入場行進とか練習する意味ある?
教育機関の奴隷化への確実な一歩。
そもそもオリンピック【利権上級ピック】の入場行進ですら自由なのに。
☆体育大会の入場行進という「みんな一緒本能」
https://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/19f4b705efa89a14befbf8292be1be9d
日本の中学、高校の部活動は個性を大事に育ててくれるように思えなかった
未だ根強く残る軍隊式奴隷化への部活動
2月19日付朝日新聞によれば
「留学は、日本テニス協会の盛田正明会長が私財を投じて創設した、有望選手を育成するための基金が後押しした。10人ほどがこの基金を利用してきたが、ついに実った形だ。『日本の中学、高校の部活動は個性を大事に育ててくれるように思えなかった』。父親の清志さんはテニス留学を決めた理由の一つをそう話す」。
錦織清志さんは、いじめや暴力問題も珍しくない上下関係のきびしい中・高の部活動、スポーツも教育の一貫とする考え方に、息苦しさを感じて、息子をアメリカへ送り出したのだろう。体育は教育だが、スポーツはいい意味での「遊び」だ、という考え方は、日本の中でまだ主流になってはいない。
日本文化研究のために東京の郊外の町に住んだ若いフランス人女性が「日本の少年院はとても開放的だ。毎日、同じトレーナーを着た丸坊主の少年たちの集団が、町の中を掛け声をかけながら走っている」と、ある座談会で発言し、同席した日本人学者から「あの町には少年院はない。それは多分、中学か高校の運動クラブの部活の練習だ」と、訂正されていたのを読んだことがある。外国人の目には、日本人の集団性、規律性は、そんなふうに映るようだ。
https://www.sportsnetwork.co.jp/adv/bn_writer_2008/okazaki/vol389-1_col_okazaki.html
日本の部活は、一度入部したら最後、極限まで練習し、部活一筋になることを要求されることが多い。 ひと言で言えば軍隊式だ。海外のように、複数のスポーツを並行してやったり、学期によって変えたりという柔軟性がない。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131029/Allabout_20131029_8.html
少しでも時間があれば練習する。どんなに疲れていても、休養より練習を優先する。チームのために、 自己を犠牲にすることが美徳とされる。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131029/Allabout_20131029_8.html