かね丸電鉄初の電車 500形
500形は1925年から梅鉢鉄工所、川崎造船所、日本車両製造で製造された電車。
かね丸電鉄初の電車であり、当初は単車*1で運用されるのが基本だった。
また、自動連結器をかね丸電鉄で初めて採用した電車でもあった。
戦後からは2両以上での運用も増え、固定編成化される車両もあったという。
1952年からは車体を全鋼製に乗せ替えした700形も登場した。
連結器が他車と違うことに加えてブレーキ装置も違って運用上の支障が増え、老朽化も進行したため、*2未更新車は1969年3月に、更新車は1975年11月に全廃された…と思われたが、後期型は性能を600形と同じ程度に引き上げて、1981年まで生き永らえた。
また、事業用車に改造された900形?は1996年まで生きながらえた。
車体
中期型まで*3は15m級の木造車体で、前期型*4は丸妻五枚窓非貫通*5、中期型*6は丸妻三枚窓非貫通*7である。
後期型*8は半鋼製車体になり、折妻三枚窓の貫通型となった。
側面の窓配置はd2D7D2d*9で、窓配置は引退まで変更されなかった。
屋根上には当初トロリーポールが載っていたが、1931年にパンタグラフに交換されている。
一部の車両は空襲や機銃掃射により破壊され、終戦まで荒廃したまま放置されていた。
初期型と中期型のうち、状態の悪かった車両は1951年から車体を自社多磨羅内工場にて更新、リフレッシュされ、塗装を紺色単色からクリーム色と紺色の旧塗装に改めた。
このとき、前面デザインが中期型のデザインに統一された。
主な更新内容は以下の通りである。
- 車体を木造車体から半鋼製車体に更新。戦後すぐの八高線列車脱線転覆事故を受けての改造である。
- 座席のモケットを更新。
- 貫通扉の取り付け。
また、車体を全鋼製に乗せ替えた車両は700形に形式を変更したほか、後期形のマイナーチェンジ版として600形が1937年から製造された。
内装
登場当初から引退までロングシートで終始した。
運転台は片隅運転台であったが車体の両側に乗務員扉が設けられていた。運転台がない側は車掌台だった。
結局全室運転台じゃないか
足回り
駆動方式は吊り掛け駆動方式、制御装置は抵抗制御のHL式だ。
主電動機はウェスティングハウス・エレクトリック社のWh-556-J6型である。1台車あたり2個搭載する。
台車は初期型に限りブリル27シリーズ台車が採用され、中期型以降はボールドウィンA型や住友製鋼所製KS-33Lに変更された。
ブレーキは直通ブレーキ(SME)である。一時的に自動空気ブレーキへ変更する話が浮上するも、結局その話は立ち消えとなった。
コンプレッサーはウェスティングハウス・エアーブレーキ社(その他メーカーライセンス品もあり)のDH-25を搭載する。

