始めたばかり。残念です。
第二次エジプト戦
既にエジプトの休戦期間は終了。
先ほど奪った土地に主力を配備。外と内の両面から食い破ります。

最初の戦いはガリラヤ湖東岸で発生。
激戦の末に勝利をもぎ取ります。

いきなり特性付与。ローマ戦と同じく激しい戦いになりそうです。
579年10月、中央デルタ地帯を占領。
飛び地から入り込んだ成果です。
579年12月、こちらの領地と飛び地を隔てていた2つの砦が陥落。
これで自由に行き来できるようになります。

2度目の大きな衝突は死海の北、砦の包囲中に発生しました。
こちら13,000に対して敵方17,500。
援軍を急がせます。
合流し、兵数では優勢となりましたが、規律の差が効いているのか
かなり追い込まれています。

ナイル河畔のBabylon Aigyptouでも大軍が激突します。
激しい戦いが続きますが、飛び地との道が開けた事が流れを決める決定的な要因でした。
外側から飛び地側へ、こちらの戦力を一気に集中。
582年11月
その後も何度か万単位の敵部隊を追い散らし、
デルタ地帯と、飛び地までの陸路を確保する形で終戦としました。

次へ
エジプトの主要な地域を奪ったので、かなり弱体化できたのではないかと思いますが、
カルタゴが付いてくると戦勝点では今一つ伸びません。
根気よく何度か戦いを繰り返す必要がありそうです。










